ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

32.刃交えて

 旗艦撃沈。この報に、エゥーゴとティターンズ、そのどちらがより動揺したかは判らない。だが、コンペイトウ沿岸における戦闘については、ティターンズ側に有利に作用したと言えるだろう。
 やや腰の引けたエゥーゴ艦隊にとって、戦域離脱に狂うティターンズの部隊は、到底支えきれるものではなかった。
「辛いのは相手も同じだ! 保たせろ!」
 と言って部下を励ますステファンだったが、それで勢いが戻るわけでもない。
「左舷モビルスーツカタパルト、被弾!」
「グリプスの部隊、なお苦戦中。グワラルが援護に向かいます」
「敵艦隊、第一戦闘ラインを突破しました!」
 オペレーターの報告はいずれも好ましくないものばかりである。眉間にしわを寄せるステファン。
 唯一の慰めは、離反したコンペイトウ鎮守府艦隊が戦闘放棄を宣言したことであった。ワーノック軍の旗艦を沈めた艦隊がメインゲート前に居座ったことで、コンペイトウ内に残るティターンズ寄りの艦艇は動きを封じられた。ワーノック軍残存艦隊への増援の可能性はなくなったのである。
 だが、コロラドからの武装解除仲介要請を、カージガンもグワラルも黙殺した。ステファンに言わせれば、

 ——なに勝手言ってやがる。

 ということである。もっとも、要請を受けられるほどの余裕もなかった。あるいは、鎮守府艦隊の行動はそれを見越してのことかもしれない。そう思うと余計に腹が立つ。
「各艦、散開しつつ先頭の艦に砲撃を集中。包み込むんだ!」
 苛立ちを吹き飛ばす勢いで、ステファンが声を張り上げる。だが、彼が言い終える間もなく、カージガンの右手が白く染まった。

「ちぃっ!」
 後方で沸き上がる光点に、デュランの顔が歪んだ。それは間違いなく、友軍の艦艇が沈んだ証である。同時に、戦線に穴が空いたことをも意味していた。このまま戦い続ければ穴は広がるばかりだろう。
「……動きを止めなければ」
 サーベラスの攻撃をかわしつつ、呻くデュラン。アクシズ艦隊の部隊が届くまでの、ほんの僅かな時間が稼げれば良い。
 と、目の前にマラサイが一機、ライフルを撃ちならしながら飛び込んできた。サーベラスの援護のつもりなのだろう。しかし、デュランにとって、それは格好の目くらまし材料に過ぎなかった。
 瞬く間に距離を詰めると、右腕ごと相手のライフルを斬り捨てる。たじろぐマラサイをサーベラスに向けて蹴り飛ばし、狙いを定め、頃合を計ってライフル一射。融合炉を貫かれたマラサイが、核の大輪を鮮やかに咲かす。
「くっ……!」
 光学センサーを庇いつつ、回避行動のサーベラス。その隙を突いて、デードリットは駆けた。
「旗艦さえ押さえれば!」
 残り三隻となった敵艦隊に突っ込むデードリット。文字通り弾幕を張る敵艦隊の、その網の目をかいくぐるデュランは、左端のサラミスに目指す艦隊旗を見つけ、愛機をさらに加速させる。
「邪魔だっ!」
 視界に上がるバーザムを一撃した直後、デードリットはサラミスの艦橋上にあった。腰を据え、銃口を足元に向ける。だが、デュランが押したのはトリガーではなく、無線周波数のスイッチだった。
「コンペイトウ沿岸で戦闘中の、ティターンズ残存将兵に告ぐ。艦隊旗艦の生死は我が手中にある。降伏しろ」
 ティターンズの回線に、デュランの冷徹な声が響く。それは、あまりに見事な降伏勧告だった。旗艦を押さえられたワーノック軍残存艦隊の砲撃が、まるで観念したかの如くぴたりと止む。
 もちろん、それが単に様子を伺っているに過ぎないことは、沈黙を保つ無線機を見るまでもなく明らかである。だが、デュランにとってはどうでもよいことであった。なぜなら、彼の目的はあくまでも敵の勢いを止めることであって、相手を降伏させることではない。
「さて、いつまでこらえられるかな」
 トリガーに指を当てつつ、呟くデュラン。ワーノック軍の気質からして、勧告に従う可能性は低いと言えた。またデュラン自身、口では降伏を勧めているが、そうあって欲しくはないと思っている。彼にとって、ティターンズは討ち滅ぼすべき存在だ。今更降伏されたところで扱いに困る。だからこれは、単なる時間稼ぎに過ぎない。
 一方、降伏勧告を告げられた側のパイロット達は、動揺を隠せなかった。機動力に優れるとは言っても、モビルスーツでは所詮、活動時間に限界がある。母艦を沈められてしまえば、いずれ鉄の塊に過ぎなくなるのだ。
 かと言って、何もせずこのまま脅しに屈しては、ティターンズとしての沽券に関わる。抵抗して潔く散ることこそ本望ではないか。
 意地を通してここまで至ってしまった彼等の心理的葛藤が、彼等自身の動きを封じる。それが、互いに様子を窺うという態度となって表れていた。
 だが——。
「馬鹿な……」
 サーベラスのロッコだけは、違っていた。呆然と呟き、束の間、操縦桿を握る指先をゆるめる。全身でうち震えたかと思うと、次の瞬間、再び操縦桿を握りしめ、躊躇うことなくフットペダルを踏み込んだ。ツインアイを輝かせるサーベラスの黒い機体が、デードリットに向かって直進する。その思いもよらぬ行動に、デュランは完全に虚を突かれた。
「何っ?」
 まともに体当たりを喰らうデードリット。反射的にトリガーを押し込むデュランだったが、ビームは艦橋の基部をかすめただけである。
「正気かっ?!」
 サラミスを沈め損なった事も手伝って、必要以上に声を荒げるデュラン。だが、接触回線を通して返ってきた声は、それを忘れさせるほどの衝撃を彼に与えた。
『アルバート、貴様ぁっ!』
「——!?」
 瞬間、デュランの脳裏に十年前の、ア・バオア・クー攻略戦での記憶が蘇る。彼とモニカを残し、ただ一機で吶喊して行くモビルスーツ、ジムの後ろ姿が。
「……ミハイル・カシス」
 もう会うことはないと思っていた戦友の名を、デュランはようやく絞り出した。

