若き鷹の羽ばたき
作:澄川 櫂
16.出撃
「敵さんもソーラシステムですかい」
「威力は段違いのようだがな。発射角が少しずれていたら、我々も危なかった」
緊急の幹部ミーティングから戻ったパウエルは、さすがに表情が硬かった。今回はたまたま助かったが、第二射があればあっさりとやられてしまうことだろう。
ジオン軍内部でソーラ・レイと呼称されたそれは、ジオンの密閉型コロニーを転用した超大型のレーザー兵器であるが、連邦軍がそのことを知るのは終戦後のことだ。まして、突貫工事で建造されたが故に、第一射であえなく使い物にならなくなっていたなどとは、この時の彼らは夢にも思わない。
それはさておき、連邦遠征軍が参加主力艦艇のおよそ三分の一を失ったのは紛れも無い事実である。総大将レビル将軍亡き今、彼らの戦いが困難を極めることは火を見るより明らかだった。
「次がないことを祈るばかりですね」
「全くだ」
リーに応えたパウエルは、そこでようやく、若手三人の姿が揃って見えないことに気付いた。
「ミハイル達はどうした?」
「嬢ちゃんが席外したまま戻らねえんで、二人して探しに行ってますわ」
正確には、先にアルバートが探しに出た後、ミハイルがそれを追いかけたのだが、ヤンはそのことに触れなかった。パイロットに出されていた待機の指示を気にして躊躇っていたミハイルに、ヤンが発破をかけたのだ。アルバートなんかに負けるなよ、と。
「そうか……」
パウエルも深くは問わなかった。誰もが衝撃を受け、多かれ少なかれ恐怖心を抱いている。いざ戦闘が始まれば、それでも戦ってもらわねばならないのだが、今は無理を強いる時ではなかった。
先の緊急ミーティングでは、第117MS中隊がア・バオア・クー要塞への突撃第二陣に決まったと伝えられた。重要な決定ではあるが、今更ミーティングが必要とも思えない。
「モニカ?」
ロッカールームの暗がりを覗いたミハイルは、人の気配を感じた気がして灯りを点けた。果たして、一番奥の半開きになったロッカーの陰に、モニカの背中が見える。
「こんなところにいたのか。いったい……」
ミハイルの声が途切れたのは、振り向いたモニカが、瞳いっぱいに涙を湛えていたからだ。動揺するミハイルに、モニカは床を蹴って抱きつくのだった。
「——ごめん。少しだけこうさせて」
そう言って、ミハイルの胸元で身体を丸め、頭を押し付ける。次いで上がる嗚咽。震える肩にそっと腕を回して抱き留めると、彼女はより深く、頭を押しつけてきた。
ミハイルはようやく悟った。モニカがいかに恐怖心を押し殺して過ごしていたかということに。普段の明るい振る舞いは、もちろん本人の性格がさせていたことだろうが、自分を支えるための演技でもあったのだ。その反動が、今になって一気に押し寄せたのだろう。
場を明るく盛り上げるモニカの様子をアルバートが時折、複雑な表情で見つめていたのはこのためだったのだ。
——見かけほど強くないよ、モニカは。
アルバートがコンペイトウで口にした言葉が脳裏に響く。
「……ありがとう。落ち着いた」
しばらくして、モニカはようやく口を開いた。目元の涙を拭って顔を上げる。両足を床につけるまで支えてくれたミハイルに、モニカは照れ笑いを浮かべた。
「あの光を見たら、いろいろ怖くなって。震えが止まんなくなっちゃった」
「大丈夫か?」
「うん、もう平気。ミハイルのおかげですっかり止まった。人の温もりは偉大ね」
心配顔で尋ねたミハイルに、にっこりして応えるモニカ。その眩いばかりの笑顔は、ミハイルの心を大いに揺さぶるのだった。
「こんなタイミングで言うことじゃないかもしれないけど……」
ひとつ大きく深呼吸をすると、ミハイルはそう切り出した。小首を傾げる彼女に向かい、思い切って告げる。
「モニカ、この戦争が終わったら、僕と一緒になってくれないか?」
突然のことに固まるモニカに構わず、ミハイルは言葉を続けた。
「初めて会ったときからずっと、君の笑顔に惹かれてた。なんというか、いろいろ凝り固まってた僕の心を解きほぐしてくれた気がして。モニカがいたから、今、こうしてここにいられるんだと思う。だから僕は、君の側にいて、君を守りたい。君の笑顔といつまでも一緒にいたい」
困惑するモニカの表情が、穏やかな笑顔へと変わる。だが、口元を弛めたのもつかの間、モニカは申しわけなさそうに頭を下げるのだった。
「ありがとう。でも、ごめんなさい。あたしは……。ミハイルが嫌いとか、そういうことじゃないんだけど、その……」
