GoyouDa! - 冬の夜の大捕物 -
作:澄川 櫂
第4話 やめられない止まらない?
「ごめん、今、布団出してるとこ。もうちょっとだけ待って」
マンジローを背負って喘ぎ喘ぎ階段を上ってきた圭助は、一足先に家に戻っていたはずの菜穂の言葉にげんなりした。脱ぎかけた靴の踵を踏んでため息をつく。圭助が追いつくまで、時間にして優に十分は余裕があったはず。菜穂曰く「少し散らかってるから」とのことであったが、彼が思っていた「少し」とはだいぶレベルが違ったようだ。
廊下の奥からなにやらひっくり返す音が聞こえてくる。圭助はもう一つため息をつくと、ずり落ちかかるマンジローを幾分乱暴に背負い直した。だが、背中で眠るマンジローは、すーすーと穏やかな寝息を立てて熟睡中。
「……こいつ、いい性格してるよ」
お手上げ、とばかりに天井を仰ぐ圭助の口から、愚痴とも恨み言ともつかない呟きが漏れた。
マンジローがお休みモードに突入したのは、食後のコーヒーを一口すすった直後のことだ。一息入れ、さらに問いつめようとした二人の出鼻をくじくように、マンジローはテーブルに突っ伏してあっさりと寝入ってしまったのである。ジュースをしっかり飲み干していたので、てっきり寝たふりをしているものとばかり思っていたのだが……。
「マジで眠てんだもんなー」
揺する、くすぐる、頬をつねる。思いつく限りの手で攻めてみたものの、マンジローは一向に目を覚まさなかった。まさかそのまま店に置いて帰るわけにも行かないので、こうして菜穂の部屋まで運んできたのである。エレベータのないマンションのこと。これでマンジローの目方があれば、さすがの圭助もキレるところだ。
「圭助、いいよ」
「やれやれ」
玄関をあがり、背中の荷物をようやく降ろした圭助は、マンジローが被るマリーンズの帽子のつばを持った。単純に脱がせようとしただけなのだが、何かに引っかかって外れない。
「あれ……?」
不思議に思ってよく見ると、マンジローは野球帽の後ろ、サイズ調整バンドの上の穴に、縛った髪を通しているのだった。帽子が飛ばないように、ということだろうか。
「やけに厳重だね」
同じくそれに気付いた菜穂が、笑いながらマンジローの後ろ髪をそっと持って抜いてやる。帽子を取ったマンジローの寝顔は、年相応にあどけなかった。
愛らしげなものを見るように、その寝顔をのぞき込む菜穂を横から眺めていた圭助は、ちらっと腕時計を見やると、
「んじゃ、俺、そろそろ帰るわ」
言って、彼女に持ってきてもらった自分の鞄を手に取る。
「え? 明日早いの?」
ゆっくりしていくものとばかり思っていた菜穂は、慌てて彼を見送りに立った。だが、当人はのんびりしたもので、
「んー、一限が必須だからさぁ。いい加減、出ないと単位やばそうだし」
と、自分で帰ると言っておきながら、どこか気乗りしない様子である。思わずくすりと笑う菜穂。
「相変わらずねー」
「そう言う菜穂はどうなんだよ」
「あたしは、ちゃんと出てるわよ。どういうわけか休講多いけど」
他愛のない会話をしながら玄関へ。
「それじゃ菜穂。明日またくるからさ」
「うん。ありがとね、圭助」
こればかりは本気で礼を言う菜穂に、圭助は軽く手を振って応えると、静かにドアを閉めた。
「ふうっ……」
玄関に鍵をかけ、部屋へと戻った菜穂は、我知らず息を吐いた。腰に手を当て、片隅に積まれた山を見やる。タオルをかけて誤魔化してあるが、少し前までそこらに転がっていたものをかき集めてできた小山だ。
「まずは、これをどうにかしないとね」
タオルを取り上げた菜穂は、我ながら見事な寄せ集めぶりに顔をしかめるつつ、圭助も呆れただろうな、と呟く。口に出しては何も言わなかった圭助だが、そんな時ほどひどい思われ方をされていると菜穂は知っている。呆れてものも言えないとはよく言ったものだ。
