GUNDAM SHORT STORY

標

　僕らは標を求めていた。先の見えない世の中で、目的を見つけられぬまま育った僕らは、確たる未来を示してくれる存在を探していた。この閉塞した日常を吹き飛ばす、大きく力強いビジョンを。

　モルガルテンの空に金色のモビルスーツが飛ぶのを見た。両肩に東洋の文字を刻んだその機体は、しなやかに木々を揺らして駆けて行った。あの向かう先に何があるのだろう。一瞬のいざないが、金色の軌跡を脳裏に焼き付けた。
　後にそれを動かしていた人のことを知った。僕は彼の機体を目にする前に、彼の言葉を聞いていた。安酒場に置かれたテレビのニュースで。その時の演説の全文を、僕は知らない。地球は疲れきっている。ただ、その一言が耳に残っている。
　疲弊した地球にしがみついているから、世界は変わらないんだ。単純にそう思った。地球にかけるお金を減らせば、税金が下がってコロニーの暮らしも楽になる。そうなったら僕達も新しいことができるんじゃないか、と。
　けれども、金色のモビルスーツが再びこの空を舞うことはなかった。世界は変わらず、鬱屈とした日々が過ぎるばかり。そんな僕らのささやか楽しみと言えば、一日の終わりに安酒場で飲む、ジョッキ一杯のビールくらいなものだ。

　彼の信奉者だという年輩の男に声をかけられたのは、あれから何年が過ぎた頃のことだったろうか。追加されたジョッキを片手に聞いた話自体は、特に目新しいことのない勧誘だった。
　地球連邦政府への抗議活動を行う組織はいくつもあって、参加や協力を呼びかけられることは多い。もっとも、そのいずれもが抽象的な理想論に終始した。ささやかな日常を捨ててまで取り組む価値があるとは、到底思えないレベルで。
　だからその男の話も聞くだけで終わるはずだった。ビールの礼と差し障りのない言葉を述べて席を立つ。いつものように。だが、話の途中で人目を憚るように見せられた動画は、僕にきっかけを連れてきた。日常と決別するきっかけを。
　そこには、今の彼の姿があった。イヤホンを伝う彼の声が、小気味よく僕に呼びかける――。

　疲れきった地球を休ませるためには、一度、荒療治をする必要がある。地球を人が住めない状態にして、人間を残らず宇宙に上げるのだ。そして、自然の回復を待つ。五十年でも、百年でも。
　無論、それを行うことは史上かつてない大罪だ。だが、既に地球は限界に達している。このまま放置しては、いずれ回復不能なまでのダメージを被るだろう。そうなる前に、誰かが手を下さなければならない。私には、その業を背負う覚悟がある。
　これは決して、私一人で成せることではない。諸君らの協力があってはじめて成し得ることだ。人類の新しい一歩のために、この私、シャア・アズナブルに力を貸して頂きたい。

　――確か、そんな内容だった。淀みない言葉で語りかける彼の瞳は、遠く未来を見詰めているようであり、不思議と見る者を魅了する。
　彼ならば道を示してくれる。その時、僕は思った。この人のビジョンについて行こうと。重苦しい閉塞感を吹き飛ばすために。
　そうして僕は戦場にある。出撃の直前、サイド２に残った友人が、先の作戦で敵のレーザー砲を道連れに散ったと知らされた。彼の尊い犠牲を無駄にしないためにも、僕はこの隕石を守り抜く。そう誓った。
　なのに、この心の奥底から湧き上がる衝動はなんだろう。
　続々と押し寄せる連邦軍のモビルスーツは、僕達のことなど全く無視して、地球へと落下する隕石に向かう。彼らは皆、一様に隕石の地球に面した側へと回り込み、その表面に取り付いてスラスターを全開で噴かす。これほど質量のある物体を、豆粒にも等しい大きさのモビルスーツで押し出そうとでもいうのか。
　無駄なことを、と思う。常識的に考えれば、命を捨てるだけの愚かな行為だと判るだろうに。だが、それなのに、連邦軍の機体は続々と、引き寄せられるように隕石を目指す。そして、その航跡に魅せられる自分がいた。
　付いてこい。上官の言葉に促されるまま、僕は機体を動かしていた。眼前で青々と輝く地球の反射光を浴びながら、隕石の進行方位へと回り込む。幾重にも伸びるスラスターの帯の谷間に、迷うことなく機を飛び込ませた。岩盤に取り付くと同時に出力全開。驚いて振り向く連邦の機体をよそに、ありったけの推力を彼らと同じ方角へ向ける。
「地球がダメになるかならないかなんだ。やってみる価値ありまっせ」
　通信機を伝う小隊長の声。それはきっと、自分を含め、あの場に居合せた全ての者に共通する想いだったに違いない。

　その後の出来事を正確に説明することは、恐らく誰にもできないだろう。少なくとも、あの光景を表現するための言葉を僕は知らない。唯一確かなのは、重力に引かれて落下するはずの隕石が軌道を変え、地球を離れたという事実である。
　自分が標と定めたあの人もまた、隕石に取り付く幾多の機体を弾き飛ばした光と共に、宇宙の彼方へと消えた。虹色の輝きに導かれるようにして。
　もしかすると、あの人も標を求めていたのかもしれない。この頃僕はそう思う。数週間前、唐突に地球圏全土に流れた少女の演説が、あるいはその思いを強めたのか。
　人は一人一人が異なる価値感を持っている。故に対立が起き、いがみ合う。だがそれでも、その根っこにある想いは変わらない。誰もが家族の幸せを願い、叶えるために生きている。答えの無い問いを重ねながら。
　だから僕も自分の足で歩いて行こう。自身の目で真実を見極めるために。僕に与えられた可能性を信じて。