「——アルバート、か?」
ミハイルの言葉に、こくんと肯くモニカ。
「アルは……アルバートは、私が一番辛かった時に支えてくれた。何かと私を励ましてくれた。自分だって相当辛かったはずなのに……」
言って、虚空に視線を移すモニカの瞳に薄っすらと涙が浮かぶ。彼女が何を想っているのか、今のミハイルには容易に想像がついた。
まだ短い付き合いだが、アルバートがいかに自身の感情を抑えて過ごしているか、ミハイルはよく知っている。たった一度だけ、自分の不用意な言葉にキレた時の様子から察するに、その溜め込みようは生半可なものではない。他人を思いやるあまり、冷静を装って抑えに抑え込んだ感情は、行き場のない怒りとなって沸々と渦巻いている……。
「我慢の過ぎるところがあるものな、あいつ」
小さく頷いて続けたミハイルの言葉に、モニカの顔が輝いた。ミハイルのアルバート評が的を射ていたからだろう。モニカは指先で目元を拭うとミハイルを見つめた。はにかみつつも真っ直ぐに目を合わせたのは、ミハイルの好意に対する感謝の意味があったのかもしれない。
瞼を伏せ、胸の前で両手を組み合わせるモニカ。
「だからね、この戦いを生き残れたら、今度は私が支えてあげたいんだ。たとえほんの少しでも、アルの力になってあげたい。この生命が続く限りずっと。ずぅっと……」
一言一言を噛みしめるようにして、彼女は自身の想いを紡いだ。その姿に、ミハイルはアルバートに到底敵わない、距離の違いを感じずにはいられなかった。
「やっぱ勝てないかぁ、アルバートには」
ミハイルは小さく息を吐くと、努めて明るく言った。心の内に積み上げられていく悔しさと嫉妬が、口の端から漏れることのないよう祈りつつ。
「次があるか判らないから、出撃前にはっきりさせておきたかったんだ。モニカもさ、気持ち、ちゃんと伝えた方が良いんじゃないかな」
「え?」
「アルバートも心配して探してるよ」
その言葉に、モニカは目を見開いた。瞼の端に僅かに残る水滴を振り払う。
「……そうだね。うん、そうする。ありがとう、ミハイル」
笑顔で礼を述べて、モニカは通路へと流れた。ロッカールームの入り口で振り返り、もう一度「ありがとう」と言って流れて行く姿を見送ったミハイルは、しばしの間を置いてため息をついた。両方の腰に手を当てて、力なく足元に視線を落とす。が、すぐに頭を振ってロッカールームを出るのだった。
モニカに言った言葉に偽りはない。半ば予期していたことでもある。それでも……。
ふと気がつけば、ミハイルは展望室に向かって流れていた。宇宙を行く僚艦、あるいは、星の海そのものに、傷心を慰めてもらいたかったのかもしれない。
そうして辿り着いた展望室には、思いもよらない先客がいた。手すりにつま先を引っ掛け、宇宙をじっと見つめる一人の女性。ミハイルの気配にゆっくりと振り向いたのは、ブリッジに詰めているはずのコーネリア・ルースであった。
「どうしたんだ?」
こちらに顔を向けたままぼんやりしているコーネリアの様子に、ミハイルは言いながら体を浮かせた。展望室の中程に向かってゆっくりと流れ、天井に片手を突いて向きを変える。目線のみを動かしてそれを追うコーネリアの表情は、どこか冴えない。
ミハイルが手すりを両足で挟んで器用に静止する姿を見届けてようやく、コーネリアは口を開いた。
「……さて、あんたと同じかな」
「え?」
「振られたんでしょ?」
出し抜けに言われて固まるミハイル。コーネリアは乾いた笑みを浮かべると、宇宙に視線を戻して続けた。
「あたしも玉砕。やっぱり、モニカには勝てなかったなぁ」
どこか遠くを見つめるコーネリアの横顔に、ミハイルは自分も同じような表情をしていたのかと思い、正面を見やった。窓ガラスに映る二人の顔は、揃って意気消沈していた。
「私もさ、アルに助けてもらった口なんだ」
やがて、コーネリアはぽつりぽつりと語り始めた。
コーネリアとモニカの付き合いは古い。フットサルクラブのジュニアの部で知り合って以来、チームを共にしてきた仲だから、もう十年になるだろうか。同じハイスクールへと進学した二人は、わずかな仕草で互いの気持ちが伝わるほどに友情を深めていた。
年明けから間もなかったあの日、牛乳配達をしていたコーネリアは、空襲警報が鳴った時にたまたまシェルターの近くにいたことが幸いして命を繋いだ。そして、何も分からぬまま不安に満ちた数刻を過ごしたところで、プチモビールを操るアルバートによって救い出されたのだった。
