星のまたたく宇宙に

作:澄川 櫂

第四章 はじまり

 激しい衝撃の後に待っていたのは、それまでの喧噪が嘘と思えるほどの静けさだった。濛々と立ち込める砂埃の擦れ合う感覚だけが、微かに伝わるばかりである。
 意識は、既に朦朧としていた。逃げ延びるんだ。強い思いが、全身を襲う激しい痛みを辛うじて耐えさせる。だがそれも、僅かな間のことでしかなかった。
 動かすことのできない左手の中で、急速に失われていく温もり。希望が絶望へと変わった瞬間、生への執着は霧散した。
 体を伝う感覚という感覚が、スーッと退いて行く。焼け付くような痛みも失せ、代わりに、様々な顔が脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。記憶の奔流に揉まれながら、その意識は白い闇の中へと落ちていった——。
 ……どのくらい経ったのだろうか。
 体を突く冷たい感触に、朧気ながら意識を取り戻した時、視界にあったのは、カーキ色の軍服に身を包んだ兵士の姿だった。ライフルを突きつけたまま、声を張り上げる男の声がどこか遠くに聞こえる。
 その声に応えて歩いてくる別の兵士が、ふと、何かに気付いて屈み込んだ。拾い上げたものに目を通すと、驚いたように声をかける。
(何……?)
 聞き取れず、顔を上げようとするが、全身を駆ける激痛に、声にならない呻きを上げる。その様子に、兵士は耳元に口を近づけると、ゆっくりとした口調で尋ねるのだった。
「——ミッシェル・クラフト軍曹?」

 サイド2守備隊の主力モビルスーツ、ディアス改は、グリプス戦争後期から製造されたリック・ディアスR2型をベースに、僅かばかりの改装を施した機体である。エゥーゴ時代からの引き継ぎ装備だが、それでも駐留連邦軍のジムⅢに比べれば、質的には遙かに恵まれているのであった。
 そのコクピットで操縦桿を握るクラフトは、前方を行くイグニス・ファタスの艦載機、ブルグレーと濃紺で彩られたバーザム改の背中を、複雑な思いで見つめていた。こちらも、ジムⅢより性能の良いマシーンである。
「ティターンズ、か……」
 そんな言葉が、思わず口をついて出る。
 232実験部隊を率いるラディ・ジーベルト少佐は、予想に反して多くを語った。親善というのはやはり口実で、実際には不穏分子の探索が目的であるという。その点、先日のロンド・ベル隊と大差ない。故に、ことさらに構える必要もないと思われたのだが、話が進むにつれ、ロンド・ベル寄港の時とは比べものにならないほどの緊張を強いられることになるのだった。
 旧ハマーン軍、アクシズ軍に縁の者が、その装備と共にサイド2に潜んでいると言うのである。ルナツーのティターンズ時代の記録を解析した結果、明らかになった情報とのことであった。232実験部隊の出自を考えれば、その経緯については眉唾物だが、情報そのものにはクラフトを始めとするサイド2守備隊の面々にも心当たりがある。
 グリプス戦争末期、アクシズの極秘輸送計画を入手したティターンズは、勢力挽回を図るべく、サイド2近海にて強奪作戦を展開した。大衆はおろか、軍内部においても急速に支持を失いつつあった頃である。新兵器の正体が何であるにせよ、多少なりとも戦力となる可能性のあるものは試しておきたかったのだろう。
 だが、護衛部隊の激しい抵抗により、作戦は失敗。さらに、帰還するところをエゥーゴに捕捉され、これと交戦状態に陥るも、アクシズ輸送部隊との戦闘で消耗した彼らに反撃するだけの力は既になく、戦闘開始から僅か数分のうちに全滅した——。
 そのジーベルト少佐の話を聞きながら、ミッシェルは「ああ、なるほどな」と思った。
 件のティターンズ部隊を全滅させたのは、他ならぬミッシェルの隊である。それだけに鮮明に覚えていた。サイド2への攻撃がエスカレートしていた三年前のあの時期に、傷ついたティターンズ艦がサイド2に近づくというのは、およそ考えられないことである。なぜ、彼らはそんな行動を取ったのか。当時、サイド2のエゥーゴ部隊は、しきりに訝しがったものだ。
