GUNDAM SHORT STORY
作:澄川 櫂
風を吹かせし者
——どこかに穴でも空いているんだろうか?
霧に包まれ、いまだまどろみの中にある古い町並みを見やったアラン・フェレーロは、その色の白さにふと思った。終戦からまだ二年と経っていない。中立であったリーアを除けば、コロニーの補修はどこも十分ではないのが実状である。
宇宙に浮かぶ人工の島、スペース・コロニーにおいて、外壁の損傷による空気漏れほど怖いものはない。にも関わらず、人々はそれら不安定な環境での生活を余儀なくされていた。
総人口の半数を失ってもなお、人の営みをまかないきれない地球。それは、ユニバーサル・センチュリーにまで至ってしまった人類に対する、当然の罰なのかもしれない。
が、失われた同胞の生命を、人類の贖罪の代償として済ませるわけには行かないのである。引き金を引いた者を裁く義務が、彼らにはあった。
「どうだ?」
「特に動きはないですね」
声を掛けてきた上官——マーティ・ブライアン中尉に、言って双眼鏡を手渡すアラン。
「ん……」
新しいガムを口にしながら双眼鏡を覗いた中尉は、ややあってから「今日もヒゲか」と呟いた。ドア横の窓から、時折鋭い視線を見せる男のことだ。
「これで五日目です」
「長いな」
ここに張り込んで一月半になる。その間、目標を警護していると思われる人物は、無精髭の男以外にもう一人いて、二日ないし三日の間隔で、交替して務めているようであった。それが、今週に限って五日連続というのは明らかにおかしい。
「気付かれたか……?」
中尉が顔を曇らせる。そこに浮かんだ焦りの色を、アランは意外と感じずにはいられなかった。
マーティ・ブライアンは、彼ら“ザビ・ハンター”の中でも特に知られた存在である。着任から僅か数週間で、超大物A級戦犯、ラーキン・フォーク少将の身柄を挙げたことが、仲間内における彼の名を、伝説に近い次元にまで高めていた。
ジオン突撃宇宙軍総司令ドズル・ザビ中将の幕臣の一人として、一年戦争開戦直後のサイド2奇襲作戦にも参加した男、ラーキン・フォーク。そんな大物の逮捕が戦犯探索に与えた影響は、計り知れないものがある。
一年戦争。サイド3独立宣言に端を発するその戦争は、人類史上最悪の殺戮劇であった。開戦と同時にサイド1、サイド2、サイド4を奇襲したジオン公国軍は、コロニーの制圧に、あろう事かG3を用いたのである。スペース・コロニーという密閉された生活空間に毒ガスを用いればどうなるか、わざわざ記す必要もないだろう。
ア・バオア・クー要塞での決戦に辛くも勝利した地球連邦宇宙軍は、終戦協定締結と同時に、諜報部の精鋭を集めた特務部隊を編成した。地下に潜った戦犯を捕らえ、軍事裁判にかけるためだ。
地球連邦宇宙軍諜報部特別捜査隊。通称、ザビ・ハンターの誕生である。
広く知られる組織ではある。しかし、任務の性格上、その構成員については秘密が保たれていた。
彼らは諜報部員であり、特殊部隊の隊員であり、連邦警察の刑事であった。そして、同じハンター同士であっても、班が違えば名前さえ知らないのが普通なのである。それは単に探索をやりやすくするばかりでなく、テロリストと化した一部の過激敗残兵から、彼らを守るための方策でもあった。
ブライアンのようなケースは希なのである。もちろん、ラーキン・フォークの逮捕について、彼の名が公にされたことはない。上層部の一部だけが知っていることである。にも関わらず、ハンター内でこれほど有名になったのは、捕らえた獲物があまりに大きかったからだろう。
今回初めて彼のチームに加わったアランは、ブライアンについて、沈着冷静な切れ者という人物像を描いていた。あくまでも実績と噂から組み上げた、勝手な想像にすぎなかったのだが、実際に会ってみての印象は、それとほとんど違わぬものであった。
だからこそ、焦りの表情を見せるブライアンを意外に思ったのだ。もちろん、焦りたくなる気持ちは分かる。が、ラーキン・フォークの時も、逃亡される寸前の所を押さえたという話ではないか。
諜報部時代からの相棒であり、現在もチームの一員として活動するジャック・レイスによれば、逃亡の兆候を掴んだ時も眉一つ動かさなかったという。そんなブライアンがなぜ、フォークに比べれば明らかに格下の目標相手に焦るのだろうか?