「あの時のアル、すっごく格好良かった。ざわめく皆を落ち着かせながら、冷静に淡々とあたし達を船まで運んでくれて……」
その後も何度となく宇宙へと出て行ったアルバートが、最後にモニカを伴って帰って来たとき、コーネリアは周囲の目もはばからず床を蹴っていた。モニカもまた、親友の姿に気付いて顔を涙でくしゃくしゃにしながら、真っ直ぐに飛び込んでくるコーネリアを全身で抱き止めてくれたのだった。
「互いの無事を知って、あたし達、二人ともわんわん泣いた。人前であんなに泣いたの、子供の頃以来じゃないかな」
ひとしきり泣いた二人がようやく顔を上げた時、プチモビールに向かって流れるアルバートの背中が見えた。再びコクピットに収まり、取り付いたメカマンと言葉を交わしながら格納庫の奥へと機体を移動させる姿は、いま思い出しても心強い。
「たぶん、あのときだと思う。アルのこと好きになったの。でも、お礼を言うたびにそのことを伝えようと思ったのに、いざとなるとなぜだか言い出せなくて……。今だから言えることだけど、モニカが同じように彼を好いてると判ってたから、抜け駆けをどこか後ろめたく感じていたのね」
ルナツー到着後、連邦軍と共にジオンと戦うことを決めた若者達は、適性検査の後にそれぞれの所属部署へと配属された。アルバート、モニカ、コーネリアの三人は、全員がパイロットを志望したのだが、コーネリアのみが適正なしとしてオペレーター養成課程に回されたのだった。
アルバートとモニカの距離が急速に縮まったと思えたのはその頃からだ。互いを助け合う中で、言外の意思疎通を深めて行く二人。以来、コーネリアはアルバートに対する想いを伏せてきた。
ダニエル・ワット少尉と仲良くなったのも、半分はそれが理由であったのかもしれない。だが、少尉は彼女が軽口を叩いて送り出したあの日を最後に姿を消し、コーネリアはともすれば沈みがちな気持ちをなんとかして奮い立たせてきた。仲睦まじいアルバートとモニカの様子に、時折嫉妬しつつ。
「私もパイロットだったらなぁ」
しみじみと続けたコーネリアのひと言に、ミハイルは深く嘆息した。
「パイロットだから勝てる、てもんでもないよ」
「そうかぁ」
説得力溢れる一言に、コーネリアが天を仰ぐ。しばしの沈黙を経て、彼女はぽつりとこぼした。
「あの二人、幸せになれると良いね」
「なれるさ」
不思議なことに、それは自然とミハイルの口を衝いて出ていた。
「きっと守ってみせる。今さら一人になんてさせてたまるか」
隣から多いに驚く気配が伝わってきた。顔を向けると、手すりから足を離したコーネリアが、窓ガラスを背に漂っている。まじまじとミハイルを眺めた彼女は、あからさまに呆れてみせた。
「……あんた、変わってるわね」
「ん?」
「振られた相手はともかく、ライバルまで守るわけ?」
「……そういうお前はどうなんだよ」
心外そうに口を尖らせるミハイルの言葉に、はたと気付いて間の抜けた顔で固まるコーネリア。ややあって、二人はどちらともなく笑い出した。展望室の大きなガラスの中程に、文字どおり腹を抱えて宙に浮かぶ若者の姿が映る。
ひとしきり笑い終えると、コーネリアは目元を腕で拭いながら言った。
「そっか、似たもの同士だからか」
「え?」
きょとんとするミハイルにくすくす笑うと、真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。
「ミハイル、自棄はなしよ。待っててあげるから。あたし」
瞬間、ミハイルは冷えきった己の心に温もりが宿るのを感じた。
「……ありがとう。コーネリアも」
言って、拳を目の高さに上げてみせる。その意図するところを知ったコーネリアが同じように拳を掲げ、二人はどちらともなくトンと合わせるのだった。
「いたいた。やっぱりここだったか」
程なくして、展望室に別の声が響いた。
「お、ミハイルも一緒じゃん。助かったー。探す手間省けたぜ」
「ロッド?」
「どうしたんだ?」
「補給品の中に変なもんが紛れててさぁ。詳しくは移動しながら話すよ」
手すりを掴んで流れる体を止めたロドニー・マコーミックは、言うや反転して二人に付いてくるよう促した。
それはカートリッジ式のインスタントプリント機能を備えたデジタルカメラであった。広報部だかの備品が、なぜかヨークトンに送られてきたらしい。
