ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

35.ア・バオア・クー

 ゼダンの門。それはかつてア・バオア・クーと呼ばれたジオン公国軍宇宙要塞の、成れの果てである。一年戦争終結後、しばらくは資源採掘衛星としてジオン共和国の管理下にあったが、ティターンズの設立に際して接収、改名された。
 ティターンズの力の象徴として、グリプスと共に整備された傘型の小天体は、核パルスエンジンを据え付け、スペースノイドを恫喝するための移動要塞として機能する予定であったという。
 だが、ジオン公国軍の残党と共に飛来した小惑星“アクシズ”の衝突により、その野望は脆くも潰えた。衝撃によって接合部より二分されたゼダンの門は、今では文字通り「宇宙の門」として、星の海を力無く漂うばかりである。
「あれからもう、十年になるのだな」
 失われた栄光にすがるかの如く、ゼダンの傘の下に逃れたティターンズ残党軍。それを追うエゥーゴのモビルスーツ隊の先頭に立つデュランは、感慨深げであった。連邦軍第117モビルスーツ中隊の一員として、一年戦争を戦い抜いた彼の瞳に映るのは、在りし日のア・バオア・クー要塞そのもの。
「再びここを攻める、か」
 小さく呟くと、デュランは愛機デードリットの腕を伸ばした。やや後方を行くボティ機が、すかさず寄ってそれを握り返す。“お肌の触れ合い”通信である。
『何か?』
 接触回線特有のややくぐもった声が、ヘッドフォンに響く。聞き慣れたもののはずだが、デュランにはまるで皆の自分に対する不信感を代弁しているように思えた。
「今回の作戦だが——」
 その感覚を振り払いつつ、静かに口を開くデュラン。
「君が指揮を執ってくれ」
 果たして息を呑むボティの様子が、装甲越しに伝わってくる。
『黒いモビルスーツ、ですか?』
「……。そうだ」
 慎重そうに尋ねるボティに、デュランはややあってから小さく頷いた。かつて同じ部隊に所属しながら、今は相反する思想を掲げる組織のエースとして刃を交えねばならない男、ミハイル・カシス。その旧友との決着をこの要塞でつけようというのだ。
 理由が何であれ、部隊を無視して戦うというのは、もはや戦争ではなく私闘である。ボティが黙り込むのも無理はない。
 と、
『大尉、行って下さい』
 パレット少尉の声が二人の間に割って入った。人型に戻ったメタスが、デードリットの足に触れている。
 接触回線を開く上官の機体に触れるのはタブーである。しかし、パレットはそれを気にする素振りも見せずに言う。
「そろそろ決着を付けられても良いはずです」
 今度はデュランが声を失う番であった。
 パレットは30バンチ事件にまつわるデュランの悲しい過去を知っていた。だが、それを引き起こしたティターンズに彼の旧友がいることまでは知らない。まして、あの黒いモビルスーツに乗っていようとは。
 だからそれは、単にデュランの四年に渡る苦悩の日々を思ってのことに過ぎなかった。恐らくは最後となるこの作戦を、指揮官としてではなく、一パイロットとして存分に戦ってもらいたい。そんな思いから出た言葉だろう。
 だが、デュランは因縁を払ってこいと言われたような気がして、ドキリとした。なぜかは解らない。事情を明かしていないことへの後ろめたさが、あるいはそう感じさせるのかもしれない。
「……分かりました」
 沈黙するデュランに、ボティは大きく息を吐くと言った。彼は彼で黒いモビルスーツ——サーベラスのパイロットが、デュランにとって単なる宿敵以上の存在なのだろうと見ていたのである。
 サーベラスの斬撃をただ受けるばかりであったデュラン。機体の不調を理由に挙げていたが、それが嘘であることは誰の目にも明らかだ。にもかかわらず、あえて問い質そうとしないのは、デュランを信用しているからに他ならない。
 それが証拠に、
「ですが、預かるだけです」
 ボティはそう続けるのであった。彼の身を案じるといった水っぽさはない。むしろ笑っているかのような、悪戯的な響きである。
『ご武運を』
「……ああ!」
 言ってデードリットを押し出すボティのディアス。デュランはようやく表情を和らげた。愛機を加速させながら、何と良い仲間に恵まれたことか、と思う。十年前を彷彿とさせるようだ。
 あの日、彼はこの位置からア・バオア・クーへと攻め込んだ。もっとも、接合部から折れた要塞は日々僅かながらも動いている。当時と全く同じというわけではない。だが、デュランの目に映るゼダンの傘は、モニカやミハイルと共に軽口を叩きながら見たア・バオア・クーのそれと寸分違わなかった。
 機を右に流す。ブースターポッドを装着したデードリットは、シャクルズの補助なしに余力を持って戦闘空域に達することが出来た。軽快な反応に満足げな表情を浮かべるデュラン。
「さて……いるんだろ? ミハイル」
 呟くと、愛機にビームライフルを構えさせる。
 デードリットが手にするそれは、狙撃用途にも有効な銃身の長いタイプのものであった。標準兵装であるショットライフルに比べて出力も若干あるのだが、乱戦時には扱いにくいため、あまり使われなかった武器でもある。だがデュランは、今回、あえてそれを携行した。理由はある。
「来たな……」
 視界に入る光点に向け、確証と共に引き金を絞る。鮮やかな光線が迸った。