 相手がアクシズであれば、分かる話だった。一年戦争に勝って初めて、連邦のモビルスーツ技術はジオンに追いつけるだけの材料を手にしたと言われている。が、ジオンの末裔たるアクシズは、連邦が解析を続ける間に着実に技術を伸ばしていた。ティターンズは本来、ジオン残党狩りを目的とした組織である。戦力の根底をなす技術力の差に歴然となった彼らが、多少の無理をしたとしても不思議ではない。
 だが……。
「連中、最後の報告で面白いことを言ってましてね」
 それまで淡々と語っていたジーベルト少佐は、胸ポケットからメモリープレーヤーを取り出すと、再生ボタンを押した。
『目標は取り逃がしたが、戦果はあった。艦を沈められては、そう遠くまで逃げられないはずだ。近海およびサイド2の早期捜索を乞う』
 若干のノイズの後で、男の声が言う。眉を寄せる守備隊のステファン中佐に、ジーベルト少佐は意味ありげな視線を向けた。口元に薄ら笑いを浮かべながら。その様子に、クラフトは彼が何を言おうとしているのか、解ったような気がした。
 かつてエゥーゴを構成していた部隊や協力者の中には、一年戦争の混乱に乗じ、連邦の戸籍・軍籍を非合法に取得した元ジオンの人間が数多く存在した。クワトロ・バジーナの偽名を用いたシャア・アズナブルのように、幹部クラスにまでジオンの人間が進出していたのが、エゥーゴという組織の実態である。
 グリプス紛争を生き抜いた彼らの多くは、アクシズの台頭と共に古巣へと帰っていったが、中にはそのままエゥーゴに留まり、今なお連邦組織の一角で働く者がいた。戦いに疲れ、理想を捨てた者。ザビ家のジオンを嫌う者。残った理由は様々だが、ジオンに縁のある人間が、コロニーには確かに存在した。無論、サイド2とて例外ではない。
 ジーベルト少佐は、それら元ジオンの人間、ひいてはサイド2守備隊が匿っているのではないかと疑っているのだ。連邦の立場としてはもっともな話である。が、仮に事実であったとしても、大方のスペースノイドにとってみれば、それは暗黙の了承を得て行われた公然の秘密であり、滅多なことで明らかにされる性格のものではなかった。
 一年戦争終結後、戦乱で傷ついたコロニーの修復に、連邦政府は消極的であった。自らが住む地球の復興を第一に考え、宇宙については民需の回復を助ける政策を施すに止めた。と書けば聞こえはよいが、要するに放置したのだ。
 中産階層が極度に不足している中、壊滅に近いまでのダメージを受けたコロニーを再生させるだけの労働力を確保するには、元ジオンという括りの存在すること自体が不都合であった。故に、よほどの戦犯でもない限り、彼らは受け入れられ、必要とあらばその過去は消された。スペースノイドが生き延びるために生み出した、戦後の知恵である。そして、一年戦争から十年以上が経過した今でも、その風潮は脈々と生き続けているのであった。
 敵の敵は味方、とまでは言わないが、協力はしないが干渉もしないという不文律がある。だからクラフトは、あえて何も言わなかった。遅れて気付いたステファンやパレットにしても同様である。ただ、無言でジーベルト少佐を見返しただけだ。
 もっとも、そういう反応が返ってくることは十分予期していたのだろう。あまり友好的とはいえない守備隊の視線を軽く受け流すと、彼は淡々と告げた。
 曰く、特殊兵装である可能性が高いため、兵器開発局としては捕獲・身柄拘束を第一としたいが、状況が状況だけに、破壊もやむなしと考える。ついては、サイド2守備隊に対し、探索への協力を要請したい、と。
 結局、サイド2守備隊はこれを受けた。いや、受けざるを得なかった。イグニス・ファタスがダカールの命令で動いていること。そのダカールの連邦軍本部から、サイド2駐留軍に正式な支援命令が出ていることは、事前のエドワルド・パスカル大佐との打ち合わせで確認済みである。
 ハッテ政庁と連邦政府との安保協定に、サイド2守備隊の駐留連邦軍への協力条項がある以上、拒否することなど始めから出来ないのであった。政庁首脳部からも事を穏便に進めるよう言い含められている。その上で行動を見張れと言うのが、ハッテ政庁の本件に対する姿勢であった。
 こうして二日前から、サイド2守備隊所属の各機は、領海内を探索する232実験部隊に同行していた。名目上は協力だが、実質的には監視である。行き過ぎた行動を取らぬよう、彼らに張り付いているのである。駐留連邦軍も同様にモビルスーツ部隊を展開していたが、守備隊に比べてその動きが目立たないのは、コロニーの住人を刺激しないための配慮からだった。サイド2に限らず、スペースノイドの連邦軍に対する反発は、いまだ根強い。