「カートリッジの残が少しあるから、とりあえずパイロットの記念撮影でもと思ってさ。今のメンバーになってから、まだ撮ってないだろ」
「そうだっけ?」
小首を傾げるアルバートの傍らで、モニカが「そうだよ」と嬉しそうに頷く。三脚替わりの脚立にカメラを乗せ、ピントを調整するロッドは、すぐ側で腕組みするコーネリアに向かって声をかけた。
「せっかくなんだから一緒に入れよ。あと一人分くらいは確実にプリントできるぜ?」
「……遠慮しとくわ」
「ホント、写真嫌い直んないのな」
呆れるロッドの言葉にコーネリアの新たな一面を知ったミハイルは、襟元を整えるとリーを挟んでアルバート達の反対側に立った。
結局、パイロットのみでの撮影となった。カートリッジの残数が微妙なこともあって、皆が遠慮したのである。中隊長のパウエルを中心に、向かって右側がA小隊、左側がB小隊の並びとなった。打ち合わせでたまたまヨークトンにいたC小隊を束ねるニューマン少尉は、一番左端に遠慮がちに佇んでいる。
「んじゃ、行きますよ」
ロッドの合図で撮られた写真は、まず若手三人の手に渡された。ヤンがロッドからカメラを受け取り、パウエル以下の士官にプリントして渡す役を引き受けたのは、序列を無視したロッドを見かねたからではなく、コーネリアを含めて盛り上がる若者達を気遣ってのことだ。
「若い、てのは良いもんですなぁ」
「全くだ」
パウエルはもちろん、リー、ニューマン両少尉も、彼らの様子を目を細めて見守る。アルバート、モニカ、コーネリアにロッド。そしてミハイル。和気あいあいとした空気が、困難な戦闘を前にしたモビルスーツデッキの緊張を和らげていく。
「ん? まだ残ってるのか」
自身の分をプリントし終えたヤンは、カートリッジにまだ残があるのに気付いて、カメラを彼らに向けた。五人の顔がフレームインしたタイミングを見計らって、シャッターを切る。
「ミハイル」
解散になったところで、ヤンはミハイルを呼び止めた。
「ラスト一枚だ。お前が持っておけ」
そう言って、先ほど別に撮った写真を手渡す。それを目にしたミハイルは、思わず感嘆の吐息を漏らす。
そこに写る五人の顔は、いずれも緊張とは無縁の、自然な笑顔を浮かべていた……。
ヨークトンに前進命令が下った。艦外で警戒に当たっていたモビルスーツ隊はいったん収容され、補給および携行武器の追加を受ける。ソーラ・レイの一撃で主力艦隊が打撃を被った結果、戦闘艦と随行する補給艦との構成比率が変化し、モビルスーツの携行武器の在庫は笑ってしまうほどに余裕があった。
「どうせ使い捨てるんだ。ケチケチせず持てるだけ持たせてやれ」
「班長、このビームライフルは?」
「そいつはアルバート機だ。それで空くビームガンはミハイル機へ。予備サーベルも二本追加!」
「了解!」
ターナー曹長とロッドを始めとする整備員達の声がモビルスーツデッキに溢れ、モビルスーツ各機はハリネズミさながらに武装された。モニカのガンキャノン量産型でさえ、両手にバズーカ砲を握っている。
「第一戦闘速度に到達。加速を終了」
「あと二分で敵要塞の防衛圏に入ります。モビルスーツ隊の発艦は三分後。ハッチ開放」
サリバン中尉の報告に続くルースの声に合わせ、ヨークトンに六基備わるモビルスーツ用ハッチが全開放される。準備の整ったモビルスーツ各機は、激しい戦闘の光を正面に臨む位置へと引き出された。
遠くに見えた光は見る間に大きくなり、やがてヨークトンの周囲にも、鮮やかな砲火が流れるようになった。僚艦の主砲が正面に向かって火を噴く。
対してヨークトンの主砲は、左右がそれぞれ角度を変えて応射するのだった。モビルスーツハッチが主砲の前方に位置するからだが、三百六十度全てが戦場たりえる宇宙にあっては、かえって相応しい対処に思えた。
「敵要塞防衛圏に侵入。モビルスーツ各機、発艦まであと一分」
そう告げたコーネリアは、少し間を置いて「ミハイル」と呼び掛けた。それきり言葉を続けることはなかったが、彼女の意図はミハイルに確かに伝わった。
「ああ」
親指を立てて応えるミハイル。モニターに映るその顔に微笑みを返したコーネリアは、カウトゼロに合わせて小気味よく指示を発した。
「全機発艦!」
鮮やかなテールノズルの光を残して次々と飛び出して行くモビルスーツ。目指す傘型の小天体は、幾重に交錯する閃光の奥底に、その威容を浮かべていた。
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