「むっ!?」
 正面に新たな光点を認めたロッコは、それと同時に回避行動を取っていた。直後、ビームの束がサーベラスをかすめ抜ける。恐ろしく正確な射撃。
「アルバートか!」
 言うや、こちらもフェダーインライフルを構えようとするロッコ。だが、立て続けに襲い来るビームがそれを許さない。紙一重でかわすロッコは唸った。
(射撃はお前の方が上手かったな)
 格闘のミハイル、射撃のアルバートとは、第117モビルスーツ中隊の隊長だったパウエル中尉の評である。そして、ア・バオア・クーの戦いでは、アルバートのジムだけが中隊で唯一、ビームライフルを携行していた。
 今、彼をこうして狙っているのは、明らかに銃身の長い狙撃用ライフルから放たれたものだ。一方、彼の愛機サーベラスの持つフェダーインライフルも、狙撃用ではないとはいえ、銃身は長い。なにか皮肉られているような気がする。
 かつてのコンプレックスを思い出したロッコは、だが、鼻で笑った。そう。それはもう十年も前の話だ。

 ——今さら引き合いに出される筋合いはない。

 瞬発的に加速を掛けるサーベラス。狙撃のビームをものともせず、瞬く間に距離を詰める。僅かに戸惑う隙を逃さず、デードリットにビーム射撃の嵐を見舞う!
 たまらず手近な岩の陰に逃れるデードリット。
「甘い!」
 それを読んでいたロッコは、間髪入れず回り込んだ。デードリットの咄嗟の一撃を難なくかわし、銃を構えてそう吠える。
 だが、照準器が捉えたのは、デードリットが手にしていたライフルであった。グレーの機体の姿はない。
「……!?」
「それはこっちの台詞だ!」
 デュランが躍りかかったのは、回り込んだサーベラスのさらに後ろからであった。怒気をはらんだ一閃が、振り向くロッコを右脇から斬り上げる!
「ぐ……っ!」
 呻くロッコ。両断されたライフルが宙を舞う。
 しかし、デュランの渾身の一撃を、ロッコは彼と同じビームの刃によって、ぎりぎりのところで防いでいた。ライフルを犠牲にするという思い切りの良さが、自身の命を救ったのである。
「ちぃっ!」
 デュランが大きく舌打ちする。早々に力比べを諦めると、機を下げざま、頭部バルカンを連射。逃れるサーベラスより先に、左手で銃を抜く!
「ミハイル、もらった!」
 瞬時に照準に捉え、トリガーを押し込むデュラン。
 もしロッコが同じように予備ライフルを構えさせていたら、サーベラスの機体は眩い光の矢に貫かれたことだろう。だが、ロッコが愛機に握らせたのは、ライフルではなかった。
 だから彼には、デードリットの動きがよく見えた。デュランの放った一撃を紙一重でかわしつつ、デードリットに向かってそれを撃つ。
「ぬっ!?」
 デュランは避けられたことを驚くより先に、サーベラスが放った放った得物の、くねるような動きを気にした。それを追うように、時折輝く鈍い光——。
「ウミヘビか!」
 それがワイヤーだと気付いた瞬間、デュランは機を大きく下げていた。ウミヘビとは、先端にスラスターを持ったワイヤーで相手を絡め取り、電流を流してその自由を奪う兵器である。対策が施されているとはいえ、まともに喰らえばただでは済まない。
 ウミヘビがデードリットの右腕に絡み付く。デュランはすかさず愛機の手首を回転させ、手にしたサーベルでワイヤーを切断しにかかる。
「ぐっ……!」
 瞬間、強い衝撃がデュランを襲った。僅かの間ではある。だが、多少強引に切断したこともあって、機体の姿勢は大きく崩れている。
(——やられる!)
 慌てて体勢を立て直しつつ、背筋を凍らせるデュラン。相手の技量を心得ているだけになおさらだ。
 ほとんど死を覚悟したデュランであったが、彼の焦りとは裏腹に、サーベラスは仕掛けて来なかった。それどころか、彼に背を見せると、まるで逃げ出すかのようにゼダンへと向かうではないか。
「……ミハイル、どういうつもりだっ!」
 それを不審に思いつつも、デュランは彼の後を追った。

