ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

37.魂の矢

「馬鹿な……。そんな馬鹿なことが……」
 サーベラスを始動させるミハイルは、明らかに混乱していた。むろん、始動プロセスそのものにおかしな所があるわけではない。だが、
「モニカが30バンチに居たなどと。モニカが……」
 口中に繰り返してフットペダルを踏み込むミハイルは、デードリットへの対処を怠っている。敵の主力機が無防備な状態で佇んでいたにも関わらず、無関心に捨て置いたのだ。
 そのミハイルらしからぬ行為の持つ意味に、恐らくはデュランも気付いていただろう。だが、己の奥底に沸き立つ憤怒でもって行動する今の彼は、「状況」という以上の認識を拒絶した。飛び去るサーベラスの黒い機体を眼光鋭く睨めつける。
「ミハイル奴……!」
 舌打ちしながらコクピットに体を滑り込ませ、機体をスタンバイからアクティブへと移行させるデュラン。僅か十数秒の待ち時間ももどかしく、ステータスモニターを注視しながら、グリップを握る指の先で苛立たしげなリズムを取る。アクティブのサインが灯るや否や、デードリットのスラスターが鮮やかな光を放った。
 サーベラスの後部カメラが、彼の後を追って飛び出す敵機の噴射光を目ざとく捉える。サーベラスに一分と遅れていない。常のミハイルであれば何らかの牽制策を講じるところだ。
 だが、今の彼の瞳に、その追撃の光は映らない。ただパイロットとしての本能が導くままに、サーベラスを帰投コースへと乗せる。ミハイルの意識は四年前へと飛んでいた。
 0085年のあの夏の日、ミハイルは確かにあの場所にいた。サイド1の30バンチコロニーに。当時30バンチでは、連日のように地球連邦政府の戦後復興政策に抗議する大規模なデモが行われていた。様々なグループが内外から集結し、警官隊や治安出動した駐留軍との小競り合いも散見されたが、暴徒化するには至らなかった。多少の怪我人は出たものの、全体でみれば至極真っ当な集会であった。集った人々は、互いにあるべき政府の姿を語り合いながら、熱い夜を明かしていただけである。
 それが、連邦上層部への報告は違っていた。ジオン残党を筆頭とする反政府主義者により、サイド1、30バンチコロニーは事実上占拠されたと言うのだ。非常に不穏な情勢である、と。そしてほどなく、前年に新設された治安維持部隊、ティターンズに命が下った。30バンチに集った不穏分子を迅速かつ完全に撲滅する。それが、あの時の彼らに与えられた任務の骨子である。
 出撃に際して、彼らは「30バンチコロニーがジオン残党に蹂躙された」と徹底して信じ込まされた。駐留軍との小競り合いで生じた負傷者は、親ジオン過激派が起こした惨事の被害者であり、連邦軍の仕打ちに反発する群衆は、ジオン復興を目的とする軍団の先兵なのだと。故にティターンズ兵は、何ら躊躇いを抱くことなく「暴徒鎮圧用ガス剤」の広域注入作戦を遂行できたのだ。
 ミハイルはこれら情報操作を行った側の人間である。そしてあの瞬間の彼の仕事は、事の異常さに気付くかもしれない友軍パイロット達の監視にあった。発砲はもちろん、必要と判断すれば撃墜すら許されていた。