何事か思案しつつ、苛立たしげに爪を噛むブライアン。彼が焦る理由は他でもない、今回のターゲットに原因があった。
フォークの口から存在が明らかにされた一人、アンドレイ・クナーゼ軍曹は、フォークの麾下にあってモビル・スーツのパイロットだった男である。それがB級戦犯とされているのは、コロニー内部に乗り込んでG3弾頭を撃ったパイロットの一人だからだ。
彼らが攻めたサイド2は、ブライアンの故郷であった。そして、この時の戦闘が原因で、彼は両親と二人の妹を失っている。
すぐにでも捕らえて裁きを受けさせたいブライアンである。が、一月経ってもそれをしないのは、相手の人数が未だ不明であるからだった。
彼らに課せられた絶対条件、それは、ターゲットを生かしたまま捕らえることである。目標に自決する暇を与えないためには、相手の人数と配置を正確に把握しておかなければならない。
現在までに判っているのは、先程挙げた護衛の二人の他、よく買い出しに出る眼鏡の男と若い女。それに、一度だけ顔を見せた、片腕のない中年男の計五人。最低でもあと二、三人はいると見てよかった。
クナーゼ本人のいる部屋の位置は確認できている。建物の図面も、非合法ながら入手済みだ。これである程度の配置が判れば、すぐにでも乗り込むつもりのブライアンである。
が、相手もよほど警戒しているらしく、なかなか全貌を掴ませなかった。故に、ブライアンは高まる一方の焦燥感と戦いつつ、ひたすら待ち続けている。時の過ぎるがままに任せている。
「曹長」
ブライアンは一つ舌打ちすると、アランに尋ねた。
「メガネが出ていってから、どのくらいになる?」
「三十分ほどになりますが……?」
眼鏡の男が若い女と二人、夫婦を装って買い出しに出るのは、たいてい昼過ぎである。が、週に二度、早朝に一人で車を出すことがあった。充電のためである。一応、スタンドの人間も洗ってみたのだが、この町の古くからの住人であり、ジオンとはもちろん無関係であった。
エレカの使用状況からすると、今日がその日であった。実際、これまでと同じような時間に車を出している。だから、ブライアンもさほど気にはしなかったのだが……。
「そろそろ帰ってくる頃だな」
アランの答えに、再び双眼鏡を覗き込む。
と、携帯が震えた。メガネを尾行した部下からである。
「どうした?」
『メガネが車を換えました。ワゴンです』
「なにっ!?」
その報告に、ブライアンはまともに顔色を変えた。
「今どこにいる?」
『ショッピング・センターを右折しました。少し回り道していますが、あと十分もせずにそちらにつくと思います』
「足止めできるか?」
『やってみます』
「頼む」
言って電話を切ったときには、既に歩き出している。イヤホンを軽く叩くと、スーツの襟元に口を寄せた。
「ジャック、聞こえるか?」
『どうしたマーティ』
裏口を張るジャック・レイスの聞き慣れた声が、イヤホンに響く。
「察知された。連中、クナーゼを他へ移すつもりだ」
『なに? 踏み込むか?』
「いや、アランと正面から行く。五分後だ」
『了解。派手にやらせるさ』
そのジャックの言葉に、ブライアンの表情が僅かに和んだ。助かる、と短く返して無線を切る。
今回のターゲットであるアンドレイ・クナーゼは、古いアパートを改造した建物の、二階の奥の部屋にいた。部屋にある窓は、裏口に面した一カ所のみ。反面、扉は二つあって、一つは階段のすぐ隣に、もう一つは手前の部屋に通じている。その、手前側の部屋の窓というのが、建物の正面に見えている窓であった。
つまり、彼らを逃さないためには、両側を固めて挟撃するしかないのである。そして、二階への突入は、すぐに階段を駆け上がることのできる正面から行うのが望ましい。
