ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

2.将軍と参謀

「第三艦隊は予定より半日遅れで入港する見込みです」
「そうか……。アナハイムへは通達済みだな?」
「はい。念のため、アンマン側のハッチを使うとのことですが……?」
「……分かった。大尉にもそう伝えておけ」
「ハッ……」
 月の裏側の都市、グラナダ。表のフォン・ブラウン市に次ぐ、人口第二位の月面都市である。旧大戦中はジオン公国の前線基地として機能したこともあったが、現在はフォン・ブラウン市共々、アナハイム城下町としての感が強い。
 アナハイムエレクトロニクス社は、家電からモビルスーツの開発まで手がける巨大複合企業だ。その実態は厚いヴェールに包まれており、地下深くの工場で何が開発されているのかは、工場近くに居を構える連邦軍すら知らない。
 エゥーゴ全軍を束ねるラレフ・カーター准将は、アイリッシュの女艦長、マニティ・マンデナ中佐を伴い、グラナダ基地内にあるエゥーゴ参謀本部へと歩いていた。
 カーターはエゥーゴ総司令であった故ブレックス・フォーラ中将の副官を、エゥーゴが決起する以前から努めていた人物である。クワトロ・バジーナ大尉ことシャア・アズナブルの失踪後、推されてエゥーゴ軍総司令の座に着いていた。就任時に准将へと昇格し、将官クラス最若手としても注目を集めている。
 だが、その顔は苦労が絶えないのか、年齢以上に老けて見えた。
「連邦軍だがな……」
 マンデナ中佐と二人だけでエレベーターに乗り込んだカーターは、おもむろに口を開いた。
「ワーノック艦隊をようやく排除するそうだ」
「ワーノック? あの、旧ゼダンに立て籠もる一派をですか?」
 意外そうな顔をするマンデナ。
 バーミンガム改級主力戦艦シェフィールドを旗艦とするワーノック艦隊は、ティターンズ残党の中では最大の勢力を誇る部隊だ。グリプス紛争末期にアクシズとの衝突で大破、放棄された宇宙要塞ゼダンの門を居城とし、ネオ・ジオンの圧力にも屈することなく、現在に至るまで反抗し続けている。
「連邦にそんな度胸が……」
「アボットだよ。恐らく、今日の会合もその事だろう」
 カーターは苦々しげにエゥーゴ参謀本部メンバーの名を挙げた。当面の彼の敵である。マンデナもまた、渋い表情を作った。
「……連邦軍参謀次官の椅子がよほど欲しいようで」
「ああ」
 軽い振動を伴い、エレベーターの扉がゆっくりと左右に分かれて行く——。

「——と言う訳で、我々はゼダンa攻撃隊の中核となります。以上のことについて、異議はございませんな」
 一通りの説明を終えると、アボット・ブリードは円卓に向かう一同をぐるりと見回した。むろん、異議などないことを見越しての行為である。その自信に満ちた顔を、カーターは忌々しい思いで見つめる。
 地球連邦政府高級官僚の地位にあった彼がエゥーゴに参加したのは、シャア・アズナブルによるダカール演説の、少し前のことである。大勢がエゥーゴに傾くと読み、自身の昇進を賭けたのだ。
 参加当初は主に政界工作を担当していたが、軍隊経験と人脈の太さを買われ、今やエゥーゴ参謀本部の一翼に名を連ねている。グリプスを巡る一戦で消耗して以来、無能の集団と化した参謀本部の中では唯一、実務をこなせる人間であることから、その発言力は日増しに強まっていた。彼が自信を持つのも当然である。
「本作戦は両軍の統合に先立ち、両者の連帯を深めるための作戦でもあります。カーター准将には、この点に留意した上での奮闘を期待したい」
「……背後から撃たれることはないのか?」
 カーターはそれに答えず、別のことを訊いた。
「まさか。友軍が攻撃するなど……」
「先日のティターンズ残党によるルナツー攻撃、基地内部にも同調者がいたという話だ」
 ティターンズの唱えた地球至上主義——地球民こそが真に優れた指導者であるとの思想——は、地球出身の連邦軍人たちの間でいまだ高い支持を得ていた。そして、その有形無形の支援を受けて反抗を続けるのが、現在のティターンズ残党なのである。彼らの攻撃に乗じてそれら連邦軍人が内部反乱を起こしたのは、一度や二度ではない。
「……信用できるんだろうな? 我々はまだ、連邦軍ではないんだぞ」
 不信感も露わに、彼は言った。無論そこには、エゥーゴの軍章をつけていないアボットに対する当て付けが込められている。
「連邦側の部隊は、月軌道艦隊を中心に厳選する精鋭だ! 問題はない!」
 彼の視線に真意を悟ったか、強い口調で否定するアボット。
「准将の心配は分かるが、連邦の部隊編成には我々も関与することになっている。もっと信用してくれてもよかろう?」
 参謀の一人、メッチャー・ムチャも、顰め面をしながら口を挟んだ。
「統合準備は順調だ。作戦も必ず成功する」
「そうあって欲しいものですな」
 カーターはだが、冷ややかに答えただけだ。悪徳商人を思わせる風貌の男を、彼は誰よりも信用していない。
「ゼダン討伐戦には、間もなく帰還する第三艦隊を当てます。第一艦隊及び、サイド2、サイド5の各防衛部隊は、有事に備え現状を維持」
「第二艦隊は?」
「暗礁宙域にて作戦行動中です」
 にべもなく答えるカーター。
 ——ネオ・ジオン残党艦隊を捜索すべく、暗礁宙域へ向かうよう命じたのはお前らだろうが。
「そ……そうか。そうだったな」
 アボットはたじろぎ、メッチャーら居並ぶ参謀達も、「数が足らんのではないか?」などと口々にこぼす。
「やはり、政治的思惑による作戦は避けるべきでしたな」
 それこそ皮肉たっぷりにカーターは言ってやった。連邦軍の早期掌握を意図してティターンズの残党狩りに主力を割き、ハマーン軍のコロニー落としを防げなかった失態を暗に非難したのだ。更に、その教訓を生かせない無能さをも。
 ただでさえ少ない戦力を分断していては、勝てるものも勝てない。
 今さらのように悩む彼らを内心でせせら笑うと、
「では、小官は作戦準備がありますので」
 カーターはもはや彼らに構わず、マニティと共にさっさと参謀本部を辞したのであった。
「先が思いやられますね」
「構わんさ。我々は我々の戦いをするまでだ」
 再びエレベータの人となったカーター。
「——第二艦隊は予定通り行動しているな?」
「はい」
「フフ……。すべて順調か」
 そう言う彼の瞳は、淡い天灯の下で、妖しい光を湛えていた。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。