 だが、そのミハイルにしても、デモと無関係な民間人はそこに居ないものと信じていた。事前に特殊作戦である旨の勧告が駐留軍に送られ、一般市民の退去も完了したものとばかり思っていた。——そういう前提の下に、あの作戦は組まれていたのだから。
 しかし実際には、ティターンズは何の勧告も警告もないまま作戦を実行に移した。あろうことか猛毒のG3ガスを流し込み、デモ隊と対峙する駐留軍の兵士もろとも、小うるさいコロニーを丸ごと葬り去ったのだ。
 反政府グループの実態把握を計った提督、ジャミトフ・ハイマンの策略と言い、ティターンズ司令バスク・オムの独走だったとも言う。本当のところは分からない。唯一確かなのは、あの作戦に参加した将兵の大半が上層部に欺かれ、そして、引き返すことの出来ない暗黒に取り込まれたという事実である。
 ミハイルがそれに気付いたのは、ガスを流し始めてすぐのことだった。任務上、無線を傍受しやすかった彼は、他の誰よりも早く事の重大さを知ることが出来た。コロニー管制室から響く驚愕、悲鳴、そして絶望……。
 しかし、既に手遅れであった。どんなに言い繕うとも、大罪に手を貸した事実に変わりはない。だからミハイルに出来たことと言えば、与えられた「監視」という任務を、文字通り忠実に務めるくらいなものであった。
 個々に反発するコロニー守備隊の鎮圧に、彼は一切加わらなかった。そう言った形で無言の反論をしてみせる以外、彼には手がなかった……。
 いや、本当にそうだろうか?
 ミハイルの脳裏に別の自分が問う声が聞こえる。罪無き人々の殺戮を強要された憤り。部下すら欺く上層部への反感。結局はそれだけではなかったのか?
 アルバートは言った。やはりお前はアースノイドだよ、と。「死んだのは所詮、スペースノイド。運が悪かっただけさ」と、その生命を軽んじてはいなかっただろうか?
 かつての同僚であり、ほのかな恋心さえ抱いたモニカがあの時、あの場所にいたとアルバートから聞かされた瞬間、ミハイルはこれまで経験したことのない強烈な悪寒に襲われた。身体の震えが未だに止まらない。
 嘘だ、と彼は叫びたかった。だが、アルバートの怒りの表情が、それを即座に否定する。ティターンズの悪行に牙を剥いたコロニー守備隊所属機の存在は、もちろん、彼も知るところだ。恐らくはそれがアルバートだったのだろう。
 モニカは他ならぬ自分の手によって、永遠にその輝きを失ったのだ。アルバートとの間に生まれた、幼すぎる生命と共に。
「……俺は、なんて取り返しのつかないことを」
 悔いても悔いきれない悲痛の呻き。
『この期に及んで後退だと? どういうつもりか!』
 キボンズの怒声が無線を震わせるが、激高するその声がミハイルを醒めさせる事はなかった。操縦桿を握る手から力が抜ける。サーベラスもまた、彼の心情そのままに速度を落としたようであった。
 だが——。
『なんだと!?』
 イスマイリア艦長クラント少佐の返答に、キボンズが愕然たる声で問い直す。それを耳にしてようやく、ミハイルは我に返って顔を上げた。
『コロニーだ。連中、コロニーをここに落とすつもりなんだよ!』
 忌々しく、吐き捨てるようにクラントが言う。コロニー落とし。悪夢の代名詞とも言える単語は、ミハイルの脳裏をしたたかに打った。

