星のまたたく宇宙に
作:澄川 櫂
プロローグ
「お母さん、大きな星が光ってるよ」
少女は、そう言って足を止めた。けたたましいサイレンの音が、どこか遠くで鳴っている。
「あ、また光った」
「あれは星じゃないの!」
母親は、その様子に慌てて少女の手を引き、言った。
「あれは戦争の光よ」
「戦争?」
名残惜しそうに空を見ていた少女は、初めて聞く単語に首をかしげた。そして、母の背で一向に泣きやむ気配を見せない弟を、じっと見つめる。
「……戦争はね、全てを壊してしまうの。戦争はね、何もかも消してしまうものなのよ」
「ふーん……?」
しばらくして答えた母の言葉に、よく分からないといった面持ちで再び空を見上げる少女。そこには、いくつもの眩い光点が明滅を繰り返していた——。
第一章 ざわめく海
カチュア・コーウェルは、スワローテール号を離れるこの瞬間が一番好きだった。キャノピー越しに広がる星空が、慣性のままに飛ぶワーカーの動きとともに、ゆっくりとその姿を変えてゆく。小さいながらも立派なプラネタリウム、といった趣である。
(やっぱり、メッドにして正解だったよね)
半年ほど前に購入したワーカーの形状を思い描きながら、つくづく思う。一人乗りのワーカーとしては比較的大柄な部類に属するメッドは、ゆったりとしたコクピットを覆う半球状のキャノピーが特徴的な機体である。彼女はほとんどその形状だけで、導入を決めたようなものだった。
(せっかく外で仕事するんだから、このくらいの役得がないと)
高い居住性と視界の良さを売りにしたワーカーだったが、それが作業能率の向上につながっているかどうかは怪しいものだ。
俗にノーマルスーツと呼ばれる宇宙服のバイザーを上げたカチュアは、焦げ茶色の前髪を右手で鬱陶しそうに掻き分けた。そろそろ切ろうかな、と思う。もっとも、改まって言うほど長くもないのだが。
仕事柄、ヘルメットの類を被ることが多いせいもあって、ここ数年ほどは、髪は短くまとめていた。かろうじて後ろで束ねられる程度に。掃除婦のシャロンおばさんなどは、会うたびにそれを残念がるのだが、彼女自身は気に入っていた。
のばした時の、髪の絡みつくような感じが好きになれないのである。
無線に名前を呼ぶ声が響く。が、そんなことを思いながら星を見るカチュアの耳には届かない。彼女の視線は、農業プラント・リングの向こうで明滅する光をぼんやりと追いかけていた。
(……? なんだろう?)
光の調子がただの星とは違う気がして、目を凝らす。
と、
『カチュア!』
ティレル・ウェインの四度目の怒声が、無線機を震わせた。スピーカーが音割れするほどの声に、ようやく彼女が現実に引き戻されたとき、黄土色のメッドの機体は目標を大きく通り越してしまっていた。
「やばっ!」
慌てて操縦桿を引くと、フットペダルを踏み込む。姿勢制御用のバーニアが、一瞬だけ鮮やかな光を放つ。
向きを変えたメッドは、下肢に装備されたワイヤー・ランチャーを撃った。勢い良く伸びるワイヤーの先端が、目標近くの構造物を捉え、絡まる。それを確認したカチュアは、ウインチの巻き取りボタンを押すと、ようやく一息つくのだった。
『なーにやってんだよ!』
「ごめんごめん、ちょっとお星様に見とれちゃって」
相棒の非難囂々の詰問に、バツが悪そうに答えるカチュア。メッドに使う推進剤は決して安くないのである。それに活動時間が延びれば、それだけ酸素を消費することにもなる。こちらの費用も馬鹿にならない。
『そんなに珍しくもないだろうにさぁ、全く』
ティレルの反応は、案の上の呆れ果てたものだった。口を尖らせるティレルの眼鏡顔が頭に浮かぶ。
カチュアと同い年の少年は、見かけの割にしっかり者で、コーウェル整備工場に来てまだ三年ほどだが、彼女の伯父であり、社長でもあるマイクに信用があった。今ではこうして、屋外整備のバックアップを一人で任せられている。
コーウェル整備工場は、従業員わずか五人の小さな会社である。一応、経営的には黒字の優良会社だが、台所事情が苦しいことには変わりない。推進剤の無駄遣いなどしようものなら、しっかり者のティレルでなくとも口を尖らせるだろう。
とは言うものの、こうもあっさり返されては腹も立とうというものである。それで、
「そんなことないわよ。戦闘やってるわ」
と言ってやった。
『え? どこ?』
「農業プラントの向こう。ほら、また光ってる」
そこには、確かにふつうの星のものとは違う光があった。もっとも、戦闘だと断定できるだけの材料もないのだが。
