魂の還るところ 〜Return to the Earth〜 ゆりかごの記憶

作:澄川 櫂

6.珈琲屋は繋ぐ

 鈴の音に視線をやると、ちょうど若い娘さんが店に入ってきたところだった。息を弾ませる彼女が店内を見回して戸惑ったような表情を浮かべたのは、店員の姿が見当たらなかったからだろう。
「マスター、お客さんだ」
 そう察して、カウンター席から厨房の奥を覗き込むようにして声をかける。
「はいはい。ちょっとお待ちくださいよ」
 ほどなくして初老のマスターが顔を見せた。タオルで手を拭い、入口へとゆっくり歩いてゆく。
「いらっしゃい。お一人さん?」
 こくりと頷いて答えた彼女は、
「あの……ランチまだ大丈夫ですか?」
 と続けるのだった。
「あー、少し時間かかるよ。夜の仕込み始めちゃったからね。メニューも限られちゃうけど、それでよければ」
「大丈夫です! あと、これって使えますよね?」
 心底安堵した表情で応えると、彼女は腰のポーチに手を入れ、取り出したものをマスターに見せる。
「こりゃまた懐かしいな。お父さんのかい?」
 裏を見やって尋ねるマスター。どうやらスタンプカードのようだ。
「はい。港の外へランチしに行くなら、ここがお勧めだぞ、て。でも、初めての街なんで道に迷っちゃって……。間に合ってよかったぁ」
「嬉しいねぇ。まあとにかく、こちらへどうぞ」
 カウンター席に案内したマスターは、彼女が椅子に腰掛けるのを待って、スタンプカードを返した。
「出せるのは週替わりかEランチ。そいつがあるから、ドリンクセットをケーキセットにアップグレードできるよ」
 そう言ってランチメニューを裏返す。ホルダーに横向きで収まっていたメニューがちょうど裏返っていたので引き起こすと、一口にケーキセットと言ってもいくつか種類があるようだった。
「オーダー取る前に、ランチの立て看を引っ込めてきても良いかな?」
「どうぞ」
「悪いね」
 再び鈴の音。店頭の立て看板を慣れた手つきで引き寄せ畳んだマスターは、そのまま店外へと出て行った。表通りに出している看板も変えるのだろう。路地裏に面するこの店への導きである。さほど入り組んでいるわけでもないが、街の中心部から来るとまず迷う。そんな場所だ。
 港から来たという彼女はどの道を辿って着いたのだろう。そんなことを思いながら視線を転じると、ようやくハイティーンにかかろうかという年頃のお嬢さんは、熱心にケーキセットメニューを読み込んでいた。
 三度目の軽やかな鈴の音が響く。
「いや、待たせたね。お決まりかな?」
「EランチをケーキセットのFでお願いします」
「ブルーベリータルトね。セットのドリンクは紅茶かな」
「はい、おすすめをお願いしますっ」
「承りました」
 にこやかに応えてお手拭きとグラスを出すと、水を注いでボトルを残すマスター。そうして奥へ引っ込んだのだが、さして間を空けずに戻ってくると、お嬢さんの前にケーキ皿を置くのだった。
「お口に合うと良いのだけれど」
 ホールのパイをカットしたのが鎮座している。
「あの、これ……」
「待ってもらうからね。おまけだよ。お腹すいてるだろう?」
 戸惑う彼女にウインクしてみせると、マスターは厨房へと戻っていく。一方のお嬢さんは、水をひと口飲んだきり、困った顔でじっとパイを見つめていた。
「どうしたね、お嬢さん。食べないのかな?」
 その姿があまりに面白くて、思わず声をかけてしまう。不意のことで驚く彼女だったが、少しはにかんだ様子で応えてくれた。
「なんか、デザートは食後の方が良いかなぁ、て」
 すると、その言葉に反発するかの如く、彼女の腹の虫は盛大な不満を並べ立てるのだった。
