ゼロの軌跡
作:澄川 櫂
8.ブラック・ボックス
「大したもんだなぁ」
「ええ、あの大尉にピタリと付いてますよ」
暗礁宙域を行く戦艦カージガン。
総員三百六十度監視体制にあるにもかかわらず、ステファン艦長をはじめとするブリッジクルー達は、ゴミの合間を縫うように飛ぶ二つの光を追いかけずにはいられなかった。
それは、アルバート・デュラン大尉のリック・ディアスと、リサ・フェレル曹長の操る新型モビルスーツ、ゼロの発する航跡である。二人は戦争の残骸が無数に浮遊するこの場所で、飛行訓練を行っているのであった。
いかに艦隊がゴミの少ないルートを通っているとは言え、モビルスーツはおろか、艦艇を破壊するにも十分な質量を持ったものが少なくない空間である。そこでの訓練など危険極まりない行為だ。
が、リサという少女はそこを難なく飛行するばかりでなく、エゥーゴのエース、アルバート・デュラン大尉をピタリとマークして離れないのだ。若干十七歳の少女が、である。
彼らが驚嘆するのも無理はなかった。
「思わぬ収穫だな、こいつは」
「艦長、暗礁宙域離脱予定時刻まで、一時間半を切りました」
「ん……。大尉に発光打電、引き上げるように伝えろ」
「はっ」
暗礁宙域を抜ければ、ゼダンは目の前だ。それまでに補給と整備を終え、出撃体勢を整える必要がある。
カージガンの艦橋から放たれる光が、岩塊の谷間を行く二機に帰投を促した。
ディアスとゼロを収容したモビルスーツデッキは、にわかに慌ただしさを増していた。それでいて人影が少ないのは、三百六十度監視が解かれていないためである。あと三十分は、メカマンも必要最小限しか戻らない。
その中にあって、アナハイム社のウォーレン・マクガバニー技師は、精力的にゼロの整備を手伝っていた。
彼が心血を注いで造り上げた可変型モビルスーツ、ゼロ。これから二時間を待たずして始まる作戦は、その夢にまで見たデビュー戦なのである。力の入らないはずもなかった。
リサの記したチェックシートをくまなく確認し、コックピット周りを中心に丹念に機体を点検する様は、カージガンのメカニックチーフ、イ・フェチャンですら頼もしく思ったものだ。
が、イの黒い瞳は、眼鏡の奥で疑惑の色を隠せずにいた。そして、デュラン大尉の姿を見つけるや、彼の方へと流れていったのである。
「大丈夫そうだな? リサ」
「はい! ゼロもあたしも絶好調です!」
「そうか」
「大尉!」
リサと談笑しながらエアロックに向かうデュランを、イは大声で呼び止めた。
「ん……? なんだ、曹長」
「ちょっとお話が」
イの視線が、人目をはばかるように辺りを見回す。その様子に気付いたデュランは、一つ頷くと、さりげなくリサに言った。
「リサ、今のうちにシャワーでも浴びておけ。ブリーフィングは四十分後に行う」
「はい!」
彼女の青いパイロットスーツがエアロックに消えるのを見届けると、デュランはイと共に、下部デッキ脇の工作室へと入った。薄暗い部屋の片隅に置かれたデスクに、後ろ手に手をついて、腰を預ける。
「……なんだ?」
「ゼロを整備していて気が付いたんですが……」
静かにドアを閉めるイは、どこか躊躇いがちに間を置いたが、
「あのブラックボックス、サイコミュですね?」
背後で閉じる扉の音に背中を押されたように、一息に言った。その言葉に、デュランの瞳が一瞬、鋭い光を湛える。
「——どうして、そう思うんだ?」
「どうして、て……」
逆に問われて戸惑うイだったが、すぐに試されていると悟って、覚悟を決める。デュランが口元に、微かにだが、笑みを浮かべているように思えたからだ。
「回路上、メインコンピュータをバイパスして制御系と直結できるシステムだなんて、おかしいじゃないですか。おまけに、ヘッドレストの裏には、スピーカに偽装した脳波計測器が仕込まれている。疑わない方がどうかしています」
デュランはそれを最後まで言わせなかった。我知らず大声になるイを手で制すと、深くため息を吐く。
「さすがに、君の目はごまかせなかったな」
デュランは呟くように言うと、降参とばかりに両手を挙げて見せた。
「本気ですか? 大尉。サイコミュ搭載マシンを使うだなんて……」