二人が作業している16バンチコロニーは、サイド2のコロニー群の中では内側に位置している。コロニー同士を結ぶ定期船の往来も多い場所だ。あるいは、それらの光の見間違えかもしれない。
また怒られるかな、と様子を伺うカチュアだったが、意外にも無線機は黙り込んだままだ。
「ティレル……?」
まさか、本当に戦闘やってるの、とカチュアが思い始めたとき、ディスプレイに反応があった。見ると、修理箇所の記載された配管図が映し出されている。ティレルだ。くだらないこと言っている暇があるなら仕事しろ、と言うことだろう。
「……。はいはい、分かりました」
観念したように答えると、作業用グリップを手に取るカチュアだった。
宇宙暦0091年。人類が生活の場を宇宙に移してから、既に一世紀近くが経とうとしていた。人々はスペースコロニーと呼ばれる円筒形の大地に暮らし、地球上とさして変わらぬ日常を過ごしている。少なくとも、表向きには。
全てが人工的に作られた世界である。生命が活動するために欠くことのできない空気をも、買わねばならなかった。コロニー維持にかかる莫大な費用を賄うために課せられる、高い税金。かつて喧伝された理想郷とはほど遠い現実が、そこにはあった。
幾度となく繰り返される戦乱によって傷ついた人工の大地は、そのささやかな営みを、さらに厳しいものへと変えようとしていた。だが、その一方で、コロニー整備事業への需要の高まりは、長らく停滞気味であった経済活動に刺激を与え、新たな雇用を生み出しているのもまた事実である。
人々は、その皮肉な現実を受け入れながらも、平穏な日常を過ごせるよう祈り続けるのであった。
だが——。
単独哨戒飛行を行うサイド2守備隊のメタスⅡは、索敵ポイントに辿り着くや否や、飛行形態から人型へとその姿を転じた。濃いグリーンと紺の塗り分けがなされた機体から、サイド2政庁の所属であることを示す識別信号を放つ。
『了解しました。お気をつけて、パレット中尉』
「ありがとう」
多少、掠れ気味の無線の声に軽く応えると、彼女は機体の速度を落とした。
「戦闘光が確認されたとのことだけど……?」
端末を使って情報を呼び出す。月からサイド5へ向かう定期船より、二時間ほど前にそれらしい光を見かけたとの情報が寄せられたのだ。
戦時であれば致命的な時間のロスである。が、非戦時下にあるコロニーでは、所詮こんなものだろう。
もっとも、サイド2守備隊が動いているのは、戦闘光が目撃されたからではなかった。サイド2の管制圏内に入った貨物船が一隻、消息を絶っているのである。彼らはその捜索のために展開していた。
先の戦闘光目撃情報は、付近を航行中の船舶に問い合わせた結果得られたもので、サイド2の防衛網は未確認なのである。さらに、捜索ポイントから離れていたこともあって、念のため確認する程度のものでしかなかった。
彼らはサイド2を守るためにのみ存在している。反地球連邦政府の不穏分子などは、駐留連邦軍に任せておけばよい。
とは言っても、戦闘が事実なら、それが飛び火しないための対応を練らなければならなかった。申し開きができなければ圧力をかけるというのが、現行の連邦政府のやり方である。
「ミノフスキー粒子レベルは高くないな」
エミリア・パレット中尉は、現場宙域の様子を注意深く観察した。
「これと言って珍しいゴミがあるわけでもない……」
宇宙空間には大小様々なゴミが漂っている。過去の戦闘による残骸はもちろんだが、コロニー近海ともなれば生活廃材も多い。そのような場所で小隊規模の戦闘痕を見つけるのは、至難の業だ。艦艇規模の戦闘であれば、そもそも防衛網が捉えられないはずがない。
「なっ……!」
彼女が声を上げたのは、それまで沈黙していた索敵センサーが突然、反応したからだった。操縦桿を握り直す間もなく、一機のモビルスーツが視界に割り込んでくる。そのシルエットに、パレットはまたも息を呑むのだった。
「ゼータ!?」
ブルグレーを基調とし、胸元に濃紺色を配したその機体は、大柄のブースターパックを背負っているものの、かつてエゥーゴの象徴であったゼータガンダムとよく似たラインを持っていた。索敵モニターには、“E.F.S.F RGZ-90X”とある。
メタスの驚愕をよそに、ツイン・アイを淡く灯らせるグレーのマシン。それは、さざ波が水面に広がって行くかのような光であった。
※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。