「あは、あはは……」
「お腹に入ってしまえば同じだと思うがね」
「あ、それもそっか」
 言われて初めて気付いたようにポンと手を打つと、フォークで切りすくって口へ運ぶ。
「アップルポテトパイだ。美味しぃ〜」
 頰に手を当て、見るからに幸せそうな感じでふにゃりと表情を緩めた彼女は、ひと口ひと口を味わうように、ゆっくりと皿を空にした。
 表情が豊かなのか。それとも心境がすぐ顔に出てしまうタイプなのか。うっとりと余韻に浸る様子を面白く思いながら、改めて声をかける。
「お嬢さん、旅商人の子かい?」
「そんなところですー」
 存外にフレンドリーな反応。と、好奇心を湛えた瞳がこちらを向いた。
「地元の方ですか?」
「いや、私も仕事で来たついでに、久しぶりに顔を出した口でね」
 先ほどよりだいぶ打ち解けた感じの彼女に応えながら、カップを軽く上げて見せる。
「こうしてマスター自慢のコーヒーを楽しんだのも、何年ぶりになるかな」
「そんなに」
「前回は夜の部でお酒だったからね」
「なるほど。でも、ひょっとしたらおやじ……養父ちちと居合わせたことあったかもですね。お酒好きだし」
 そこで言葉を区切った彼女は、店内をぐるりと見回すと、感慨深げに口にするのだった。
「なんか不思議な感じだなぁ」
「不思議?」
「初めて来たお店なのに、どこか懐かしいというか、落ち着く気がして」
「古い建物だからね。内装も最初の移民が地球から持ち込んだものだというし。そのせいじゃないかな」
 言いながらカウンターの縁を軽く撫でる。使い込まれた木材の光沢は温かく、指先を伝う傷や凹みの感触も心地よい。
「養父も同じように感じたのかな」
「どうだろう。ただ、少なくとも私は、我が家に帰った時のような錯覚を覚えたよ」
 宇宙世紀——人類が宇宙に暮らす時代——の歴史は、まだたかだか百年ちょっと。老若男女を問わず、西暦時代の品に郷愁を覚えるのは、人類の記憶が遺伝子に受け継がれているからだろうか。
「初めてきたお店で、養父と会ってたかもしれない人と同じような印象を持っただなんて。これも何かの縁ですかね」
 と言って楽しげに笑う彼女の顔に、別の少女の面影が被る。縁。それはあの子がよく体現していた言葉だ。
「そう言えば、お父さんは、今日は船に?」
「はい。少し前に病気して、ドクターに外出、止められてるんです」
「それは……。だいぶ悪いのかな」
「ドクターは入院を勧めてました。なのに養父とうさん、『俺は宇宙で果てるんだ』て、聞かなくて……」
 お嬢さんの表情が曇る。が、それも一瞬のことで、
「でも、本人が望んでのことだから、これで良かったんだって、今は思ってます。病床でもまだまだ迫力ありますし」
 と続けた顔に浮かぶのは、穏やかな微笑みだった。

 モビルワーカーにしては大柄な機体が、カタパルトデッキ上のコンテナを手際よくトレーラーへと積み替えてゆく。先だっての艦内への物資搬入といい、鮮やかなものだ。
 ウォード艦長に遅れて戻ったエゴン・オコンネルは、飽きもせずその動きを眺めていた。たまたまデッキに降りていた艦長への帰投報告もそこそこに、パイロットらしい好奇心で、珍しい機体の流れるような所作に見惚れる。
「良い動きだな」
 自身と同じ感想を口にした声に視線をやると、傭兵頭のツルギが同じように機体の動きを目で追ながら歩いてくるところだった。ほどなく彼の傍に至って足を止めると、
「しかしロトとは珍しい」
 と続ける。眼前で作業する機体のことだ。背面とふくらはぎに収納された履帯が特徴的な機体だが、その出自故に知名度は高くない。
「詳しいじゃないか」
「これでも元は特務の連中と近いところにいたからな」