 いわば緩衝剤的な役割を与えられたサイド2守備隊だったが、当の隊員たちにしてみれば、面白くない任務だった。そもそも艦載機がバーザムというのが良くない。バーザムは元々、ティターンズが連邦軍そのものであった頃に製造された機体である。一応、部隊指揮官向けの高性能量産機という位置付けだったが、ティターンズに優先して配備されたこともあって、実際のところはティターンズ専用機と言っても差し支えない代物だ。
 そんな機体で装備を固めていられるのも、232実験部隊が元ティターンズだからだろう。そして、乗っている男達の態度もまた、全盛期のティターンズそのままに尊大であった。同行するサイド2守備隊のパイロットを、格下として明らかに見下している。機体や制服の色こそ違え、仇敵であったティターンズに、顎で使われているような錯覚を覚えるのであった。
 クラフトは同僚達と違って、元エゥーゴだティターンズだといったことに、あまり拘りをもってはいない。それでも、232実験部隊所属のパイロット達の、こちらを挑発するかのような行為には、憤りを覚える。
(悪いことが起こらなければ良いが……)
 ディアス改のセンサーが所属不明機の反応を捉えたのは、クラフトがそう思った矢先のことであった。

「オッケー、ティレル。降ろして!」
 隕石に半ばめり込むようにして擱座したワーカーの、割にがっしりとした両腕をようやく引きずり出したメッドのカチュアは、大きく一つ息を吐くと、相方に向かって呼びかけた。待ってましたとばかりに、スワローテール号の電磁クレーンが降りてくる。
『すまねぇな、お嬢ちゃん』
「いいって。困ったときはお互い様よ」
 心底申し訳なさそうな声を出す中年の操縦者に軽く応えると、クレーンの先にある固定用ワイヤーフックを手早くワーカーの腕に絡ませるカチュア。「上げて」と言って、メッドをワーカーの傍らに移動させる。
 電磁クレーンに通電し、マグネットがワーカーの胸元に吸い付いた。小刻みな振動と共に、めり込んでいたワーカーの機体が徐々に引き上げられて行く。カチュアは思わず、メッドに隕石を押さえるような姿勢を取らせるのだった。
 工業コロニー向けに電力を供給する発電衛星の定期メンテナンスに駆り出されたスワローテール号が、その帰路にサイド2領海内の暗礁地帯、いわゆる“ゴミ溜”に寄ったのは、二人の気まぐれからであった。作業が予定より早く終わったので、暇つぶしがてら宝探しに繰り出したのである。
 言い出したのは、例によってティレルである。コーウェル整備工場きっての腕利き技師、コロノフと共に、日夜装備品の改造にいそしむ彼は、ストックを増やすには絶好の機会だと思ったのだ。
 公私混同もいいところだが、ティレルがこれを言い出すのは、コロニー公社直轄の作業が手早く済んだ場合に限られていた。コロニー公社の仕事は、コーウェル整備工場が請け負う仕事の中では、金額的に安い部類に入る。が、燃料代と酸素代に補助が出ることを、彼は知っていた。
 そして、毎回呆れながらもカチュアがそれに同意するのは、メッドを好きに操縦できる数少ない機会だからだ。前述のような理由から、多少遊んでもティレルに怒られる心配がないのである。故に、彼女の手際は、コロニー公社直轄の作業となると格段に良かった。ティレルも薄々それに気付いているようだが、さすがに何も言わない。ジャンク漁りは完全なる趣味なので、下手なことを言ってやぶ蛇になるのを恐れているのかもしれない。
 一方、引き上げられるワーカーの中年男は、それを生業とする生粋のジャンク屋であった。宇宙のゴミを浚っては、結構な値段で売り飛ばすのである。ワーカーさえ手配できれば、あまり元手をかけずに稼げるとあって、この手の人間はコロニー中にごまんといる。
 だが、ジャンク屋家業は危険と背中合わせの仕事でもあった。地域によっては組織化されていることもあるようだが、たいていは一人二人がろくな装備も持たずに行うため、ひとたび事故に遭うと二度と戻らないのが常である。そういう意味では、男は運に恵まれていた。