『ジオンと戦った身でありながら……』
 サーベラスがサーベルを振るう。
『その先頭に立って連邦に刃向かうとは!』
 ロッコの、いや、ミハイル・カシスの怒りを乗せて、襲い来る激しい斬撃。それを受けるデードリットは、ただただ耐えるばかりであった。
「生きていたのか……」
 揺れるコクピットに、デュランの呻きにも似た呟きが、静かに響く。
 ジオン独立戦争。俗に一年戦争と呼ばれた先の大戦では、多くの戸籍・軍籍簿が失われた。その混乱に乗じて非合法に連邦軍籍を取得し、エゥーゴの活動に大きな影響を与えたのが、あのシャア・アズナブルを始めとする元ジオンの人間であった。
 夥しい数の行方不明者を生んだ災禍がもたらした結果である。戦死者の同定はおよそ困難であり、本人の申告以外に個人を証明する手段がないために、行方不明とされた者の軍籍復帰は比較的容易に行われたのだ。
 しかし、ミハイル・カシス准尉の消息は、記録上、明快だった。
 彼の乗機は半壊状態で漂っているところを友軍艦艇に回収された。だが、コクピット近辺の損傷激しく、昏睡状態にあった准尉は回収の二日後に死亡したと、公式文書に記されている。デュランがそれに疑いを抱いたことはない。
「生きていたのか」
 今一度呟くデュラン。モニカが生きていれば喜んだろうに、と続けるが、相手がティターンズであることを思い出し、口を歪める。
「なぜ……」
 攻め立てるロッコの口から漏れた言葉も、デュランと寸分違わなかった。とは言っても、彼の場合、相手がエゥーゴだからという訳ではない。裏の仕事に携わってきただけに、エゥーゴとティターンズ、双方の実態は心得ているつもりである。ティターンズの横暴に対する反発が、エゥーゴ運動の一端にある。あるいはデュランもエゥーゴに参加しているかもしれない、とは思っていた。
 なによりデュランは宇宙生まれである。連邦の現状を見れば、エゥーゴへの参加も頷ける話だ。だが、ジオン残党と手を組み、その先頭に立って戦いを挑んでくると言うのは、一年戦争を共に戦った者として、にわかに信じられることではない。
 その意味では、ロッコもデュランと同じ衝撃を受けていた。しかしデュランと違って、彼の生死すら知らなかったわけではない。衝撃が怒りに転ずるのに、時間はかからなかった。
「アルバート!」
 ジオンの暗躍を防ぐべく、あえて受けた闇の仕事。ティターンズの組織に疑問を抱いた後も、アクシズの侵出を前に私情を捨てて務め続けてきた。生存する数少ない戦友、アルバートとモニカの幸せを願いながら……。
「貴様はっ!」
 裏切られた——。その思いが、彼の斬撃をさらに鋭いものへと変える。対するデュランは、まだ動かない。
「大尉!」
 ボティが牽制したのは、デードリットの手からサーベルが飛んだ、まさにその瞬間であった。
「何っ!?」
 とっさに機を下げ、振り向くロッコの視界に、味方艦を背後から襲うアクシズ軍の姿が映る。クーパのヘルハウンドが新鋭チャイカと斬り結んでいるのが見えた。
「ぐぅ……」
 忌々しげに呻くロッコ。エゥーゴとアクシズの連携は、元から一つの軍隊であったかのように息が合っている。腹立たしいばかりの光景だ。
 再度デュランに斬りつけたい衝動に駆られるが、
『ロッコ大尉、全艦、敵包囲網を抜けました!』
 無線に響く朗報に、にわかに自分を取り戻した。そして、深く息を吐く。今は何よりもまず、ゼダンへ戻るのが先決だ。
「……了解した」
 苦々しげにデードリットを一瞥すると、ロッコはやおら愛機を加速させる。
「全機、艦隊の離脱を援護。撤退する」
 成り行き上、付近の味方モビルスーツ隊を指揮するロッコであったが、その指示とは裏腹に、彼は艦隊の援護をしなかった。行く手を遮る敵機を反射的に墜としただけである。頭はデュランのことを考えていた。
 生命を賭して守ったはずの男が、ドムを思わせるマシンで十年前の、あの撃墜の恐怖を蘇らせる。何という皮肉だろうか。
「おのれ……」
 グローブの中の手が汗ばんでいるのを知って、口元を歪めるロッコ。一方のデュランは呆然と、遠ざかるサーベラスを見つめている——。

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