 顎の無精髭を撫でながら、にやりと応えるツルギ。なるほど、と呟くオコンネルは、彼の経歴を思い出した。確か、軍の最終勤務地がルナツーだったか。
「もっとも、民間に払い下げられたなんて話は、耳にしたこともないがね」
「民生向けの試作機、だそうだ」
 オコンネルの言葉は、訳知り顔で続けたツルギの虚を衝いたようだ。
「へぇ、そりゃまた……」
 と口にして、コンテナ脇に屈み込む機体を繁々と見やる。
 ロトは海軍戦略研究所サナリィが開発した特殊部隊向けの機体だ。どちらかといえば機密性の高い代物と言える。そんな機体の亜種が平然と働いていられるのも、今回の取引相手が開発元メーカーの支店故だろう。
「正確には実証実験用の改装機。その成れの果てですよ」
 傍から口を挟んだ青年が、怪訝顔のツルギに向かって右手を差し出す。
「サナリィのショーン・ハリスです」
「ああ。ライゾー・ツルギだ。パイロットをやっている。成れの果て?」
 握り返して尋ねると、ハリスはロトを向いて続けた。
「役目を終えた機体をうちの研究所ラボで引き取って、手を入れたんです。今やすっかり実用機材でしてね」
 少し変わった形状のコンテナとケーブルを繋ぎ終えたロトが、上半身を振り向かせ、片方の簡易マニピュレーターを挙げてみせた。
「ちょっと失礼」
 そう言って離れるハリスは、インカムで何やら話しながら、手にした端末にペンを走らせていく。相手はロトのパイロットだろう。工程チェックといったところか。
「ワーナーさん、バッテリー給電OKです」
「確認しました。こちらの給電をカットします。……電源切り替わりを確認。ケーブル抜去」
 立ち会いのクレメンス・ワーナー女史が、こちらもインカムでふねの作業員へと指示を出す。
「なにやら物々しいな」
「譲渡品にシビアな温度管理を求められる器材があると聞いてる。あれがそうなんだろう」
 視線を戻すと、ワーナーとハリスが彼の端末を覗きながら何やら会話をしている。工程チェック表などではなく、各種のパラメータを表示しているものらしい。
「オーケー、フィル。始めてくれ。割れ物なんでくれぐれも丁寧に頼むぞ」
 ハリスの呼びかけにマニピュレーターを伸ばして応えると、ロトはコンテナを大事そうに抱えてデッキを発った。ふわりと降り立ち、手早くトレーラーに積み込む。実に無駄のない挙動だ。
「いい腕をしている」
 タンクモードに転じてトレーラーと接続する機体を見ながら、ツルギが改めて口にする。コンテナと機体を繋ぐケーブルの存在がありながら、あっさり変形してみせた腕前には、オコンネルも舌を巻くしかない。もちろんケーブルは無傷。
「ただ、小型化したと言っても公道を走るには大きすぎるんですよ」
 いつの間に傍らに立ったハリスの言葉に一瞬だけ彼を見やり、改めてロトの機体を眺める。
「うちみたいに専用ゲート持っているか、敷地に余裕のある所でもないと使えませんでね。極地向けの地上仕様を数機、納入したきりです」
「売れたのか?」
「商売として成り立つほどではないですがね」
 驚くツルギに肩をすくめてみせると、ハリスはワーナーに歩み寄って、差し出された端末にペンでサインする。そうして彼は、一同を向いて軽く敬礼した。
「では皆様、これにて失礼します。艦長と所長にもよろしくお伝えください。良い航海を」
「ありがとう。ご苦労でした」
 ワーナーの言葉に手を挙げて応えつつ、ロトに向かって流れるハリスを目線で追うと、コクピットから出てきたパイロットの姿が見えた。意外と若いな。それがオコンネルの率直な感想だった。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。