若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

終.U.C.0085年7月

 その決定を知らされた瞬間も、彼が取り乱すことはなかった。どこかほっとした表情さえ浮かべているのは、決して気のせいではないだろう。
 彼——コーリー・バーンシュタインは、顎の無精髭を指先で撫でながら先を促した。
「で、いつになる?」
「本夕刻、十六時」
 ダニエル・オーウェンの簡潔な答えに、壁の時計を見やるサイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーン。およそ六時間。それが、彼に残された現世の時間。
「……四年も待たせた割に、いざ執行となると早いものだな」
「大臣自身の思い付きで決裁されては、さすがに止める手立てがなかった。すまない」
 揶揄する“グリズリー”に、オーウェンはそう言って頭を下げた。さぞかし言い訳がましく聞こえるだろうが、紛れも無い事実なのだから、他に言いようもない。もっとも、それを嗤うようなバーシュタインでもなかった。
「あんたが謝ることじゃないだろう」
 穏やかに応じると、オーウェンが顔を上げるのを待って続ける。
「それに、覚悟はとうの昔にできている。早々に片を付けてくれる方がありがたいと言うものさ」
 収監以来、何度となく顔を合わせている旧ジオン公国軍少佐は、すっかり打ち解けた口調で言った。前に会った時よりまた少しやつれた様子を見れば、それは本心から出た言葉に違いなかった。
 死刑判決確定から四年。思えばむごいことをしたのかもしれない。
「勘違いしないでくれ。あんたには心底感謝している」
 沈黙するオーウェンの心情を察したのか、バーンシュタインが先に口を開いた。
「デラーズ大佐の件で報復処刑されることもなく、ジオン公国軍士官として、こうして公式に銃殺に処されるんだ。絞首刑でも文句の言えない身の上からすれば、過ぎた扱いだと思っている」
「そう言ってもらえるといくらか心が楽になるよ」
 応えるオーウェンの言葉にも嘘はない。が、心情的にはやはり口惜しかった。
 法廷で挙げられた罪状を大筋で認め、上告することなく服役したバーンシュタインは、絵に描いたような模範囚であった。直接矛を交えたサイド2ハッテ義勇軍の生き残りは当初よりその死を望んでおらず、また、軍の調査に協力を惜しまなかったこともあって、刑の執行が先延ばしされてきた。
 水面下ながら、罪一等を減じて終身刑とする動きも出ていたのだ。その矢先のことだけに、当事者の一人としては無念でならない。
「あの時、取引に応じてくれていたならな」
「……どうしてそこまで俺のことを?」
「こう見えても元は戦闘機乗りでね」
 オーウェンは言うと立ち上がり、左手にある窓に寄った。目を細めながらガラス越しに空を見上げる。
「君のことは英雄とまでは言わんが、目標のひとつと定めていた。ヤシマ杯の伝説の覇者が再び過激に宇宙を舞う姿を見たかった、という理由ではダメかな」
「それは……光栄です」
 にわかに口調を改めたバーンシュタインは、虚空を見上げながら「英雄、か」と漏らした。彼が何を想っているのか、投降前後の経緯をつぶさに知るオーウェンには、手に取るように判った。
「そう言えば、あの時の曹長は、その後は?」
「アルバート・デュラン少尉か。正式に連邦宇宙軍の所属となって、今は家族と共に復興したサイド1ザーンに暮らしている」
「そうか、サイド1ザーンに」
 思いもかけず飛び出した古巣の名に、バーンシュタインは遠い目をした。さすがに感慨深いものがあるのだろう。
「確か、同僚と結婚したんだったな」
「ああ。子供も健やかに育っているそうだ」
「それは何より。で、もう一人の方の消息は……まだ?」
 その問いには無言で応えるオーウェン。バーンシュタインは嘆息した。
「……残念だな。あのまま腕を磨けば、俺を凌ぐモビルスーツ乗りになったろうに」
 独り言のように続ける声音からは、一年戦争で相対した若者を真に惜しんでいる様子が伝わってくる。
 この男は根っからの闘士なのだ。オーウェンは改めて思った。自らの腕のみを頼りに身命を賭して宇宙を駆け、ライバルの技量を讃え、互いを高め合う。たとえその途中で果てるとしても、満足して逝ったに違いない。
 戦争の時代にさえ生まれなければ。
「失礼します。少佐殿、そろそろ……」
 ノックと共にドアを開いた顔見知りの刑務官が、申し訳なさそうに口を挟んだ。約束の時間はとうに過ぎている。
「ああ、ありがとう」
「いよいよ今生の別れか。何かと世話になった」
 席を立ち、オーウェンの傍に歩み寄って片手を差し出すバーンシュタイン。
「達者でな」
「互いに、と返せないのが残念だ」
「一足先に待っている。すぐに来ないことを祈るよ」
 固い握手を交わして二人は別れた。微笑みの奥に数多の感情を潜めて。