大きくため息をついて、憂鬱な気分で山を片づけ始める。と、
菜穂殿……
誰かに後ろから呼ばれたような気がした。咄嗟に振り返るが、ぐっすり眠っているマンジローの他は、もちろん部屋には誰もいない。
(気のせいか……)
ほっと胸をなで下ろす。やだな、疲れてるのかな。頭を振ってそんな風に思う菜穂だったが、
「菜穂殿」
自分の名前を呼ぶ声は間違いなく、それも、ごく近いところから聞こえてくるではないか。
「だっ、誰!?」
さすがに気味が悪くなって、手にしたハンカチを握りしめながら後ずさりする菜穂。ところが、声の主はそんな彼女の反応を気にするでもなく、平然と名乗るのであった。
「十兵衛でござるよ」
「じゅうべえ? あ……!」
聞き覚えのあるその名前に、菜穂ははたと気付いて布団に歩み寄った。ぐっすり眠っているマンジローと敷き布団の間に手を入れ、そっと寝返りを打たせる。すると、その腰に差したままだった十手の柄の先が、ぼんやりと青い光を放っていた。
恐る恐る手を伸ばして十手を引き抜く。青い光は柄に埋め込まれたガラス玉から発せられていた。柄を上に、ちょうど鈎のあるあたりを持ってガラス玉を見つめると、光はどこかほっとしたように揺らぐのだった。
「えっと……じゅうべえさん?」
「いかにも十兵衛でござる」
菜穂の問いかけに、十手は軽やかに答えた。声のトーンにあわせ、緩急をつけて瞬く青い光。見るからに機械的なもののようだが、伝わる声は無機質とは無縁の、ごく自然なものだ。
「いきなりで申し訳ないのでござるが、一つ頼まれてくださらぬか?」
その十手の声がにわかに口調を改めた。つられてかしこまる菜穂。
「あ、あたしに出来ることでしたら……」
「万次郎のしている時計の縁を二目盛左に回して、真ん中のボタンを押してくだされ」
「こうですか?」
言われたとおりに菜穂が操作すると、文字盤のデジタル表記が現在の時刻から別の数値へと変わった。値が徐々に減っていくところからすると、何かをカウントしているようだ。
「おお、かたじけない」
表示の変わったことが分かるのか、十手は心底安心した感じの声を出した。ガラス玉も心なしか和らいだ光をまとっているように見える。
そうして訪れる微妙な間。今のはいったい、何の意味があったんだろう。沈黙に耐えられなくなった菜穂が、その疑問を口に出しかけたとき、
「このお礼は、いずれ本人からさせます故、今宵はこれで……」
十手は唐突に会話を打ち切った。徐々に輝きを弱めるガラス玉の調子に合わせるように、彼の声は十手の内へと消えてゆく。
「あ、ちょっと!」
慌てて呼び止める(?)菜穂だったが、その時には光もすっかり失せていた。十手を三回ほど振り回し、ガラス玉を何度も擦ってみるが、全く何の反応もない。
「………。何なのよ」
呆然と呟くことしかできない、菜穂であった。
翌朝——。
耳慣れた目覚まし時計の呼ぶ声に、物憂げに頭の上方へと腕を伸ばした菜穂は、いくらまさぐっても時計が見つからないのを知って、慌てて目を覚ました。くるまっていた毛布を跳ね飛ばす。寝ずの番で見張るつもりが、いつの間にか眠っていたらしい。しまったとばかりに傍らの布団を見やるが、マンジローは菜穂の心配などどこ吹く風で、昨晩と変わらずぐっすり眠っていた。
ほっと一息つくと、菜穂はマンジローの枕元で騒いでいるキャラクター時計を拾い上げ、それを止めた。朝の雀のさえずりが、ようやく部屋の中まで伝わってくる。
「そっか、時間変えるの忘れてたんだっけ……」
まだ七時にもなっていない時計の針を見ながら呟くと、大きなあくびを一つ。今日は一コマだけある講義が休講なので、菜穂的には休日である。普段ならもう一眠りするところだが……。
「朝ご飯でも作るか」
顔を洗ってさっぱりした菜穂は、マンジローの方をちらりと見やると、よしっ、と気合いを入れた。フライパンを火にかけ、冷蔵庫からハムと卵を取り出す。力んだ割に寂しい組み合わせだが、朝食は良くてトースト一枚の菜穂にしてみれば、ハムエッグも立派な「料理」である。