 ワーカーの微弱な救命信号など、“ゴミ溜”の中では気休め以下の効果しかない。仮に誰かが受信しても、それが同業者であった場合にはほとんどが無視されてしまう。カチュアのような堅気の衆がたまたま通りがかったおかげで、彼は同業者の戦果とならずに済んだのである。
 そのことが、男を饒舌にさせた。
「にしても、いったいどうしたの?」
『どうしたも何も、モビルスーツにいきなり煽られてよ』
 一段落ついたカチュアの問いに、男はキャノピー越しに、幾分大げさな身振りを加えながら答えた。
『モビルスーツ?』
 とはティレル。コロニー領海内の“ゴミ溜”に、軍関係の機体が近づくことは、平時であればほとんど無い。その反応に得たりと思ったのか、
『ああ。ありゃ、連邦でも守備隊でもないな。例の戦闘の噂、案外本当かもしれねえ』
 と続ける。
 レッドアロー号の遭難に関して、港湾当局は依然として正式見解を発表していなかった。複数の船舶が目撃したという戦闘らしき光についても、確認中というコメントを繰り返すばかりである。そのため、サイド2の住人達の間には、様々な憶測が流れていた。
 反地球連邦政府組織の残党によるテロ説。レッドアロー号の積み荷に関する産業スパイの暗躍説。実はレッドアロー号は反地球連邦分子の工作船で、近海に居合わせた連邦軍の戦艦イグニス・ファタスによって沈められたとする説。等々。
 そんな数ある憶測の中で、特にまことしやかに囁かれているのが、イグニス・ファタスによって沈められたとするものであった。沈められた理由については、これまた多くの説があるのだが、時を同じくして寄港したイグニス・ファタスを疑う傾向が強いのは、宇宙の住人が潜在的に反連邦政府の思想を持っているからだろう。
 一年戦争開戦と同時に、無差別攻撃によってサイド2を壊滅させたジオン公国。その悪夢の記憶があってもなお、ジオンを打ち負かした地球連邦政府を信用しないのが、スペースノイドと呼ばれる人々である。
「戦闘ねぇ……」
 男の言葉に、メッドを隕石から離れさせたカチュアは、どこか疑わしそうな声で漏らした。もっとも、カチュアもまた、戦闘らしき光を目撃した一人である。どちらかと言えば、信じたくないとの思いから出た言葉だった。
「ティレルはどう思う?」
 わざわざ相方に聞いてみたのも、そんな気持ちがあったからだ。あの時、一緒に作業していたティレルも当然、例の光を見たはずなのだが、反応があまりに素っ気なかったことを覚えている。だが、好奇心旺盛なティレルのこと。きっとその後、いろいろ調べていたはずである。その彼が今日まで話題にしてこないところを見ると、戦闘なんかではなかったのかもしれない。
 ところが、いくら待っても返事の返る気配が無いのであった。
「ねえ、どう思うの?」
 たまらずせっついてみるが、応答がない。不審に思ったカチュアは、ワーカーの機体が完全に隕石から離れたのを確認すると、メッドをスワローテール号のブリッジに接触させた。
「ティレル、どうかしたの?」
『……えっ? 何?』
 それまで一心にディスプレイをのぞき込んでいたティレルが、驚いたように顔を上げる。
「何って、聞いてなかったの?」
『えっと……ごめん、何だっけ?』
「……いいよ、もう」
 呆れ顔でそう答えるカチュアだったが、内心、気になっていた。ティレルのことである。朝からどうも様子がおかしいのだ。ぼーっと物思いに耽るような感じで、話を聞いていないことがある。カチュアが知る限り、これで四度目である。“ゴミ溜”に行こうと言い出したので、大丈夫だろうと思っていたのだが……。
「あのさ、ティレル」
『ん……?』
「何か悩み事でもあるの? 私で良ければ相談に乗るけど」
 キャノピー越しに、ティレルが目をしばたたかせるのが判った。
『いや、別に悩んでなんかないけど……』
 ——その時である。
 薄桃色のモビルスーツが一機、闇を引き裂くように姿を現した。息を呑む二人の前で、巨大な一つ眼が淡いグリーンの光を放つ。まるでこちらの様子を伺うかのように。
「ガザ……」
 一瞬の出来事である。だが、ティレルの漏らした呟きを、カチュアの耳は聞き漏らすことなく捉えていた。

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