若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

2.南米の風

『降下二、06。続いて07、09。陸戦タイプのみ』
 観測班からの歯切れの良い報告が、ヘッドホンを震わせた。有線で伝わる通信は、ミノフスキー粒子散布下にあっても明瞭だ。
『各機、照準合わせ』
 隊長の落ち着き払った声が、静かに響く。
『存分に引きつけてから葬ってやれ。慌てる必要はない。地の利はこちらにある』
 グリップを握る手に、我知らず力が入る。同時に、漠然とした不安が薄れるのをミハイルは感じた。
 そうだ。確かに急な攻撃だったかもしれないが、こうして待ち伏せの陣形を整えている。アマゾンの密林で、ノイズに惑わされることなく敵機の情報が得られるのは、ここが我が軍の本拠地なればこそ。そのただ中に飛び込んでくるジオンのモビルスーツなど、いかほどのものか。
 ジムの振動センサーが、大地に重く響く巨人の足音を捉えた。各地を我が物顔で蹂躙した一つ目たちが繰り出す、行軍の音色。悪夢の響き。だがそれも、過去のものだ。
『——来ます』
 観測班が短く告げる。
『トラップ発動と同時に一斉射。以後、散開して各個に叩き潰せ』
 隊長が命じる間にも、正面の林から姿を見せる淡いグリーンの機体。ツノ付きを先頭に、二機目が続く。わずかに遅れて、怒り肩を揺らす青い07グフ。ミハイルは機の腕をほんのわずかに動かすと、先頭に立つ06ザクの腹部を、ターゲットスコープの真ん中に納めた。
 右端のツノなしが、ワイヤーをひっかける。同時に爆発が起こり、彼らの足下にある土が勢いよく舞い上がった。のけぞるツノ付き。
『撃てぃ!』
 パウエル中尉の号令一下、第638MS中隊各機は、猛然と砲火を放った。ツノ付きが全身を蜂の巣にされ、瞬く間に活動を停止する。無惨な屍を晒すように、ゆっくりと倒れゆく緑の巨人。
 だが、そのコクピット内の惨状を想像する余裕は、ミハイルにはなかった。カモフラージュネットをかなぐり捨て、一気に機を走らせる。ツノなしが狂ったようにマシンガンを掃き鳴らし、同様に隠れていた支援車両の一台が、瞬く間に鉄屑と化した。
「このおっ!」
 僅かな間をおいて吹きあがる爆炎を後目に、ミハイル機が撃つ撃つ。もちろん、足は止めない。シールドをかざしてセンサーを保護しつつ、セミオートで十数発を叩き込む。
 散々にかき乱して敵機の動きを止める。それが、ミハイルに与えられた役割だった。
 無理に仕留めようと思うな。隊長の教えがこだまする。動きを止めさえすればこっちのものだ。止まった的なら61式にだってやれる。チームで勝てばそれでいい——。
 膝頭に銃弾を受けたザクの歩みが一瞬、止まる。その機を逃さず、別方向から飛んできた砲弾がザクの腹部を砕いていった。
『ぃやった!』
 同期のパイロット、アンドリュー・キーツの歓声が響く。え? と思わず後ろを振り返るミハイル。直立姿勢でバズーカを構えるジムの姿が目に入る。
「お前、後方支援役は……!」
『散開しろ!』
 隊長が怒鳴るのと、戸惑うキーツの声が途切れるのは、ほぼ同時だった。ザクの爆炎を突き破って飛び出た巨弾が、キーツ機のコクピットを文字通り粉砕したのだ。
 慌てて顔を戻すミハイルの視界に滑り込んでくる、十字架目玉のマッスルな機体。スカート付きとも呼ばれる09ドムが、モノアイを鮮やかに輝かせ、ジャイアントバズーカを片手に猛スピードで彼に迫る。
「わぁぁぁっ!」
 ミハイルは無我夢中でマシンガンを連射した。まぐれ当たりの数発が、ドムの右手から長大な得物をもぎ取る。だが、ドムはその爆発にひるむことなく、ミハイル機に向かって一気に突進した!
