ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

21.将軍達の苦悩

「……これが最後になるな」
「は?」
 エゥーゴ第一艦隊旗艦、アイリッシュ。その参謀シートに座るラレフ・カーター准将の漏らした一言に、マニティ・マンデナは訝しげに振り向いた。グラナダを出港し、月の衛星軌道を脱して間もなくのことだ。前方を見据えるカーターには、若干、疲労の色が見られたが、それも無理のない話だった。
 隕石ミサイル阻止作戦への参加を条件に解放を持ちかけられたカーターは、周囲の予想に違わず快諾した。即刻アイリッシュに命じて籠城を止めさせた後、作戦に必要な準備を短時間で済ませるべく、出港の直前まで奔走してきたのである。
 そんなカーターにとって意外だったのは、アボットがなんら注文を付けなかったことだ。「せいぜい好きにやれ。なんなら私も使い倒すか」と、微笑混じりに耳元で囁いただけで。もとよりそのつもりのカーターだったが、アボット自身から言外に利用しろと告げられるとは、思いも寄らない。初めは本心を疑ったカーターも、自身が真に望む形で連邦軍との折衝を進めるアボットの姿に、結局はその方面のいっさいを任せたものだ。
 だが、全てがカーターの思い通りに進むはずもない。中でもスポンサーに関する問題は、本動乱以前からの懸案事項でもあっただけに、最も好ましくない形での決着となった。
 カーターの口から長い吐息が漏れる。
「メラニーとの契約は終わった。本作戦で消耗しても補充はない。軍隊としての活動も、ここらが限界だな」
「……確かに、戦力的には厳しくなります。ですが准将、我々はまだ」
「いや、終わるのだよ」
 マンデナを遮って、カーターは言った。
「ここ数日の間に、我々は多くの若い生命を失った。これからの時代を担う若者達を。人類にとって、これは大きな損失ではないのか」
 カーターの声は重い。それだけ、第三艦隊壊滅の報が応えていた。艦隊を構成していた七艦のうち、実に五隻までもが宇宙の塵と消えたのである。応えないはずがない。
「准将……」
「戦うばかりがエゥーゴではあるまい。あるいは、連邦の良心として生きる道もあるはずだ。これ以上、無駄に生命を失わせてはならない。これで終わらせるのだ」
 決して無駄であったとは思いたくもないが、大勢を覆せるだけの力を持たない以上、報われない犠牲で終わる公算は高い。傷口をこれ以上広げる理由はなかった。
 無言のブリッジに計器類の奏でる音が伝う。
「間もなくグラナダ管制区を離れます」
 長く続くかに思われた静寂を不意に破って、オペレーターの報告が響いた。それまで正面を見つめたままだったカーターが、ようやくマンデナ艦長を向く。
「だが、ティターンズだけは、なんとしても排除せねばならん。そして、堕落した連邦には教訓を与える必要がある。そうだな?」
「はっ……」
 彼らがこれから赴くコンペイトウ奪還作戦には、当然ながら連邦宇宙軍の用意したシナリオがある。が、カーターにそれを演じるつもりはなかった。演じれば、エゥーゴは歴史の波にただ埋もれるだけだ。解散するにしてもやりようがある。
 しかし、独自のシナリオで演じることは、激戦に身を投じることをも意味する。第三艦隊のほとんどを失った今、エゥーゴの戦力はワーノック軍と同じか、それ以下。兵の苦労を思うと心は晴れない。
「カージガンとリバプールは、戦闘を継続できるのか?」
「ミスロォウからの報告によれば、僅かな補修で復帰できるとのことです。ですが、沈んだ艦の乗員をはじめ、負傷した兵も多く……」
「現時点をもって、リバプールの戦闘配置を解除。負傷兵を収容したのち、サイド2へ撤収させる」
 マンデナ艦長が言い終えるより先に、カーターは命じていた。僅かに安堵の表情を浮かべるマンデナであったが、
「サイド2からの二艦を護衛につけてな」
 続く彼の言葉に息をのむ。
「しかし准将、それでは」
「リバプールのモビルスーツ隊は、直援を除いてカージガンに回せ」
 皆までいわせず指示を重ねるカーター。確たる口調に、マンデナも引き下がるしかなかった。
「こうなるとフェイルシャークが使えるのは幸いだな」
 右手に浮かぶ、ずんぐりしたグレーの艦を見やって、カーターは言った。
 フェイルシャークはモビルスーツ展開能力に長けた簡易空母である。四基のカタパルトデッキと二門のメガ粒子砲を備えた新鋭艦で、艤装八〇%ながら参加していた。
 艦単体の戦闘能力こそネェル・アーガマに劣るが、多くの艦艇を失った今となっては、むしろモビルスーツ搭載数で遙かに優るフェイルシャークの存在は貴重である。
「グラナダ管制区を離れました」
「各艦に伝達。これより無線封鎖、艦隊は所定の進路を取れ」
 凛と通る声で命じるマンデナ艦長。この「所定の進路」とは、アボットが連邦軍に示したそれではない。そもそもアボットは艦隊の予定進路を彼らに問わなかった。適当な計画図をカーターに示し、「これで邪魔にならんか」と尋ねただけだ。
 グラナダに残る人間の中に、エゥーゴ艦隊の行動を正しく把握するものはいない。騙されたと気付いた連邦軍がその後いかに手を尽くしたところで、得られる情報は限られている。アボットもまた、いいように振る舞ってくれるだろう。
(矛盾を承知で事を起こすのだ。せいぜい慌ててもらおうか)
 カーターの無言の嘲笑は、音もなく宇宙へと広がって行く——。

