ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

25.会戦前

 ティターンズ残党によるコンペイトウの占拠。エゥーゴ艦隊の失踪。そして、アクシズ艦隊による発電衛星収奪……。目まぐるしく変わる情勢の中で、我が連邦軍の動きのなんと鈍いことか。
 連邦宇宙軍第三次討伐艦隊旗艦、ラー級新造戦艦ラ・ホールのキャプテンシートに座るパトリック・コスター大佐は、声には出さず呟いた。沈黙の支配するブリッジで……。
 ティターンズ残党軍ワーノック艦隊討伐の先鋒として出撃したエゥーゴ艦隊が行方をくらましたことを知って、連邦参謀本部は滑稽なほどに慌てた。予定通りに出撃準備を進めていたラ・ホールに矢の催促を放つ一方、月基地周辺で即時動員可能な艦艇をかき集め、コスターの意志とは無関係に討伐艦隊に組み入れる。現場は混乱し、各種の調整に時間を要した結果、却って出撃が遅れたほどだ。
 コンペイトウ陥落という事実をもってしても、それを辺境の一事としか捉えず、エゥーゴという傭兵に頼るところの大きかった宇宙軍である。第三次討伐作戦の当初の計画も、多分に彼らを当てにしたものであった。そのエゥーゴがいなくなったことで、ようやく本腰を入れたというのが実状なのだ。
 月機動艦隊を中心に編成された第三次討伐隊は、旗艦のラ・ホールをはじめ、同じく新造のクラップ級巡洋艦を多数擁した新鋭艦隊である。搭載モビルスーツも比較的高性能なバーザム改、ジムⅢを中心に、配備が始まったばかりの新型、ジェガンの姿まであった。ペガサス改級軽空母も二隻が参加しており、艦艇数の割に、モビルスーツは数がある。
 だが、戦いの勝敗が数と性能だけでは決しないことをコスターは知っている。そして、それは遅すぎた艦隊であった。
「ああ……!」
 ブリッジ要員の間から、誰とも無しに悲痛の声が上がった。遙か前方に浮かぶ鮮やかな火球。それは、これまで善戦を続けてきたコンペイトウ鎮守府第六、第七戦隊の最期を意味する光である。
「……音信、途絶しました」
 通信士が確認するように告げた。重苦しい静寂が、再びブリッジを包み込む——。
「各艦に回線を。艦内放送へも繋げるように」
「はっ」
 沈黙を破ったのは、コスターの低い声であった。麾下の各艦艇から続々と届けられる接続完了のコールが、束の間、無線をにぎやかに震わせる。
「どうぞ」
「ん……」
 コスターは制帽を被り直すと、インターカムを取った。
「討伐艦隊司令、パトリック・コスター大佐である。我が艦隊はこれより一時間の後、コンペイトウを占拠したティターンズ残党軍に対し、攻撃を行う。目的は敵艦隊の撃滅、及び隕石ミサイル群の破壊である」
 そこで一旦区切ると、
「本作戦は多大な困難を要するであろう。良き友人であったエゥーゴの支援はもはやなく、先に交戦状態にあったコンペイトウ鎮守府第六、第七戦隊も、たった今壊滅した。勝算は、五分といったところだ。
 だが、我々は勝たねばならない。我々の敗北が何を意味するか、あえて言うまでもないだろう。諸君らの中には、月に家族を残す者も多いはずだ。連邦のためではなく、それら家族のために……。各員の奮闘に期待する」
 あとは一気に、そう締めくくった。連邦のためでなく——。その一言に、ブリッジに軽いどよめきが走る。
 パトリック・コスターは、今では数少なくなった連邦軍生え抜きの士官である。一年戦争時には、サラミス級の副長としてア・バオア・クー海戦まで常に最前線で指揮を執り、先のネオ・ジオン動乱でも、崩壊寸前の連邦軍地上戦線を支え続けた名将だ。既に少将昇格への内示もでている。
 その生粋の連邦軍人であるコスターにしての言葉だ。艦橋要員が驚くのも無理はない。
「よろしいのですか?」
 副官のクライン中佐がささやくように尋ねた。このことが上層部に知れれば、いずれ問題となる。コスターの立場を案じてのことだ。
