ゼロの軌跡
作:澄川 櫂
6.二つの写真
談笑溢れるブリーフィングルームに、ジョン・フレディ中尉の手を叩く音が響いた。
「よーし、全員集まったな。大尉」
「ん。では、これから飛行訓練の打ち合わせを始めるが、その前に新しいメンバーを紹介しておく」
そう言ってデュランが目で合図すると、隣にいたリサは、一歩前に出て頭を下げた。
「リサ・フェレルです。よろしくお願いいたします!」
「彼女は元はアナハイムのテストパイロットだが、ゼロの操縦に慣れてるんで一緒にうちへ来てもらった。腕の方も確かだぞ。な?」
「え? そんな……」
突然デュランに言われ、顔を赤らめ恥じらうリサ。その様子にパイロットたちの間から笑いがこぼれ、辺りを和やかな空気が包んでいった。
「可変タイプのゼロは足が長い。で、しばらくはメタス隊に組み込むつもりだ。いいな? パレット少尉」
「はっ」
「まあなんだ、みんな仲良くしてやってくれ。俺の方からは以上だ」
リサの肩にポンと手を置くと、デュランは椅子を一つ持って、パレット少尉の側に座った。カージガンおよび第三艦隊のモビルスーツ隊を預かるデュランだが、こういう説明は全てフレディ中尉に任せているのである。
一方のリサは、フィルとトニーの斜め後ろに腰掛けた。
「……なあなあ、近くで見るとやっぱ可愛いよな」
ちらっ、ちらっと後ろを見ながら、小声で囁くトニー。
「うん……」
頷くフィルとは言えば、こちらは完全に目線を彼女に向けている。と、それに気付いたリサが、微笑みながら彼に向かって手を振った。
フィルの顔がほのかに赤くなる。
「なに照れてんだよ」
「べっ、別に照れてなんか……」
「こら! そこの二人、聞いてんのか!」
『は、はいっ!』
フレディに怒鳴られ、慌ててしっかり前を向く二人。それを見ながら、デュランは小さく笑った。
「……どうかしました?」
「いや、昔を思い出してな」
「昔?」
「一年戦争の頃だよ。俺もあいつらぐらいの歳だった」
パレットに言いながら、デュランは目を細めた。もう十年も前のことである。
「大尉もあんな感じでしたの?」
「ああ、しょっちゅう怒鳴られてた」
これには、パレットも小声で笑い出した。前に立つフレディが、なんとも不思議そうに視線を向ける。
デュランは苦笑しながら、なんでもない、と手を振って見せたのだった。
「で、実際のところはどうなんだ?」
「操縦に関しては問題ないよ」
デュランの自室。
つい一時間ほど前に届いた自分宛の資料に目を通しながら、デュランは顔を上げずにステファン艦長に答えた。テーブルに置かれた封筒には、赤い字で「極秘」と書かれている。
これは補給部隊と共にカージガンを訪れた通信兵によって、艦長に直接手渡しでもたらされたものであった。最近では珍しい手書きの報告書である。
が、ステファンはその内容を知らない。カージガンの中でも、デュランだけが見ることを許されたファイルなのであった。通信兵がステファンに渡したのは、デュランが訓練飛行に出ていて不在だったからに他ならない。もし彼が艦に残っていれば、ステファンはその存在すら知らなかったことだろう。
艦長であるステファンがデュランを呼ばず、わざわざ彼の部屋に出向いたのは、このような理由からであった。もっとも、あえて内容を問うことはしないつもりであった。
デュランとステファンは一年戦争来の友人である。だから、もし彼が話してくれるのなら、という思いでステファンはここを訪れたのだ。
「操縦に関しては、か。何が問題なんだ? やはり実戦不足?」
「いや、それ以上に人間関係かな」
「人間関係……? ああ、ガキ共のことか」
「まるで昔の自分を見てるようだ」
二人は笑った。
一年戦争当時、ステファンは砲術士官だった。が、乗っていた艦はデュランと同じであり、ひょんなことから面識もあった。そして、彼ら第117MS中隊の話は、艦内でも有名だったのである。
ステファンは視線をベッド脇の引き出しへと動かした。そこには、二つの写真が飾られている。パイロット達の集合写真と、デュランの家族の写真である。
いずれも古いものだ。
「そういえば……いいのか? 彼女。最近行ってないんだろう?」
その内の一人を見つめながら、ステファンは何気なく尋ねた。
「……こう任務続きじゃ仕方ないさ」
デュランの表情が僅かに曇る。が、それも一瞬のことで、何事もなかったように、ファイルをステファンに向かって差し出す。
「いいのか?」
「艦長には知っててもらった方が、後々話が早いからな。それに、どうせ見たくて仕方ないんだろ?」
「ハハハ、やっぱりバレてたみたいだな」
苦笑しながらステファンがそれを受け取ったとき、外からドアを叩く音がした。
「大尉、いますか? マクガバニーさんから頼まれたもの、持ってきました」
フィルの声だ。
「おう、入れ」
「失礼しまーす」
ひょこひょこっと入ってきたフィルであったが、ステファンの姿に気付いてぎょっとしたようである。まさか一士官の部屋へ艦長が直々に訪れていようとは夢にも思わないから、仕方のないことではあるが。
「……俺もそんなに偉くなったのかな?」
「さあ」
肩をすくめてみせるデュラン。
「ま、それもいいか。こいつは処分して構わないんだろ?」
「ああ」
彼が頷くのを見て、ステファンは部屋を辞した。その様子を緊張した面もちでフィルが追う。まるで親に叱られた後の子供のようだ。
デュランは可笑しく思った。
「いつまで突っ立ってるんだ? フィル」
「あ……」
「まあ、こっち来て座れや。コーヒーでも飲むか?」
「い、いえ! あの、これをチェックして下さいって……」
フィルは慌てて持ってきた書類を彼に渡した。ゼロの整備に関するものである。
「ん? ああ、イに回すやつか。すまんがちょっと待っててくれ」
「あ、はい」
コーヒーをもらえば良かったと思いつつ、フィルは部屋を見回した。自分の部屋と別段変わっているわけでもないのだが、他にすることがないからである。
と、彼も引き出しの上に写真を見つけた。ふと、その一つを手に取ってみる。
そこには若き日のデュランと、腕に寄り添う一人の女性。そして、二、三歳くらいの男の子が、デュランに抱かれて笑っていた。
「大尉、結婚してたんですか?」
「ん……まあな」
気のない返事が返ってくる。
「あれ? こっちの写真に写ってるのも……」
「ああ、それはア・バオア・クー海戦の直前に撮ったものだ」
もう一枚に話題が移ったとき、デュランはようやく立ち上がった。書類のチェックが済んだのである。
「当時、俺たちは同じ部隊でな、戦争が終わって落ち着いて、それで一緒になった」
「ふーん」
「お前と同じかもな」
「え?」
その言葉に、フィルはびっくりしたように彼を見上げた。
「リサのことだよ。好きなんだろ?」
「べ、別に僕は……」
「ハハハ。そんなんじゃトニーのやつに先を越されちまうぞ」
「トニーが? まさか!」
信じられない、という感じのフィル。親友だし、特に変わった様子もないからだ。
「ライバルってのは、往々にして知らん顔をするものさ」
デュランは言ってやった。
「……経験あるんですか?」
「結果的には俺の勝ちだったがな」
フィルの問いに小さく笑って答える。だが、その瞳はどこか遠くを見つめていたのだった。
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