 コンペイトウは平静を取り戻しつつあった。主権は連邦軍からティターンズ残党へと移り、元の主はその一角に閉じこめられている、という違いはあったが。彼らの抵抗は依然として続いているものの、司令席に座るクレイブ・ワーノックにとっては、さしたる問題でもなかった。
「ではこれより、第六、第七戦隊の殲滅に向かいます」
「うむ。各員の健闘を祈る」
 モニターの向こうで敬礼するキボンズ少佐に、ワーノックが独特の重みのある口調で頷く。月の連邦幹部らに比べ、なんと威厳に満ちたことか。これら一挙手一投足にティターンズ将兵は惹かれ、今日まで戦い続けているのだ。
「ハロルド・スミス大佐がお見えになりました」
「私の部屋へ案内してくれ。ここはしばらく任せる」
「ハッ!」
 席を立つワーノックを、司令部に詰める全将兵が挙手の礼で見送った。規律を重んじるティターンズならではの光景である。だが、ワーノックの顔色はなぜか晴れない。

「主要部からの新政府軍の排除、完了しました」
「ご苦労でした」
 口頭報告をするコンペイトウ鎮守府副司令ハロルド・スミス大佐に、ワーノックは労いの言葉をかけた。此度のコンペイトウ占拠は彼の協力無くしてはあり得なかっただけに、自然、言葉も丁寧になる。が、当のスミスはそれを気にするでもなく、淡々と続ける。
「ヘルハウンドの塗装変更も間もなく完了。順次、ティターンズ各艦へと搬入します」
 コンペイトウ工廠の自主生産機であるヘルハウンドは、他機に無い漆黒のボディカラーが特徴の一つである。だが、ワーノック艦隊にあっては、黒はミハイル・ロッコ大尉のパーソナルカラーとして定着していた。彼に新たに与えられた機体、ヘルハウンドの上位機種であるサーベラスも、同様に漆黒のボディカラーを採用している。そのため、識別を兼ねて濃紺ツートンのティターンズカラーへと塗り替えているのだ。
「投降した第九戦隊の処遇はいかが致しましょう」
「港外に停泊中でしたな……。それに関してはお任せします。よろしく取り計らって下さい」
「は。では……」
 相変わらず淡々と答えるスミス。能面のように表情一つ変えないその姿に、ワーノックは少なからず疑問を覚えていた。
 処遇を任せると言うことは、好きに使って構わないと言うことでもある。それなりの規模の艦隊だ。上手く掌握できれば相当な戦力になる。いかに野心の薄い人間でも、何らかの反応を示してよさそうなものだ。
 だが、彼にはそれがなかった。ただ機械的に職務を果たしているとしか思えない。
 と、
「閣下」
 報告を終えて退出しようとするスミスが、不意に口を開いた。振り向くワーノックに、静かに問いかける。
「閣下はこの戦で連邦が変えられると、本気でお思いですか?」
 その言葉は冷たい刃となって、ワーノックの心を抉った。いや、突いたという表現が正しいか。はっ、とスミスを見るワーノック。そして視線があったとき、彼は己の胸の内を知られたと悟った。スミスが初めて笑みを見せたのである。小さく、儚げな笑みを。
 ワーノックは大きく息を吐いた。
「……無理であろうな。大敗を喫し、あまつさえ大衆の支持を失った組織が再び頂点に立てるほど、世界は甘くはない」
 言って、窓の外へ目を向ける。
「我々はもう終わったのだ。だが原隊に復帰したところで、一度特権を味わった者が上手くやっていけるとも思えない。ならば、せめて彼らに死に花を咲かせてやるのが、指揮官としての私の務めだろう」