「構わんさ。どうせ勝ち目の薄い戦いだ。だが、その原因を作った連中のために死ぬなど、馬鹿げている。そうは思わんか?」
「確かに……」
 戦乱を主導したティターンズやエゥーゴと違い、連邦正規軍はそのほとんどが実戦経験の少ない若い部隊である。戦術面でも技量面でも彼らに遠く及ばなかった。地上での経験から、コスターはそのことをよく知っている。
 先の対ネオ・ジオン戦で、コスターの指揮した連邦地上軍アジア方面軍はネオ・ジオンの猛攻をよく凌いだ。だがそれも、エゥーゴの地上部隊とも言うべき「カラバ」の協力があったからこそである。連邦各部隊のほとんどは、彼らの後を付いて回っていたに過ぎない。
 クラインもまた、コスターの下でアジア戦線を戦った男である。そのことは身に染みて解っていた。
「せめて第六、第七戦隊と挟撃できれば、まだ分があったのでしょうが」
「……全く、上層部は何を考えているのか」
 コスターは忌々しげに呟いた。だが、その理由はおぼろげながら解っている。
(上層部はエゥーゴをも潰そうとしたのだ。ティターンズとは共に実戦部隊同士。正面からまともにぶつかれば、共倒れは必死……)
 もちろん、エゥーゴだけにやらせるのではなく、第六、第七戦隊も戦いに加わる。加わるが、あくまでも後方支援に徹する。双方が消耗しきったところで、第三次討伐艦隊で粉砕する心づもりだったのだろう。だがそれも、肝心のエゥーゴ艦隊が失踪したことで水泡に帰した。
(エゥーゴの動きとて、少し考えれば判るだろうに。それを己の都合だけで決めおって。挙げ句に現場を無視した計画変更で時間を浪費。これでは、第六、第七戦隊を見殺しにしたようなものではないか!)
 内心で上層部への怒りを爆発させるコスターは、深く息を吐いて気を静めると、
「……連邦が今のままである限り、戦乱の世は終わらんな」
 憚らず憂いの声を漏らした。彼方を見つめる視線の奥で、火球が徐々に見えなくなってゆく。
「あと十五分で、コンペイトウ管制圏内へ入ります」
「全艦、第一警戒態勢へ移行! 艦橋要員も交互にノーマルスーツを着用の上、速やかに戦闘ブリッジへ移動せよ!」
 指示を出すクラインの声が、小気味よくブリッジに響く。だがそれも、コスターの耳には遠く朧であった。

「コンペイトウ司令室より通達。前方より新政府軍とおぼしき艦艇を捕捉。戦闘艦二十二、輸送艦八。その他、小型艦多数。なお戦闘艦の内、半数はデータバンクに該当がありません」
「連中もようやく本腰を入れたようだな」
 ティターンズ残党軍ワーノック艦隊旗艦、シェフィールド。その参謀シートに座る総司令クレイブ・ワーノック大佐は、敵艦隊の半数が新型と聞いて、僅かながら感嘆の声を上げていた。いまだ宇宙軍が混乱している時期にあってのこの陣容は、大したものだ。
「今度ばかりは手こずるのではないのか、少佐」
 振り向きざまに言ったものだ。
「ご冗談を」
 シェフィールドの艦橋で唯一、パイロットスーツを着込んだエドガー・キボンズ少佐は、ワーノックの懸念を一笑に付すのであった。
 つい先程まで戦場にあって、コンペイトウ鎮守府第六、第七戦隊を壊滅させたキボンズである。その報告を兼ねてブリッジに上がった彼にとって、連邦軍とはもはや考慮に値する存在ですらないらしい。
「戦技の伴わない者に最新鋭の武器を与えたところで、何の役にも立ちますまい。我々が警戒すべきはエゥーゴのみ」
「そうであったな」
 短く応えるワーノック。
 エゥーゴ。ティターンズと同じく連邦軍から派生しながら、全く逆の思想を持った軍隊。故に幾度となくティターンズの行く手を遮り、ついに彼らを連邦軍盟主の座から引きずり下ろした宿敵でもある。
 連邦正規軍など歯牙にもかけない彼らだが、エゥーゴを相手にするときには、誰もが戦慄を覚えるのであった。
 だが、ワーノックはキボンズの拘りが別のところにあると気付いている。