トーストを焼き、牛乳を温め、それをコタツに二人分並べる段になってようやく、マンジローが目を覚ました。ひとしきり目を擦ってから、ふと気付いたように菜穂を見る。どこか不思議そうな顔をしているのは、まだ寝ぼけているからだろうか。
「おはよ、マンジロー君。朝はパンだけど、いいよね?」
「……?」
菜穂の問いに、小首を傾げるマンジローだったが、
「あーっ!! ぼ、ぼくの帽子!?」
茶色の髪を両手で押さえたかと思うと、突然、大声を上げた。顔からみるみる血の気が退いてゆく。忙しなく辺りを見渡し、ポールハンガーに目指す帽子を見つけると、それを取りに行こうとして毛布に躓き、ひっくり返る。そのあまりの狼狽えように、菜穂はただただ唖然とするばかり。
すると、
「これ、万次郎。少し落ち着かんか」
さすがに見かねたのか、枕元の時計の隣で、十手が口を開いた。
「だ、だってじゅうべえ……!」
「時計を見ろ」
「え?」
十手に言われて腕を見るマンジローの表情が、途端に安堵の色に染まってゆく。
「菜穂殿がセットしてくださったのだぞ」
そう付け足す十兵衛に、菜穂を向いたマンジローは慌てて正座をすると、両手をついて深々と頭を下げた。
「この度は危ういところをお助けいただき、誠にかたじけのうござりまする」
「えっと、そんなに畏まられても……」
古風な言葉遣いで礼を述べる姿に、どう反応すべきか困る菜穂。
と、
ぐぅ—……
聞き覚えのある音が、静かになった瞬間を狙いすまして響き渡った。一瞬、何の音だか判らない菜穂だったが、なかなか顔を上げようとしないマンジローの姿に、それが彼のお腹の意思表示と気付く。
「あははっ、マンジロー君は健康ね」
菜穂は笑った。
「とりあえず、ご飯にしよっか」
と言ってやる。ようやく頭を上げたマンジローは、ほんのり赤い顔に照れ笑いを浮かべながら、こくんと一つ頷いた。
「ごちそうさまでした!」
ホットミルクを飲み終えたマンジローが、両手を合わせて元気に言う。もちろん、コタツに並ぶお皿はどれも綺麗に空っぽだ。
(これで帽子さえ被ってなければ、礼儀正しい子で通るのに)
カップと皿を片づける菜穂は、マリーンズの帽子を見ながらつくづく思うのだった。十手の十兵衛曰く、この帽子はマンジローに欠かせない大切なものであるらしい。どう大切なのかは教えてくれなかったが、菜穂はひとまず納得することにした。
だいたい、十手がしゃべることからして非常識である。単なる帽子に何か仕掛けがあっても不思議ではない。
そんな菜穂の心中をよそに、マンジローはポケットからなにやら取り出すと、コタツの上に広げ始めた。
「何をするの?」
「調べもの」
と言って、銀色の、タバコ大ほどの箱をぱかっと開く。それは三重に折り畳まれたキーボードだった。右上のオレンジ色のボタンをマンジローが押すと、音もなく宙にディスプレイが現れる。
薄っぺらい板ガラスのようなそれは、タッチパネルになっているらしく、マンジローが指で触れる度に、映し出す文字や画像を変えた。もっとも文字のほうは、菜穂の目には単なる記号の組み合わせにしか見えないのが。
「……マンジロー君って、もしかして宇宙人だったりしない?」
さすがに不安になった菜穂が尋ねると、
「だったらどうするの?」
言って振り向いたマンジローの顔は、灰色の肌に大きな黒い目を持つエイリアン。
「ひっ……!」
「ハハハ、驚いた?」
思わず後ずさった彼女の表情がよほど面白かったのか、カラカラと笑うマンジローは、既に元の顔に戻っていた。大きな黒目の宇宙人が描かれたカードを、指の間に挟んでひらひらと揺らす。
「な……なんなのよ、それ」
「〈グレイ〉のマスクだよ」
「グレイ?」
「他にも〈M78〉とか色々あるけど」