だが、すぐに駆け上がれると言っても、二階にたどり着くまでには多少、時間がかかる。その隙を見計らわれると、手前の部屋の窓から逃亡される恐れがあった。だからジャックは「派手にやらせる」と答えたのである。注意を引いた後、自分が正面に回り込むと。
僅かな言葉のやりとりに、実に多くの情報が含まれている。そして、五分後と言ったにも関わらず、時計を気にする様子はない。阿吽の呼吸にはよほどの自信があるのだろう。長年コンビを組んでいなければ、とても出来ない芸当だ。
ほとんど感嘆する思いで見つめるアラン。と、その視線に気付いたわけではないのだろのか、
「射撃に自信は?」
どこか悪戯っぽくブライアンが訊いた。
「え? あ、いえ。射撃の方はあまり……」
「そりゃあいい」
申し訳なさそうに答えるアランに、しかし彼は目を細めると、
「間違っても当てるなよ」
そう続けるのであった。彼らの任務は、あくまでも戦犯の身柄確保である。下手で結構、当たらないならそれでいい。
ブライアンの口元に、ようやくいつもの余裕が戻っていた。
裏口の方で騒ぎが起こったのは、拳銃にサイレンサーを付け終えた二人が一呼吸おいた、まさにその瞬間だった。すかさず玄関に駆け寄る二人。
アランが鍵穴に銃を向ける。ブライアンが頷く。アランは、興奮する犬の吠え声に合わせて、引き金を二回引いた。鍵の弾ける音。同時に、ブライアンが扉を蹴破る。
「——!?」
振り向くヒゲが構えるより早く、その横っ面に鉄拳を叩き込む。声もなく崩れる巨漢を飛び退けて、階段を一気に駆け上がる!
「は、ハンターだっ!!」
踊り場の長髪が、彼らの姿に慌てて銃を抜く。が、ブライアンの電光石火の早業が、一撃でその銃を弾き飛ばしていた。手を押さえる長髪に目もくれず、手すりを乗り越え床を蹴る。
追いすがろうとする長髪にアランが体当たりしたときには、ブライアンの姿は既に、クナーゼのいる部屋にあった。いま一人の護衛の鳩尾に銃底を叩き込み、流れるようにそれを構える。女が、まるで庇うかのように、ベッドに座るクナーゼの体に被さる。
「アンドレイ・クナーゼだな」
ブライアンは、それを冷ややかに見下ろしながら口を開いた。
「B級戦犯容疑につき、貴殿の身柄を拘束する」
淡々と、だが有無を言わせぬ口調で、逃亡の疲れも色濃いクナーゼに告げる。
「B級……戦犯……?」
生気のない顔を上げるクナーゼが、呆然と呟いた。意外な反応に、不審な表情を浮かべるブライアン。
と、クナーゼの口元が歪んだ。笑ったのか? いや——。
「ひ……ひひひひひっ!」
クナーゼの全身が、異常なまでに大きく揺れる。そして、焦点の合わぬ瞳でブライアンを見る。
「そうさ、俺が殺ったのさ」
ゆらりと立ち上がり、女を振り解いてブライアンに向かう。が、その視線は、決して彼を捉えてはいない。
「町の連中も、公園の子供も……。あの島にいた全ての生き物をな、俺はたったの一発で殺ってやったのさ。そうさ、一発さ。ちょっと引き金を引いただけで、のどを掻きながらバタバタバタバタ虫けらのように倒れやがった。みんな俺が……俺が……ウヒヒヒヒッ!」
頭を抱え、かと思うと、腕を広げ、天井に向かって喚き、叫ぶ。その姿はもはや、正気ある人間のものではなかった。
「これは……!?」
長髪を後ろ手に押さえながら入ってきたアランが、クナーゼを見るなり絶句する。無理もない。遠目にとはいえ、監視中に何度か見たときには、そんなそぶりは微塵も見られなかったのだから。
クナーゼの笑うとも泣くともつかない呻きだけが、断続的に響く室内。さしものブライアンも、銃口を下げ、ただ漠然と見守るしかできないでいる。