サイコミュとは、人間の脳波を電気信号に変換して直接機体に伝えることで、反応速度を極限まで高める同時に、より感覚的な操作を可能とした画期的なシステムである。だがその反面、パイロットにとっては精神的に過酷なシステムであり、ニュータイプ、あるいはそれに準ずる生体改造を受けた者にしか扱えないとされている。
元々はジオン公国で開発された技術である。それを一年戦争に勝利した地球連邦軍が接収し、各地に設立したニュータイプ研究所で独自の研究が続けられた。しかしその実態は人道を無視した人体実験がほとんどであり、数多くの悲劇を生み出したのである。
故に、サイコミュシステムを知る者の中には、それを毛嫌いする者が多かった。心ある技術者であれば、必ず眉を顰める。そんな代物だ。
「曹長、いい機会だから言っておく」
デュランは立ち上がって、口を開いた。イより顔半分ほど高い位置にある視線が、丸眼鏡の奥の瞳をじっと見下ろす。
「あれは、正式にはエゥーゴに存在しない機体だ。深く考えない方がいい」
「刻印を見れば、そんなことは分かりますけどね」
デュランの言に、イは肩をすくめてみせた。
コックピットハッチの裏に彫られた機体ナンバーはMSZ-000。開発順にナンバーを振ったエゥーゴのモビルスーツにあって、スリーゼロのナンバーが存在するはずもない。
そんなナンバーが付けられる理由はただ一つ。それはこの機体が、正式採用機ではないということである。
だが、イにとって、そのこと自体はどうでもよかった。エゥーゴ参謀本部と実働部隊の現状の関係を見れば、充分にあり得る話だからだ。彼が気にしているのは、あくまでも秘密裏に搭載されているシステムに関してなのである。
「……彼女、強化人間ですか?」
「馬鹿言え」
デュランは苦笑した。
「いくらなんでも、そんなものは使う気になれんよ」
サイコミュシステムに適合するよう調整されたという人間の存在は、彼も噂に聞いて知っていたが、リサは誓ってそのような少女ではない。
「ゼロに積んであるのは、一般人でも問題なく扱えるようにしたものだ。それだけに精度は低いが……。ま、補助的なサポートシステムとでも思ってくれ」
「一般用のサイコミュ、て……」
「ゼロはアナハイム製だ。適当に想像しろ」
そう言われて、イは素直に納得した。突き放したような答えだが、それでいて的を得ていたからである。
各方面にパイプを持つアナハイムエレクトロニクスなら、地球連邦軍に存在しない技術を得るのも易しい。改良型ガンダリウムの件がいい例だ。
提供元が連邦軍でなければ、導き出される答えはただ一つ。アクシズ、いや、ネオ・ジオンから流出したものに違いあるまい。
「さて、そろそろシャワーを浴びに行かせてもらっていいかな?」
事情が飲み込めたらしい整備班長に、デュランは人の悪い笑みを浮かべた。はっと我に返るイは、そのまま通り過ぎようとするデュランを慌てて引き留めた。
「あ、せめて私にだけでも、サイコミュの調整法を教えていただけませんか? いざというときにマクガバニー一人だけでは」
「そうだな……」
デュランは少しだけ、考える素振りを見せたものの、
「分かった、彼には俺から話しておこう」
イの申し出をあっさり了承した。
実のところ、マクガバニーがどこまで付き合ってくれるつもりなのか、彼自身、計りかねていたのだ。これを機会に知っておいてもらうのも良いだろう。
「お願いします」
頭を下げるイに、だが、デュランは言い添えることを忘れなかった。
「曹長、解ってるとは思うが、この件に関しては他言無用だ。特に艦長にはな?」
「心得てますよ」
背中を向けるデュランに、イは軽く笑って見せる。
ニュータイプ研究所、通称ニタ研に関する技術を嫌う者は、エゥーゴに多い。艦長のウィリアム・ステファン中佐は、その中でも最右翼だった。一年戦争来の親友であるデュランのしたことであっても、知れば烈火のごとく怒るだろう。
けれどもイは、軍医にだけはそれとなく話すつもりだった。
いかに優秀なメカマンといえども、パイロットの健康状態だけは調整することができない。ゼロのサイコミュシステムが、たとえ一般向けに完成されたものであっても、それがリサを傷つけないとは言い切れないのである。
パイロットの命を預かる整備員は、パイロットの体調にも留意すべきである。それがカージガンのチーフメカニック、イ・フェチャンの信条であった。
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