「なんだ、律儀に待っていたのか」
 収容所を出たオーウェンは、正面に黒い軍服に身を包んだ人物が佇む様を見つけて声をかけた。起伏に乏しい瞳がその声に応えて振り返る。
「他にやることも無いからな。補給を受けられると思えば安いものさ」
「感動の再会を果たしても良かったんじゃないのか?」
「戦没した人間が顔見知りに会うのはまずいだろう」
「それで口外する“グリズリー”でないことは、君が一番解っていると思ったんだがな。ミハイル」
 そう言ってオーウェンが左手を肩に乗せた精悍な男は、バーンシュタインが気にしたいま一人の若者、ミハイル・カシスその人だった。
 いや——。
「ああ、すまん。ロッコ中尉と呼ぶべきだったな」
「俺とあんたの仲だ。好きに呼べば良いさ」
 別の姓で声をかけ直したオーウェンに、ミハイルはつまらなそうに応えた。ア・バオア・クーで彼の部下となって以来、幾度となく姓を変えたミハイルにとって、書類上の呼び名など大した意味を持たない。
「しかしまあ、名を変えたくないと言われたときには面食らったものだが、こうして自然に話ができることを思えば、まんざら悪い手でもなかったな」
 肩をすくめて続けたオーウェンの言葉に、束の間、あの日のことを思い出すミハイル。
 きっちり四十八時間後に再訪したオーウェンから決意を問われたミハイルは、ひとつだけ条件を出した。それが、自身のファーストネームを決して変えないと言うものであった。
 偽名を使うことそれ自体は構わない。が、オーストラリアの大地に消えた両親より与えられた名前だけは、記録に留めておきたかったのだ。自身の生きた証として。
 当初は渋ったオーウェンであったが、よくある名前であることもあって、結局はそれを受け入れた。そして結果から言えば、親しみを込めて呼びかけられたときに自然な反応ができるという点において、ミハイルの任務遂行に多大な貢献を果たしたのである。
「ティターンズの制服もだいぶ板についてきたじゃないか」
 オーウェンは話題を変えた。連邦様式の黒い制服のことだ。鷹の紋章を縫い付けたそれは、治安維持を目的として新設された特殊部隊の証——。
「あんたもてっきり応じるものだと思っていたんだが……」
 ようやく表情を変えるミハイル。移籍直前まで属していた特務部隊と近しい性格のティターンズは、地球出身者で固めたエリート部隊として位置付けられていた。故に、同じ階級でも正規軍に対して二階級上の権限が与えられている。
 ティターンズ中尉たる今のミハイルは、かつての上官である連邦軍少佐のオーウェンと同格であった。常日頃、部隊の独立性を保つことに腐心していたオーウェンにとって、大佐級の権限を得られることはまたとないチャンスであろう。
 そのミハイルの疑問に対して、オーウェンはこれ以上無い簡潔さをもって応えた。
「私はバスク・オムが嫌いでね」
「……なるほどな」
 ティターンズ総司令のバスク・オム大佐には悪い噂が絶えない。また、デラーズ紛争の折に彼が地球周回軌道上で行った忌むべき所業。公式記録には残されていないものの、ミハイルのように多少なりとも諜報活動に縁のある人間には、公然の秘密だった。
「確かにあれは、最低の男だ」
「所属組織の長に対して、その言い草はまずいんじゃないのか?」
 オーウェンが揶揄する。大佐という人物を知った上で、彼の配下となったミハイルを皮肉ったのだ。
「辺境で口にする分には問題ないさ」
 ミハイルはそううそぶくと、彼方にウルルを臨む乾いた大地を見やった。
 ストレス続きのミハイルにとって、故郷の光景は何よりも心落ち着く良薬である。その横顔は実に穏やかなものだった。オーウェンの表情が緩む。
「突然呼び出して済まなかったな」
「気にするな。ここには元々立ち寄るつもりでいたし、むしろ良い口実ができて助かったくらいだ」
 任地変更に伴う移動当日の早朝、オーウェンからの半年ぶりのコールで起こされたミハイルは、ピックアップの依頼を一も二も無く受け入れた。単独行動の理由を探していた彼にとって、渡りに船とはまさにこのこと。
 かつての部下の想定どおりの反応に、オーウェンは苦笑した。
「ウィスラーとは相変わらず反りが合わんか」
「あいつは細かすぎる」
 現在のミハイルの直接の上官は、かつての同輩だ。ティターンズへの参加は当初、部隊単位で打診があったのだが、隊長であるオーウェンはメンバーの自由意志に任かせる旨を回答した。そして、彼自身は参加を断ったため、先任のウィスラーが昇格してチームを束ねることになったのだった。
 ウィスラーの昇格そのものに異存はなかったのだが、彼が上官となって以来、彼との相性の悪さを改めて噛みしめているミハイルである。
「だが、統率力に長けている。他者に対する評価も公正だ。そのことはお前も解っているだろう?」
「そりゃまあ……」
「あれはそういう性格なんだ。慣れろよ」
「……努力する」
 ぐうの音も出ないミハイルは、辛うじてそれだけを言った。
「さて、そろそろ戻らねばな」
「帰りはどうするんだ?」
「小型機のひとつを好きに使うくらいの権限は私にもあるよ。それでトリントンへ出て、定期輸送便に便乗するさ」
 片手をひらひらさせながら滑走路に向かって歩いて行くオーウェンだったが、ふと気付いたように足を止めて振り返った。
「飲み込まれるなよ、ミハイル」
「解っている。伊達にあんたの下で三年働いたわけじゃない」
「だと良いがな」
 オーウェンは視線を上げた。ミハイルの背後に控える黒いモビルスーツを見やる。ベースジャバーに片膝を立てた姿勢で佇むその機体の名は、ジム・クゥエル。ティターンズ用に開発されたマシーンだ。
 その名に“鎮圧する”の意を込めた機体を主力とする組織が目指すものとは、一体なんであろうか。
(これから時代はどう流れるんだろうな。リチャード)
「どうかしたか?」
「いや……」
 肩をすくめてミハイルに視線を戻すオーウェン。
「今後、こうして会う機会もそうはないだろう。達者でな、ミハイル」
「ああ、あんたも」
幸運を祈るグッド・ラック