 スペースコロニー。それは宇宙民スペースノイドの生活の基盤となる、人工の大地である。円筒形をした構造体の直径は、およそ六キロメートル。全長に至っては三〇キロメートルを優に超える巨大な代物だ。
 一年戦争開戦前までに六つのサイドが完成し、四〇基から八〇基のコロニーでひとつのサイドを形成していたが、一年戦争の緒戦において、その大半が破壊された。戦後、コロニー再生計画によって修復が試みられたものの、損傷が激しく、暗礁宙域に廃棄されたものも数多い。
 エゥーゴがグリプス2を隠すのに利用したのも、そうした廃棄コロニー群のひとつである。巨大なレーザー砲も元を正せばスペースコロニー。紛れ込ませるのは容易だった。
 今回、グリプス2を再使用するに当たって、エゥーゴは射線軸上にあった廃棄コロニーを移動させていた。彼らはそれを、ゼダンの傘を直撃するコースに乗せたのである。
「コロニー、最終軌道調整を完了しました」
「うむ」
 アクシズ艦隊旗艦、グワラル。その鯨のごとき巨艦の艦橋で、バーナム艦長より報告を受けたハスラーは、一つ頷くと、左舷を行くコロニーへと視線を戻した。超大型戦艦のグワラルですら、足元にも及ばぬ圧倒的な存在感。人類史上最大の人工構造物。宇宙の楽園、スペースコロニー。
「……これもまた魂の矢なり、か」
「は……?」
 ハスラーの漏らした呟きに、傍らで訝しげな表情を作るバーナムだったが、ほどなくその意味に気付いて無言で頷く。
 一年戦争開戦直後、ジオン公国軍宇宙艦隊はスペースコロニーの一基を伴い、地球へと進路を取った。コロニーを一個の弾頭に見立て、当時、地球連邦軍の本部があった南米はジャブローの秘密基地に向けて放ったのである。
 作戦の是非はともかくとして、それは彼らジオン軍人の意地を賭けた戦いであった。スペースノイドの自治を認めず、圧政を続ける憎き地球連邦政府。ジャブローに放ったコロニーは、その非道を正さんとする裁きの矢だった。
 残念ながら、ジャブローを破壊し、連邦軍の戦力を無きものにすると言う目論見は失敗に終わった。この作戦で多くの有能なベテランパイロットを失ったジオン軍は、連邦の圧倒的な物量に押され、優れた技術力を生かせぬまま敗北を迎えるのである。
 しかし、圧政の象徴たる地球に直接弓引いたという行為そのものは、ジオン将兵の誇りとなった。故に、残党として散り散りになろうとも、その栄光の旗印を陣頭に、彼らは戦い続ける。宇宙民が真の独立をこの手に掴む、その日まで。
 ア・バオア・クーの敗戦から十年が経った今、彼らの艦隊は再びコロニーと共にあった。だがそれは、廃棄されて久しい古びた代物であり、目指す先も連邦に奪われたかつての居城の成れの果てという、ちっぽけなものでしかない。なにより彼ら自身、今はジオンと決別した孤独の艦隊である。
 この一撃は決して自治権獲得の礎とはなり得ないだろう。だがそれでも、これは無惨に散っていった同胞達の、魂の矢に他ならない。なればこそコロニーは託されたのだ。ジオンの末裔たるアクシズ艦隊に。
「もはや奴らにコロニーを止める術はあるまい。一分の狂いもなく激突コースに乗せた、我が艦隊員の見事なことかな」
「大気圧による減速を考慮する必要もなければ、当然でありましょう」
 そう応えるバーナム艦長の言葉は、一抹の寂しさを隠せないものの、事を成し遂げた者のみに許される誇りと自信に満ちている。
「艦長、ホーガン中尉が出撃許可を求めていますが……?」
 オペレーターがやや遠慮がちに指示を仰いだ。
「距離はどうか?」
「艦隊、間もなく戦闘宙域に突入します」
 航法士の返答に、ゆっくりとハスラーを見つめるバーナム。ハスラーは何も言わず、やおら右腕を上げると、それを前に向かって振り下ろすのだった。
 モビルスーツの出撃を告げる警報音が鳴り響く。カタパルトの鼓動が音高くアクシズ艦隊を包み込む——。

 コロニーを背にするアクシズ艦隊から数多の光点が流れ出す。それらはやがて薄桃色の牙となって彼らに襲いかかることだろう。光点が形作る陣形は、生死の境を彷徨ったあの戦場で目にした、ジオンに特有のものだ。
「フッ……。そうか、そう言うことか」
 迫り来るコロニー。そして、それを護るジオンの末裔を正面から見据えるミハイルは、小さく寂しげに笑った。
 ジオン残党狩りを名目に、全スペースノイドに弾圧を加えたティターンズ。その打倒を誓ったエゥーゴ、いや、アルバートの出した回答がアクシズ艦隊との連合であり、ジオンの教本に沿った攻撃なのだ。

 ——真にジオン撲滅を語るなら防いで見せろ

 アルバートの嘲笑が聞こえるようであった。
「——やってやるさ」
 操縦桿を握る手に力が戻る。以前にも増してより強く。
「アルバート、お前を倒してな!」
 愛機を振り向かせるミハイル。その瞳に鋭い光が灯った。

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