告死天使
作:澄川 櫂
SCENE. 5
「……やっと、来てくれたね」
コクピット・ハッチ前に佇む少女の姿を認めたノーマンは、静かに声をかけた。黄色味がかった髪の下から、印象的な緋色の瞳で彼を見下ろす少女の目元は、僅かに潤んでいるように思える。
しかし彼は、なぜ哀しそうな顔をするんだい、とは尋ねなかった。そんなことは訊かずとも解っているから。彼はただ、心配ないよと微笑んで見せた。
彼の意図を察したらしい少女は、戸惑った様子で彼を見つめている。
「君はあの時、私に言ったね。気にしないで、と。でも私には、どうしても気になることがあった。あの時それを確かめられなかったのが、何より心残りだった」
少女の困惑をよそに、ノーマンは続ける。奇妙なまでの静寂が、コクピットを包み込んでいた。
「君自身は、本当にあれで満足だったのかい?」
その問いに、少女は、さすがに困った顔をした。浜風が、彼女の肩まである髪を揺らして行く。が、それも僅かのことで、彼女はすぐに大きく頷いてみせる。
そうか……。ノーマンは、これは幻だろうと思いながら、それでも心の内の軽くなって行くのを感じた。
自己満足。確かにそうだろう。でも、これで悔いはない。もし、彼女に呼ばれた結果なら、それはそれで……。
——そんなことない。
少女の声が脳裏に響いた。見ると、少女が顔をくしゃくしゃにしている。こんなにも表情豊かな娘だったのか。軽い驚きを覚えつつ、これが彼女本来の姿なのだろうと思う。そして、彼は悟った。
これは幻かも知れない。だが、今の自分にとっては、紛れもない現実なのだ。
見上げる空の威圧感は、既に無かった。ざわめくような風もなく、ただ、機体を揺らす波の音が、どこか遠くに聞こえている。
「……そんな顔は、君には似合わないな」
フレデリック・ノーマンの意識は、立ち上がって少女の頬に手を伸ばす。その瞳から零れ落ちる涙を、指で軽く拭ってやると、呆然と見上げる彼女に軽くウインクする。
「天使は、微笑むものだろ?」
それは決して、皮肉などではなかった。彼の、彼女に対する真実の想い。
ひとたび目にして以来、心に焼き付いて離れぬあの光景。もし、これが夢でないのなら、もう一度、私に見せてくれ。
君の、恐らくは一番君らしい姿を。
『彼女が? ……まさか』
振り向いたヴァレリは、とても信じられないという顔をして見せた。それはそうだ。心停止した人間が起きあがって口を開くなど、三流ホラーもいいところである。
だが……。
『本当だ』
自分でもあり得ないことだと解っていながら、それでもノーマンは、自分の目を、感覚を信じた。いや、信じたかった。
『こちらを向いて、気にするなと言ったんだ。よりによって、直接手を下した私に向かって、そんなことを……』
『心電図、心拍計共に、何の変化もなかったようだが?』
『いや、確かに私は……!』
どこまでも冷静な軍医の言に、苛立ちさえ覚える。何をムキになっている。そう思いながらも、何事か反論しかけるノーマンは、ヴァレリらしからぬ驚きを露わにした横顔に、声を失った。
『……どうやら本当だったらしい』
『え……?』
『見てみろよ』
言われるがままに、ベッドを覗き込むノーマン。ハッと振り向く彼に、ヴァレリが頷く。朝焼けの光の中で、静かに横たわる少女の顔は、彼らに向かって優しく微笑みかけている……。
少女がはにかんだように笑う。それは、彼の知る笑顔とは少し異なるが、より彼女らしい気もするのだった。
そうか。ノーマンは思った。これが、君という人間の、本当の姿なんだな、と。あの時目にしたのは、そのほんの一部に過ぎない。考えてみればそうだろう。人は、時間をかけて他人を理解して行く。一生という限られた時間の中で、それでも人は、ゆっくりと己を知り、他人を理解するのだ。
だが、これからはたっぷりと時間がある。何に追い立てられるでもない。納得の行くまで、好きなだけ時間をかければよい。それが出来る場所に行くのだから。
「そういえば、名前を聞いてなかったね」
手を取る少女に、ふと何気なく尋ねる。振り仰ぐ少女は、まるで、その問いを待っていたかのように、輝くばかりの笑顔で応えてくれた。
私の名は——
「告死天使」完
※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。