 数十分後、ミハイルの姿はシドニー湾——かつて街のあった場所——を望む高台にあった。やや傾いだ墓標の列に向かい、黙祷を捧げる。
 木を十字に結わえただけの粗末なそれは、全てミハイルが立てたものだ。この地に生まれた両親、メイ、アンドリューはもちろん、コーネリアやロッド等、ヨークトンで親しくした戦死者のものもあった。
 ひとしきり黙祷を終えたミハイルは、“ミハイル・カシス”の名を刻んだ墓標に歩み寄った。ひとつだけ、今にも崩れ落ちそうな体で傾いているその首元には、ブーメラン型の御守りが所在無げに揺れている。
 小さなブーメランを自身の墓標から丁寧に取り外すと、ミハイルはその傍らに立つ“メイ・ハーシェス”の墓標に向かって屈んだ。
「また、帰って来られたよ」
 そう声をかける。
 認識票を埋めたアンドリューの他は、オーストラリアの大地があるだけの、宿るもののない墓標だ。それでも、ここ以外に帰る場所を持たないミハイルにとっては、彼らと会話を交わすための、唯一のモニュメントなのであった。
「まさか持ち主の方を引き戻すとはね」
 御守りの紐を手にかざしてみせる。

 ——性能は折り紙付きなんだから。

 メイの自信に溢れた声が聞こえた気がした。くすりと笑って続けるミハイル。
「効力ありすぎだぞ」
 吹き抜ける風が彼の頬を撫で、ブーメランを揺らしていく。ミハイルは立ち上がった。
「久しぶりで宇宙に上がることになった。今度は少しばかり長くなりそうだ」
 そう言って、手にした御守りに視線を落とす。戦没した“ミハイル・カシス”の遺品として彼の墓標に残したそれを、今さら持って行くわけにはいかない。
 僅かな思案の後、ミハイルはコーネリアの墓標に寄って手を伸ばした。その首元の十字に結わえた縄に沿って、御守りをしっかり結びつける。
「無くすと大変だから、預かっていてもらえるかな」
 ア・バオア・クー戦を目前に控えたあの日、自分を待つと言ってくれた女性の面影に向かって声をかける。風に揺れる小さなブーメランが、かたりと音を立てて応えた。

