機動戦士フェニックス・ガンダム

作:FUJI7

11 ナナの憂鬱

 記憶や思い出は、その人個人を形成する上で、重要な要素を占めるものだ。
<私には、それがない………>
 ナナは待機室の、見慣れたアイスコーヒーのポスターを見て、嘆息する。
 軽い振動が、ナナの足下から伝わり、今乗っているガルダ級輸送機……正確には輸送機の範疇には入らないが………が、移動中である事を教える。
 ナナにとっての思い出とは、電極を付けられ、裸でシミュレーターに入れられ、嘔吐しながら薬剤を投与された思い出しかない。そんな、殺伐とした中で、ナナは好戦的になっていく一方で、『自分には何かが欠けている』という意識、『何か』を渇望する意識が顕在化していく。
<自分には何が欠けているのだろう?>
 ナナは長くのばした金髪で顔を隠すようにして、周囲から送られる奇異な視線……強化人間であるという蔑視……から逃れ、常々考えている壮大な人生のテーマを考える為に集中する。
 そうすると、待機室にいるだろう他のパイロット達の上擦った声は消えてなくなり、自分だけの世界に入る事ができる。
 ナナがニタ研の一つであるムラサメ研究所開設以来、完璧な強化人間、と言われる所以は、実は、この自己の世界に没頭できる特技にあった。これが精神の安定を生み、パイロットとして多大な戦果を持ち帰る事ができた。そして、もう一つには、『弟』の存在があった。
 正確にはそれは弟ではなく、『弟みたいな人物』なのだが、それがエイト・ムラサメなのである。彼女は『エイトを守る』とインプリンティング(刷り込み)される事により、抜群のフォローセンスを見せた。エイトはナナと一緒に戦う事で、鬼神の様な活躍を見せたし、エイトが誉められる事は自分の事のように嬉しかった。
<何で、脱走なんかしたんだろう………?>
 基地の外ならこれまででも、何度も行っているのに、と、ナナはその時のエイトの精神状況を分析してみる。
<私が嫌いなの………?>
 その想像はナナにとって、一番恐ろしいものだ。絶対に許容できない理由の一つである。絶対にそんな事はない! と、首を振る。
<私も、逃げ出せるかな………>
 それは出撃間近のパイロットの発想としては普遍的なものだが、強化人間であるナナの発想ではない。再び首を振る。
<エイトを取り戻せれば、それでいいのか………>
 それで何もかも元の鞘に戻る。ポジティブな考え方だとナナは思う。
<でも、私が嫌いで飛び出したのなら………?>
 ナナは高揚する。
<そんな事は許せない。その時は私がエイトを殺す>
 そう、ここに至って、事前にインプリンティングした事柄が、正常にナナの思惟に影響した。攻撃前にエイトと交信しなければならない、という条件はつくものの、愛する弟と戦う為には、これが正しい方法でしょう、と提案した、マインドコントロールの専門家の意見は正しかったのだ。ナナの精神波動の大きさなら、たとえ相手のサイコミュ無しでもフェニックスのサイコミュでエイトと交信は可能、と判断されてのことだ。
《出撃一五分前! モビルスーツパイロットはデッキに集合!》
 スピーカーから籠もったようなテスの声が流れる。ナナにとってのテスは別にお姉さんでも何でもなく、ただの上官、ただの、逆らえない人物でしかない。心のどこかでテスに反発する気分も無いことはないのだが、それは自分とテスの能力……を比べた時、テスよりも自分は優れている、と自認するからである。では、何故、テスと自分を比べてしまうのか、その理由が、エイト絡みの嫉妬の感情であることは、ナナには思いつかない。
<中佐は張り切っている………>
 スピーカーの声の張り具合で、ナナはそう判断した。なにしろ、自分が配属になる場所が、調査していくうちにカラバの巣窟であることがわかり、その勢力の一掃を計って攻撃してみれば、エイトが登場してしまった。テスにとって、これは天佑だろう、とナナは思う。
<中佐の好きにはさせない………。エイトは私の弟だ>
 おかしなことに、ナナはテスの声を聞いた途端、一本にまとまっていた思惟が乱れてしまった。これはテスがエイトに興味を持ちすぎているせいである。ナナは………強化人間であるから………情愛に関しては一般の人間よりも遥かに敏感なのである。
 ドヤドヤ、と他のパイロット達がモビルスーツデッキに降りていく。ナナは、ナナ以外がいなくなった時点で腰を上げた。特に目眩もない。ふらつきもしない。自分の五感は正常だ、と判断できた。