 強烈なショルダータックルを受けて吹き飛ばされた機体ジムが、地面に叩きつけられる。気を失いかねないほどの振動。かろうじてそれに耐えたミハイルは、だが、顔を上げた瞬間に凍り付く。
 赤々と燃える一つ眼が、無慈悲に彼を見下ろしていた。不意に訪れる静寂。背にした剣に腕を回すドムの動きは、さながらスローモーションの如く緩慢でありながら、決して止まることを知らない。
 白熱する刀身が、大きく見開いた瞳の先で燦然と輝く。天にかざされた灼熱の刃が、一閃の弧を描こうとしたまさにその時、静寂を突き破って伸びる数条の光が、ミハイルを死の硬直から解き放った。
 手首ごとヒート・サーベルを吹き飛ばされたドムが、大きく仰け反るようにして体勢を崩す。ミハイルは、頭で考えるよりも早く、乗機に指示を与えていた。
 上体を起こすと同時にシールドを捨てたジムが、左手を背に回して柄を握る。ランドセルより一気に引き抜くと、片膝立ちに移る挙動にあわせ、前方に向かって真っ直ぐに突き立てる。
 噴出口より形成されるビームの刃。それはドムの腹部を瞬時に融解し、コクピットを貫く光の剣が、ピンク色の切っ先を黒い背中に覗かせていた。
 対照的に、ドムのモノアイはその輝きを見る間に失ってゆく。一拍おいてだらりと虚脱する巨人。ビームの発生を納めるや、重厚なドムの機体は、糸の切れた人形さながらに崩れ落ちる。
 大きく肩で息をするミハイルは、敵機が生気のない瞳を虚空に向けて転がる様を見て、ようやくそれが物言わぬ鉄屑と化したことを知った。
 ふーっと力が抜ける。このとき彼は、脳の随まで弛緩しきっていたに違いなかった。なぜなら、左胸に中隊旗機章を刻んだジムが傍らに立って腕を伸ばしたことに、彼は全く気づかなかったのだから。
『准尉、動けるか?』
 リチャード・パウエル中尉の声で問われたミハイルは、シート上で文字通り飛び上がった。
 慌てて顔を上げ、見慣れたゴーグル顔にほっとし、慌ててトリガーに掛けた指を離す。一息つくのもつかの間、中隊長の下問を思い出し、またも慌てて計器チェックモニターを呼び出す。
 バランサー正常。各部制御系にも異常なし。
「だ、大丈夫です」
『なら、銃を取れ。67戦車中隊の支援に向かうぞ』
「キーツは……?」
『後続に任せておけばいい』
 にべもなく言うと、自機を歩ませ始めるパウエル中尉。
『B小隊!』
『続きます』
 リー・ユンファ少尉の声が応える。左手に目を転じると、胸元を大きくへこませた少尉のジムが、左手に握ったサーベルをランドセルに戻しながら、木々の合間をいくのが見えた。バズーカを担いだヤン・リョンホン曹長の機体が続く。だが、先陣を切ったはずのカルロス・ブーン曹長の機は、ついに現れなかった。
 ディスプレイの端で黒煙を上げる、青い敵機。めざとく見つけたミハイルは、その傍らにうなだれる影を認め、時折ノイズの走るモニターをズームさせた。
 果たして、一機のジムが大剣に腹部を貫かれ、息絶えているのだった。兵器こそ違えど、それはこの十一ヶ月間、飽きるほど見慣れてきた光景——。
 ミハイルは仲間の死を振り払うように頭を振ると、自機にマシンガンを拾わせた。中尉の機体を追って前に進む。
 スコア一。それが、ミハイルが初めて経験したモビルスーツ同士の戦闘における、ほろ苦い戦果だった。

 神父の祈りの言葉が流れる中、連邦軍旗にくるまれた二つの棺は、土を纏って大地へと還ってゆく。ふと、スコップを動かす手を止めたミハイルは、いまだくすぶる鉄の臭いを宿した風を受けながら、新たに切り開かれた丘の一角より風上を眺めた。
 海の方角に向かってジャブローを望むこの地には、あまたの墓標が傾いでいる。地下深くにある基地に対して等しく頭を垂れているのは、生き延びた者の武運を祈っているからか。あるいは、恨み言を連ねているからか。生あるミハイルには判らない。一つだけ確かなことは、ここが帰りを待つ人々を先に失った兵士たちが眠る、無縁墓地であるということだ。
 もしかすると、彼らは一様に己が運命を儚み、遠く大海から届く風雨に身をよじらせているのかもしれない。同じようにスコップを振るうグループが幾多も居るのに気づいたミハイルは、やるせなさを覚えながら再び腕を動かし始めた。アンドリュー・キーツの棺をくるむ軍旗が、見る間に姿を消してゆく。
 棺の中を見る気には、とてもなれなかった。胸から上を吹き飛ばされた機体を目にしてしまえば、その中のものがどんな状態にあるか、嫌でも想像がつく。ミハイルにできたことといえば、アンドリューが大切にしていた家族の写真を、棺と軍旗との間に挟み込むくらいのものだ。