「それを聞いて安心しました」
 手にした物を懐にしまいながら、スミスは言った。むろん、それがなんであるか、ワーノックは気付いている。が、あえて咎めるようなことはしない。逆に、彼の覚悟のほどを知って感嘆していた。
 しかし、である。
「私はあくまでもその方向で協力させていただきます。その旨、お忘れ無く」
「キボンズが暴走したそうだな」
 背中を向けたスミスが足を止める。一瞬、その肩が震えるのを、ワーノックは見逃さなかった。
「——あれは、止められなかった私のミスです」
 僅かな沈黙の後、スミスは絞り出すように言う。やはり……。ワーノックは彼の心境を思った。
 スミスは故トーマス・ウォルター少将の腹心だった男だ。少将の下に仕えて久しく、彼に対する敬愛の念もひとしおだったことだろう。ワーノック艦隊受け入れに際して、反対する少将の身柄を拘束はしても、スミスに彼を殺すつもりは毛頭なかったのだ。
 が、キボンズは引き金を引いた。スミスの想いなど知らず、叛乱成就の証として少将を殺害した。司令部を短時間で抑えるには、極めて有効な方法だ。そのことはスミスにも解っていたはずである。我々を受け入れると決めた時点で、相応の覚悟もできていただろう。
 だがそれでも、スミスには許せなかった。いかに親友とは言え、キボンズが短絡的に殺害という行為に及んだことを。そして、自分の見立てを疑った。ワーノックは真にティターンズ再興を目指しているのではないか。動乱の長期化を望んでいるのではないか、と。故にこのタイミングで、彼はワーノックに本心を質したのだ。
 スミスもまた、ワーノックと同じように、ティターンズ残党を解体する道を模索している。今ここでワーノックを殺すことが答えだとすれば、彼は躊躇なくそうすることだろう。だが、今、ワーノックを殺したとしても、ティターンズ残党軍は急進派の急先鋒であるキボンズを中心にまとまるだけだ。ワーノック艦隊を瓦解させるためには、戦闘中の混乱を狙って殺らなければ意味がない……。
 これだけの思いを秘めながら、よくも平然とキボンズに相対できたものである。ポーカーフェースの極みであろう。そして、そんなスミスを腹心として扱えたトーマス・ウォルター少将とは、やはり一角の人物だったのだ。
「ウォルター少将のことは、私も残念だったと思っている」
 スミスの背中に向かって、ワーノック言った。
「この動乱にあって、彼ほど冷静に行動してきた男もそうはないだろう。鎮守府がいずれかの陣営に肩入れしていれば、ネオ・ジオンとの戦いは違った結末を迎えていたかもしれんからな」
「……失礼します」
 スミスが去ったあとも、ワーノックはしばらくソロモンの海を見つめていた。この星空は、数年来見つめてきたゼダンからのものとさして変わるものではない。だが、情勢は大きく変貌し、彼はまさにその中心にある。
 それは、やりようによっては大きなうねりとなるかもしれない。しかし、決して大きくしてはならないのだ。役割を終えた者は、早々に立ち去らねばならぬ。
 ワーノックは敵対する組織を思った。同じように連邦軍から派生し、今なお戦い続けるエゥーゴという組織のことを。彼らの動きによっても、情勢は大きく変わってくる。
「さて、どう動く?」
 ワーノックは彼方に見える月に向かって問いかけた。

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