「——それが、大罪を犯した、心優しき者の末路だ」
片腕のない男が姿を見せたのは、思い直したブライアンが、再び銃を構えたときであった。反射的に銃口を向けるブライアン。が、男はそれを気にするでもなく、
「ハンナ」
と、女に目配せする。腕ばかりでなく、足の具合も悪いのだろうか? 男は残った右腕で杖をついていた。
女がクナーゼを落ち着かせようと駆け寄る。それをちらりと見やったブライアンは、だが、銃を向けたまま、片腕の男を警戒することを忘れない。仕込み杖という可能性もあるからだ。
すると、そんなブライアンの思考に気付いたのか、男は手にした杖を投げ出すと、
「察しの通り、そいつは仕掛け付きだ」
こともなげに言うのであった。
「キャプテン!?」
「……これで話を聞いてもらえるかな?」
驚く長髪を手で制し、ブライアンを見つめたままでそう続ける。ブライアンは答えない。
だが、銃を持つ彼の手は、引き金に掛かる指の力を、僅かに緩めたようであった。それを承諾と取った男が、確かめるように一歩前に出る。
そして、静かに口を開いた。
二時間後、マーティ・ブライアンの姿は、アラン・フェレーロと共に、月へと向かうシャトルのキャビンにあった。専用機ではない。三人掛けの真ん中を開けて座る二人の表情は、どちらも複雑である。
「……本当に、これでよかったんでしょうか?」
空いた席を気にしながら、アランが訊いた。いや、尋ねると言うほどのものではなかったのだろう。アランの視線は、必ずしもブライアンを向いているわけではない。
「………」
窓ガラスに映るその様子を見やったブライアンもまた、無言のまま、すぐに視線を星の発する光に戻す。隣に座らせるつもりであった、アンドレイ・クナーゼのことを考えていた。
「アンドレイは、彼の母親と、そこにいるハンナを守るためにパイロットになった。サイド3の多くの若者がそうであったように。そして、二度と戻ることはなかった」
あの時、仲間からキャプテンと呼ばれた片腕の男は、ブライアンに向かってそれだけを言った。瞬間、ブライアンの脳裏に浮かんだのは、任務完遂の昂揚感から一転、コクピットで絶叫する新兵の姿——。
ブライアンはクナーゼを見た。かつての恋人の腕の中で、胎児のように丸くなって震える様は、決して殺戮狂のそれではない。正気を失ってもなお、悪夢に怯え、うなされ続けなければならない、哀れな男の姿である。
そうと知ったとき、ブライアンは決断した。報告書には、彼のサインと共に次の文句が記されている。
六時二十三分、アンドレイ・クナーゼの病没を確認——。
「彼らもまた、戦争の犠牲者なのかもしれないな」
徐々に遠ざかるサイド1のコロニー群を見ながら、ブライアンはぽつりと言った。
上官の命に逆らえない末端の兵士達。戦場にあって心ならずも引き金を引いた彼らは、良心の呵責に耐えながら、今を生きている。まるで、それがせめてもの贖罪であるかのように。
「済まない。そして、ありがとう」
クナーゼの病没を宣言するブライアンに頭を下げた、“キャプテン”の言葉が甦る。どこか救われた感のある響きは、そのことを痛切に感じさせるのであった。なにより彼ら自身、同じような思いを胸に現場を踏んできた人間である。
「……因果な商売ですね」
「ああ……」
宇宙世紀0082年。この年の終わりまでにハンターによって検挙・起訴された戦犯は、実に千人を数えるという。しかしそのほとんどが、過酷な前線をようやく生き延びた、下士官以下の力無き兵士達である……。
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