 掘り出した土を一通り戻し、粗末な墓標を立て終えたところで、神父とスコップを担いだ二人の二等兵は軽く頭を下げた。埋葬を待つ者はまだまだいる。隊長の礼もそこそこにきびすを返す彼らを見送りながら、ミハイルはしばし感慨に耽った。
 まかり間違えば、自分も彼らの世話になっていたのだ。首に下げた小さなブーメランを、無意識に握りしめる。隊長の援護のおかげで、自分は辛うじて戻ってくることができた。だが——。
 と、その視界に、横から小さなグラスが差し出された。振り向くと、ヤン・リョンホン曹長が半分ほどに減ったウイスキーボトルを片手に、角張った顎をしゃくる。ミハイルがグラスを受け取るや、曹長は瓶の中身を黙って注ぐのだった。
 いったいどこから調達してくるのか。常日頃、酒を欠かしたことのない曹長だったが、このときばかりは愛用の酒筒ではなく、酒瓶そのものを携えていた。懐から取り出した小グラスを、黙って満たして行く。そうして、背後を向いて姿勢を正した。ミハイルもまた、曹長に倣って向きを変え、背筋を伸ばす。
 同じようにグラスを手にしたパウエル隊長は、一同の視線が集まるのを待って、毛深い腕を軽く上げた。
「勇者達に」
『勇者達に』
 異口同音に続いて、一息にグラスをあおる。焼け付く琥珀色の液体が、肺腑を燃やすかの如く駆け抜けて行く。
 思わずむせたミハイルに、ヤン曹長は「だらしねぇぞ」と笑って、二つの墓標にウイスキーを軽く浴びせ、ボトルをラッパした。その傍らで屈み込むリー・ユンファ少尉。
「……全く、先走りやがって」
 カルロス・ブーン曹長の濡れた墓標に向かって、ぽつりと漏らす。細面の表情までは窺えないが、少尉の背中は心なしか、震えているようにも見える。
 そんな少尉の肩にぽんと手を置いて、パウエルは一口つけた煙草を曹長の墓前に添えた。二言、三言、言葉を交わす。そういえば、二人は死んだ曹長とは開戦前からの付き合いと聞いた。積もるものがあるのだろう。
 ミハイルはアンドリュー・キーツの墓標を見つめた。モビルスーツ乗りになる前には、幾度も大空を共にした仲だ。胸元に手をやり、掌に乗せたブーメランに目を落とす。
 大空で死ねなかったアンドリューは、やっぱり無念だったろうか。いや、ザクをやれたんだから、本望だよな——。
「ミハイルは、アンドリューとは同郷だったか」
 隊長の声が傍らに聞こえた。
「はい。ジャブローに移って以来、一緒でした」
 ゆっくりと顔を上げ、答える。
「隊長とブーンさんも?」
「ああ。ルウムを共に生き延びたが……案外とあっけないものだな」
 ミハイルが何気なく尋ねると、パウエルは言って、遠くを見つめた。くわえた煙草をひとしきり吸って、大きく長く、息を吐く。
「これで、当時の仲間はユンファだけになったよ」
 その言葉に驚いたのは、他ならぬリー少尉だった。
「ギブソン中尉が?」
「三日前だ。敵のパトロール艦隊と派手にやり合ったらしくてな。一艦を道連れに逝ったよ」
「そうですか……」
「少尉殿」
 気落ちするリーに、ヤンがボトルを差し向けた。リーは黙ってグラスに受けると、先ほどと同じように、最後の一杯を一息に空ける。
「さて、死者を悼むのはここまでだ」
 それを見届けて、パウエルは手を叩いた。一同の視線が彼に集まる。誰ともなく表情を引き締めるのは、彼が次の戦場の話をするのだと気づいたからだ。
「決まったんですかい?」
「ああ」
「アフリカですか?」
「いや」
 ミハイルの問いに小さく頭を振るパウエルは、わずかに間を空けると、よく通る声で静かに告げた。
「我々は宇宙そらへ上がる」
「宇宙……」
 その単語を、ミハイルは思わず反芻していた。つと顔を上げ、天を見上げる。
 飛び慣れたこの青空のずっとずっと先、大気の壁を突き破った先にある星の海。太平洋より遙かに広大な宇宙は、敵国ジオンの庭のようなものだ。その漆黒の海に、自ら飛び込もうとしている。
 背筋を走り抜ける戦慄。
「ミハイル」
 上空を仰ぎ見るミハイルの肩を、パウエルは叩いた。はっと顔を戻す彼に、銀色のペンダントのようなものを差し出す。
「こいつはお前に預ける」
 所々赤い色のこびりついたそれは、アンドリュー・キーツの名を刻んだ認識票である。ミハイルは目を見開いた。
「生きて戻って、故郷の土に埋めてやれ」
 小さなプレートを手に握らせながら、パウエルは言う。
 ちょうどそのとき、耳をつんざく轟音が、ジャブローの地に轟いた。目映い光点が三つ、長大な噴煙を曳いて天空を目指す。遠征に旅立つ宇宙艦艇が織りなす、力強い造形だ。
 その迫力に勇気づけられ、ゆっくりと大きく頷くミハイル。一陣の風が、胸元の小さなブーメランを揺らした。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。