 ——あの二人、幸せになれると良いね。

 脳裏に蘇るコーネリアの祈り。ミハイルは内ポケットより丁寧に折り畳んだ二枚の写真を取り出した。
 一枚はパイロットの集合写真。そしてもう一枚は、サイド2ハッテ義勇軍と呼ばれた若者達と自分が談笑する姿を捉えたスナップ。
 コーネリアの言う二人——モニカとアルバートは、その中心で寄り添うようにして笑っている。記録上、第117モビルスーツ中隊でただ二人の生き残りは、戦後、めでたく結ばれた。

 ——二人とも守ってやるさ。

 あの日の誓いを思い出す。スペースノイドである二人は、今も宇宙に暮らしているはずだ。
 ミハイルの任務の性格上、その気になればモニカとアルバートの消息など容易に掴めるのだが、彼はあえてそれをしなかった。決別した過去のことであり、生きてさえいてくれればそれで良い、と。
 それでも、時折こうして写真を眺めては、ヨークトンで過ごした日々に思いを馳せてきた。それは、ア・バオア・クーでの誓いと共に、ミハイルを支え続ける掛け替えのない記憶。
「俺のしていることは、君たちにしてみれば裏切りかもしれない」
 ミハイルは、彼と共に笑顔で写るサイド2ハッテ義勇軍の四人を見つめた。ミハイルの狩る獲物は、ジオン軍残党やジオンシンパといったスペースノイドが中心だ。これまでに仕留めたターゲットの中には、彼ら義勇軍の同胞も含まれる。
 スペースノイドの自治独立要求に端を発した一年戦争。その残り火ともいうべき動乱の火種は、地球と宇宙の双方で、果てることなく燻っている。ミハイルに課せられた任務は、それらの火種が焔となる前に踏み消すこと。陰に陽に。
 ミハイルは写真を閉じた。内ポケットに大切に収め、天を見上げて続ける。
「それでも俺は、これが平和と安定——二人の身の安全に繋がると信じている」
 と、まるで彼が言い終わるのを待っていたかのようなタイミングで、インターカムが鳴った。ミハイル宛ての通信がジム・クゥエルより転送されてくる。
「鷹匠より黒鷹ブラックイーグル。応答しろ」
 聞き慣れたウィスラーの神経質な声が耳に響く。
「こちら黒鷹」
「スードリーはあと30分でニュージーランド上空に到達する。くれぐれも遅れるなよ」
「黒鷹了解」
 先刻のオーウェンの言葉を思い出したミハイルは、努めて短く応えて通信を切った。遅れて鳴り始めた腕時計のアラームを止め、クゥエルに向かって歩き出す。
 ミハイルの乗るクゥエルは、今回の任務に先立って改修された機体だ。外観に変化はないものの、コクピットブロックが全天周囲モニターを備えたリニアシートに換装され、操作性が向上した。各部パーツもアップデートされており、配備が始まったばかりの新鋭ハイザックにも引けを取らない。
 リニアシートに収まったミハイルは、機を飛び立たせる前にもう一度、ディスプレイ越しに墓標を見やった。全天周囲モニターの利点の一つに、サブウィンドウの投影サイズを自在に変更できることが挙げられる。そして、ミノフスキー粒子が散布されていない環境下では、クゥエルのカメラは墓標に刻んだ名前をもくっきりと捉えることができた。
 それぞれの顔を思い描きながら、順繰りと視線カメラを動かす。最後にコーネリアを見つめるミハイルは、風に揺れる小さなブーメランに目を細めた。
「……似合ってるよ」
 ベースジャバーのエンジンが回転を上げる。ゆっくりと浮き上がる平らな機体は、やがてクゥエルを天高く運び上げた。後方に遠ざかるウルルの巨石を一瞥して、機を加速させるミハイル。

 ——見送る小さなブーメランが、乾いた音を立てた。

「若き鷹の羽ばたき」完

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