 乱戦の中にあってゼダンに向けて飛んで行く機影を目にすることが出来たのは、それだけデュランを気にしていた、ということだろう。だが、戦場でのそうした行為は、隙以外の何物でもない。
『リサっ!』
 無線に響くフィルの声に、リサは反射的に機首を上げていた。直後、ビームの光跡が至近をかすめ、フェンリルの黄色い巨体が後に続く。
 サーベルを抜くフェンリル。人型に戻るゼロ。そして交錯。
「くっ……」
 ライフルをサーベルモードにして辛うじてしのいだリサが呻く。
「チィッ!」
 対照的にこちらは大きく舌打ちすると、キボンズはワイヤーアームのスイッチを入れた。背中の二対の腕が両脇からゼロを狙う。
 だが——。
「ぬっ?」
「させるか!」
 フィルのディアスがその動きを牽制した。ワンテンポ遅れてゼロもライフルの引き金を引く。それをかわしたキボンズは、心ならずも牽制のためにワイヤーアームのビームを撃った。そして、体勢を整えるべくいったん退く。
 フェンリルの意図を知りつつも、フィルはゼロと接触した。
「リサ、なにやってんだ!」
「ご、ごめんなさい」
「今の僕らの仕事は……」
「あいつの足を止めるってことでしょ? そんなの解ってるわ!」
 諫めるフィルのディアスを声を荒げて振り切るリサ。それは、単独行動に移るデュラン機の姿に、咄嗟に追いかけようとした彼女を押しとどめたフィルが言った言葉である。
 当然といえば当然過ぎる言葉なのだが、リサは不満だった。突然のデュランの行動を不審に思う素振りすら見せなかったフィルが、何か知っているように思えたのだ。自分の知らないデュランの何かを。
(大尉……)
 リサは悲しかった。なぜ、自分には話してくれないのか。実際には、デュランはリサに最も多くを語っているのだが、そうであるとは夢にも思わない。
「墜ちろーっ!」
 沈む心を忘れようとするかのように、リサが吠える。ゼロの放ったビームがマラサイを一撃で粉砕した。

 バーザムの散らす炎に目もくれず、サーベラスを追うデュラン。
「む……」
 爆煙を抜けた先、数あるゼダンの港の一つに、目指すその姿はあった。まるで追い付くのを待っていたかのようだ。デードリットが気付いたと知ったのだろう。ツインアイを淡く灯らせると、サーベラスは港内に入った。
 明らかに彼を誘う動きである。罠があると見て間違いないだろう。だが、デュランは迷わずそれを追った。
(なにを企んでいるか知らんが……)
 振り向く二機のマラサイを瞬く間に斬って捨てる。
「決着はここでつける」
 爆音を背に呟き、さらに奥へと進むデュランにあるのは、その決意のみ。そう。これは私闘なのだ。たとえ罠があろうと、ただ噛み砕くだけのこと。
「——そこか!」
 不意に横道の一つに機を躍り込ませる。別に確証があったわけではない。何となくそこにいるような気がしただけだ。
 果たして黒い機体が彼の眼前に佇んでいた。すかさずコクピットに照準を合わせるデュランであったが、
「何っ!?」
 ロックした映像に我が目を疑う。主の居ないシートが見えたからだ。
 と、センサーが何かを捉えた。サブカメラに坑道脇の小道に入る黒いパイロットスーツが映る。
 それを認めたデュランは、小さく舌打ちすると機をサーベラスの奥に付けた。拳銃を抜き、弾倉を確認してコンソールパネルの下に手を入れる。息子を抱え、妻と寄り添う彼の写真がそこにあった。
 しばし無言で見つめると、おもむろにそれを腰のポーチにしまい込む。そして彼はコクピットを後にした。慎重にミハイルの入った通用路に足を入れる。
 二、三回角を曲がったところで開けた場所に出た。大小さまざまのコンテナが多数積み上げられており、待ち伏せには適していると言えよう。
「エアーがある……?」
 手近なコンテナの一つに身を隠すデュランは、そうと知ってバイザーを上げた。ひんやりとした空気が頬を伝う。
 気配を探りつつ、コンテナ伝いに進む。その時、モビルスーツ用とおぼしきハッチの一つが、彼の目に入った。かすれた白ペンキで「D5」とペイントされたその扉には、確かに見覚えがある。
「ここは……!」
 デュランの脳裏に色鮮やかに甦る、十年前の記憶。
「そうだ。ここは我ら第117モビルスーツ中隊の、終焉の地だ」
 呆然と立ち尽くすデュランの背後から響く男の声が、彼の記憶の正しさを証明した。それが誰のものなのか、わざわざ確認するまでもない。
「——ミハイル・カシス」
「久しいな、アルバート。銃を捨てろ」
 言われるままに拳銃を離し、両手を上げてゆっくりと振り向くデュラン。十年ぶりで目にする戦友の顔は、より精悍さを増しているように見えた。

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