 脇に置いていたヘルメット………サイコミュのインターフェイス(入出力部分)のプラグ差込口があるので、通常ヘルメットよりも大きめだった………を取り、小脇に抱えてデッキへと降りる。
「…………………」
 クレーンの下から見上げるフェニックス一号機は、真紅に染まっていた。羽根の生えたシルエット………出撃前だが、まだ畳んであった………は、テスが評した通り、イカロスに見え無くもない。
<この機体が有名になれば、『赤い彗星』などと噂されることになるだろうか?>
 それは面白い、とナナは思った。しかし、外界に発散される、このサイコミュの波動は何なのだろう? 波動が、確かに自分に影響しているのがわかるのだ。
 それはクレーンを操作し、コックピットに近づくにつれて顕著になっていく。
「少尉! ヘルメットを被って下さい!」
 コックピットにいたメカマンが声を張り上げる。わかった、と身振りで示すと、ナナは大振りのヘルメットを被り、気密ファスナーを締める。バイザーはまだ降ろさない。降ろせばスーツ内の気圧が下がって、ツン、とする、あの瞬間が嫌いなのだ。
「どうぞ」
 メカマンはナナと位置を交替し、ナナはコックピットに座った。メカマンは一度コックピットに入り、所定のプラグをヘルメットに差していく。三六〇度スクリーンは生きていて、空に浮いている感覚で作業が進む。
 サイコミュは精神波動を電気信号に変換し、ミノフスキー粒子を媒介にすれば無線誘導兵器を使用できるシステムだ。だが、地球上でそれを使う意味は殆どない。ファンネル、ビットなどの無線誘導兵器は大気中での稼働時間が極めて短い為だ。ファンネルによっては自機の自重に耐えられないものもある。基本的にファンネルは宇宙でこそ真価を発揮するものであって、地球上で使うものではない。
 そのコンセプトもあって、このフェニックスにはファンネルは装備されていない。純粋に機体反応を高める為のものだ。だが、この反応こそ生死を分けるものなのである。それが大出力ミノフスキークラフト機であるフェニックスであれば、なおさら機体性能、追従性は高いのである。
 メカマンの作業が終わったようだ。
「では少尉。御武運を!」
 そう言ったメカマンの白い歯が印象的だった。ナナはパイロット仲間には蔑視されていたが、その他のクルーには、密かに人気があるのだ。彼女のファンの一人かも知れなかった。
「有り難う」
 素直にナナは言い、クレーンが離れたのを見てハッチを閉めた。ハッチの場所……正面のパネルに映像が映る。メカマンが確認しているだろうが、一応計器類のチェックをする。
「正常(グリーン)」
 グレネードランチャーの発射口を開いてみる。
「グリーン」
 その他、確認事項を点検する。
「オール・グリーン……出撃許可は?」
 有線通信で管制塔に訊く。
《ナナは最後だ。ミノフスキー粒子の影響が凄いからな。ナナの後に二号機を乗せたシャクルズが出る》
 と、管制官の声が聞こえる。
「了解した。待機する」
 そのやり取りをしている間にも、シャクルズ……モビルスーツ単体での飛行能力を補う為のサブ・フライト・システム………に乗ったモビルスーツが数機、飛び出していった。続いてZPlus。ナナが前の戦闘で乗った機種、A1−S型が三機、ガルダの後部ハッチから落下するように発進していく。
《ナナ、発進、いいぞ!》
 その管制官の声で、ナナはハッチの前までゆっくりとフェニックスを進ませた。
「ナナ・ムラサメ! フェニックス、出る!」
 バヒュ! とフェニックスの機体に落下Gがかかる。ナナはスイッチを操作する事無く、念じる事により、背中の羽根を開くように指示した。
 畳まれていた羽根はゆっくりと広がり、ミノフスキー粒子を大量に散布しだす。すると落下は止まり、その場でフワフワ、とホバリングを始める。
「グリーン………」
 ナナは呟き、近くにいるだろうエイトの思惟を感じ取るようにした。コンパスなどは無意味だ。
<いる!>
 ナナはエイトを感じたような気がした。先行の部隊が接触するまで、ナナは部隊の後方で待機しなければならない。多少のもどかしさはあるが、まずは確認をしなければならない。
<エイト! お姉ちゃんよ! ねえ、好きだって……私の事を好きだって………ああ、もどかしい! 早く会いたいよ! お姉ちゃんはここにいるのよ!>
 ナナの焦燥を表すように、真紅のフェニックス一号機はジグザクにコースを取り、それはやがてプサンの方向へ消えていった。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。