「はあ……」
見覚えのあるキャラクター達のカードを見せられ、どこか間の抜けた反応をする菜穂をよそに、マンジローは次々と画面をめくっていく。やがて「へぇ—」と感心した声を上げたかと思うと、ぱっと電源を切ってしまった。
おかげで、菜穂には彼が何を調べていたのか、まるで見当が付かなかった。画面が消える直前に映っていた建築物を、辛うじて認識できたくらいなものである。それは菜穂の知るある建物を上方から捉えた写真。
(あれって……)
「ねえ、お姉ちゃん」
だが、またも菜穂の機制を制するように、マンジローが呼びかけた。テレビの方に顔を向けたまま、キラキラと目を輝かせながら続ける。
「あれ、やってもいい?」
「うひゃあっ!」
妙ちくりんなマンジローの悲鳴が部屋中に響き渡った。どすんと落ちてきた玉の群れに、画面で驚くとんがり耳の小人よろしく、目をまん丸くする。コントローラーを握りしめた姿勢のままで固まるマンジローの前で、画面左側の、彼の陣地が崩れ去った。
「へっへー、三十一連勝ぉ—」
対戦相手である菜穂の意地悪そうな声に、
「くぅ〜。もう一回っ!」
悔しさ一杯の顔で再戦を申し込む。いや、返事を待たずにコンティニューを選択するのだから、ほとんど強制だろう。
仕方なく、一度床に置いたコントローラーを持ち直す菜穂。このゲーム自体は嫌いではないのだけれど、挑戦者がここまで下手だといい加減飽きてくる。もっとも、それで相手に勝たせてやることも無いのだが。
(シューティングは得意みたいだけど、こういうパズル系は、頭を使って)
小刻みな攻めをものともせず、菜穂はあっさり大魔法を組み上げた。三十二度目の大雪崩に襲われるマンジローが、またも妙な声を出して涙ぐむ。
「も、もーいっかいだぁ!」
ムキになって叫ぶ彼の様子に、かなり辟易する菜穂だったが、携帯電話が『汽車ぽっぽ』を奏で始めたので、これ幸いと席を立った。圭助からの電話だ。
「もしもし?」
「あ、菜穂。ゴメン、ちょっと遅くなりそう」
受話器の向こうで出し抜けに言う圭助。
「どうしたの?」
「いやー、先輩に捕まっちゃってさぁ」
その心底弱った感じの声に、菜穂は何があったか分かった気がした。
「あ、加藤さんだ」
「そ」
案の定の答えが返ってくる。
加藤さんというのは、圭助の高校時代からの先輩で、テキスト&ノートの提供や「教授別試験の傾向と対策」レクチャーなど、世話になりまくりの人物だ。そのおかげですっかりサボり癖を付けてしまっただけに、彼の頼みとあれば聞かざるを得ない圭助である。
今日もまた、いつものように家路のハイヤーを頼まれたのだろう。大学近くに住む免許持ちの不運である。もっとも、部屋が場台フリーの雀荘と化してないだけ、まだマシなのかもしれないが。
「そりゃそうと、あいつ、どうしてる?」
「ゲームしてる」
「はあ?」
予期せぬ答えに間の抜けた声を出す圭助だったが、
「うひゃあっ!」
タイミング良く響くマンジローの悲鳴を聞いて、何となく納得したようだった。受話器の向こうで苦笑するのが判る。
「……えらい苦戦してるみたいだな」
「朝からずっと。見てるこっちの方が疲れるくらい」
うんざり口調の菜穂に笑うと、
「ご苦労さん。その調子で足止めしといてよ」
「りょーかい。気を付けてね」
「ああ。じゃ」
圭助は電話を切った。
「足止めねぇ……」
携帯を充電器に戻しながら、マンジローを見やる菜穂。またもコンティニューを選ぶ様子からは、そんな必要もないように思える。
少し考えると、菜穂はやかんを火にかけた。茶葉を急須にあけ、湯飲みを二つ並べると、木皿に煎餅と伸烏賊をとる。気付けば時刻は午後三時過ぎ。何にしても息抜きは必要だ。
伸烏賊の細切れのところをつまみながら、菜穂はいかに次への期待を持たせてマンジローを負かすかの算段を考えていた。
© Kai Sumikawa 2004