「ガンダム、か……」
 ワーノックは一年戦争屈指の名機と謳われたモビルスーツの名を口にした。大戦のエース、アムロ・レイの愛機としても名高いその機体は、連邦軍の象徴であり、伝説である。
 だが、ティターンズが連邦軍そのものであったとき、ガンダムを運用していたのはエゥーゴであった。ガンダムは連邦の盟主を自負したティターンズにではなく、反地球連邦政府組織の頭文字を取った軍隊の手にあったのである。
 そしてティターンズは、ガンダムを擁するエゥーゴとの戦いに敗れた……。
(マークⅡが奪われた時点で、今日の我々の立場は定まっていたのかもしれんな)
 今こうして事を起こす段になって、新たなガンダムタイプが投入されてくる。ワーノックには、まるで何かの因縁のように思えた。
 だがそれは、キボンズのような男には受け入れがたい考えなのであろう。
「……次こそは必ず」
 この反応が何よりの証拠である。ティターンズが乗り越えねばならぬ壁、とでも思っているのだろうか。
「スミス大佐の艦隊が前に出ます」
 感情溢れるキボンズの声とは対照的に、オペレーターが機械的な口調で告げた。マゼラン改級戦艦コロラドを先頭に、コンペイトウ鎮守府第二、第四、第十二戦隊に所属の各艦が、青白い帯を曳いて行くのが見える。
「ハロルドのやつ、張り切ってるじゃないか」
 キボンズが、今度は感嘆の声を上げた。前進する艦隊のテールノズルの列は、彼らの意志を示すかの如く、力強く輝いている。
「だが、大佐の艦隊だけでは力不足ではないのかな」
「ハロルド、いえ、スミス大佐ならば、あの程度の数は問題ないと思われますが」
「どうかな? 相手は仮にも新鋭艦隊だぞ?」
 言いながら、ワーノックはシート備え付けの端末を叩いた。若干の間があって、内線モニタの一つにどこか陰のある男が映し出される。連邦軍内部にあって“黒鷹”の異名を持つティターンズの殺し屋こと、ミハイル・ロッコ大尉である。元の階級は中尉であるが、先の戦功を受けて昇進していた。
「——何か?」
 愛機のコクピットに座るロッコ大尉はだが、総司令ワーノックの直々の呼び出しにも関わらず、気のない声を返しただけであった。
 規律を重んじるティターンズでなくとも懲罰ものの行為である。当然、彼の無礼を咎めようとするキボンズだったが、ワーノックはそれを遮るように言葉を続けた。
「連邦の新鋭艦隊が迫っている。大尉にはモビルスーツ第四、第五中隊を率いて、迎撃に向かったスミス艦隊の援護をして貰いたい」
「了解した」
 実に素っ気ない反応を残してロッコの姿が消える。腹に据えかねたキボンズは、ワーノックにくって掛かった。
「大佐、なぜあのような無頼漢を重用なさるのです!?」
「規律だけで軍隊は務まらんよ。それよりも重要なのは、何ができるかということだ。違うかね?」
「………。それは——」
「我々に残された戦力は限られている。ロッコほど優れたパイロットも、そうはおるまい」
 数分後、戦術モニタを見つめるワーノックの側に、キボンズの姿はなかった。エゥーゴの来襲に備えてイスマイリアに戻る、という話であったが、ロッコに対する評価がキボンズを刺激したのだろう。エゥーゴが来なくとも、いずれ出撃するに違いない。あるいは、既に出撃したのか。
 だが、無言で思考を巡らすワーノックの脳裏に、キボンズの姿はなかった。
(あの男も何を考えているのか)
 戦艦コロラドを示す点を見ながら、ワーノックは心中呟いた。ハロルド・スミスのことだ。
(あの男は我々を、ティターンズを潰すといった。だが、前の第六、第七戦隊との戦いといい、むしろティターンズ再興のために手を貸していると思える……)
 スミス艦隊を示す光と連邦軍討伐艦隊を示す光が重なる。それが、短くも激しい戦いの幕開けであった。

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