GoyouDa! - 冬の夜の大捕物 -
作:澄川 櫂
第3話 ないしょナイショのハンバーグ
千葉中央駅近くの百貨店で、菜穂はアルバイトをしていた。店の閉店は八時。閉店作業があるので、だいたい八時半頃には店を出ることになる。
一方の圭助は、そこから少し離れた本屋で働いていた。こちらも、今日は八時半までの仕事だった。ただし、営業時間が十一時までなので、いつも時間通りにあがれるとは限らない。
二人のシフトが重なる木曜日は、決まって一緒に夕飯を食べてから家へ帰るのだが、今日も菜穂が待たされ役である。もうすぐ九時になるが、圭助はまだ来ない。
菜穂はいつものように、店の正面出入り口脇の壁に寄りかかって圭助を待った。レストラン街と地下のカラオケ屋はまだ開いているので、閉店時間を過ぎてもそこそこ賑わっている。
「遅いなぁ、圭助」
腕にした時計を見、制服姿の高校生カップルを横目に呟く菜穂だったが、
「……あの子、何者なんだろう?」
すぐにそちらへと思考が移ってしまう。深夜、そして昼間と二回出会った、あの茶髪の少年のことだ。
深夜の金髪との大立ち回りと言い、丸眼鏡の男をつけていた昼間の様子と言い、ただの小学生でないことは明らかである。昼間の男に至っては、拳銃まで持っていた。
銃と言えば、夜に現れたとき、少年もそれらしきものを持っていたいたような……。
バイト中も事あるごとに気になって仕方なかった菜穂のこと。当然、人待ちとあらば、頭に浮かぶのはあの茶髪の少年のことばかり。
もっとも、考えて分かることではないから、結局は堂々巡りの繰り返しなのだが。
「ホント、どこから来たのかしら」
いい加減、悩み飽きて一人腹を立てていると、
「なんなら、私が教えて差し上げましょうか?」
不意にそう声をかけられた。えっ、と振り向いた菜穂の顔が凍り付く。昼間の丸眼鏡の男がそこに立っていたからだ。男は彼女の脇腹になにやら突きつけると、口元にうっすら笑みを浮かべる。
「おっと、声は出さないで下さいよ。引き金を引くと後が厄介ですからね」
「な、なに……」
「餌ですよ。あいつを誘き出すための。大人しくして下されば、危害を加えるつもりはありませんから」
見た目通り紳士的に、しかし、有無を言わせぬ口調で男は言った。
「いいですね?」
念を押され、素直に頷く菜穂。もっとも、銃を突きつけられていては、恐ろしくてそれこそ声も出ない。
そんな二人の様子を、往来の人々は誰も気に留めなかった。男の振る舞いがそれだけ自然だったということもあるが、いちいち他人のやることを気にかける物好きなど、そうそういないのだろう。
菜穂は助けを求めるように視線を泳がせた。ちょうど道を挟んだ向こう側にモノレールが走っていて、そのテールランプを追いかけるように、ゆっくりと目線を動かす。
と、
「あれ……?」
すぐそこの葭川公園駅近くのレール上に、菜穂はあの少年の姿を見たような気がした。慌てて視線を戻すが、そこにはもちろん、誰の姿もない。
「なんです?」
「いえ……」
気のせいよね。俯いて目を伏せたその時、引っ張られるような感覚が菜穂を襲った。ぱっと見開く視界を車列が過ぎ、次いで夜の街灯りを映す川面が流れて行く。
「え、ええーっ!?」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
宙を飛んでいると知って仰天する菜穂に、男の子の声が優しく言った。顔を上げた視線の先で、茶髪の少年がにっこり笑う。両手で菜穂を抱えた彼は、そのままモノレールをぶら下げる鋼鉄のレールの上へと至るのだった。
「すぐ終わるから、ここ、動かないでね」
そこに菜穂を残して、少年は反対側のレールに飛び移った。腰から十手を抜いて構えるその前に、いつの間にか拳銃を向ける丸眼鏡の男が立っている。
「やはり現れましたか」
「おっちゃん、ちょっと卑怯だよ」
「ふふん。褒め言葉と取っておきましょう」
男が笑ったのを合図に二人の姿が消える。と思ったのは一瞬のことで、気が付けば二人は位置を変えていた。
目を丸くする菜穂のすぐ側で、カランッと高い金属音。反射的に振り向くと、男の拳銃が回転しながら滑るのが見えた。
「ちっ……」
舌打ちして懐に手をやる男。させじと少年が飛びかかる。高さ十五メーターのレール上にいるのも忘れ、菜穂は思わず身を乗り出した。
男の取り出すナイフを少年の十手が叩き落とす。レールに降り立つ少年の足を男が払うが、少年はすかさず横に飛んでそれをかわした。後を追う男の右手が一閃し、細長い針のようなものが月明かりを反射しながら少年を狙う。
だが、少年は宙で体をひねると、それさえ避けて見せるのだった。
「なに!?」
驚きの表情を見せる男。だが、すぐにニヤリとほくそ笑むのは、少年の逃げた先に足場がないからだ。すぐ下が河とはいえ、この高さで落ちればただでは済まない。
思わず両手で目を覆う菜穂。しかしどうしたことか、一向に飛沫の上がる気配がなかった。
「——あ!」
そろそろと指の間から前を見た菜穂は、思わず声を上げていた。丸眼鏡の男の後ろを少年が飛んでいる。確かに落ちたはずなのに。
「やっ!」
我が目を疑う菜穂が見つめる中、少年は男に向かって左手でなにやら放った。先程、男が使ったのと同じ、針のような細いものだ。男は難なくそれを避けるが、
「捕った!」
少年が歓声を上げるのと同時に、針は弾けた。勢いよく伸びる無数の糸が、投網の如く男を絡め取る。
「ぐ……。ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」
男の口から迸る悲鳴。青白い光が辺りに溢れる。見れば投網の端は少年の左手にあって、そこから電気が流れているようだ。
延々と続くかに思えた苦痛の叫びが、唐突に止む。同時に眩い光も鳴りを潜めた。
「四つ!」
四人目、ということだろう。電流攻めを止めた少年は、例の銃身のないピストルで男を撃った。紫の光が男を包み、あれよあれよと小さくなってゆく。少年が手元に網をたぐり寄せたときには、ピンポン大のガラス球があるばかりであった。
「へへっ。あっと二人っ」
心底嬉しそうに少年が笑う。一方の菜穂は声もなかった。僅か数分とは言え、息を詰めて激闘を見つめた反動からか、その場にぺたんと座り込んでしまう。
「さてと。戻ろっか、お姉ちゃん」
そんな菜穂の傍らにそっと寄った少年は、彼女を後ろから両手で抱え上げるようにして、モノレールの線路を蹴るのだった。
再びめまぐるしく移り変わる菜穂の視界。あっと思ったときには、元の雑踏が二人の周りを包んでいた。
「菜穂!」
圭助の声が耳に届いたのは、それから間もなくのことだった。
「ゴメンゴメン。なかなか上がらせてくれなくってさ」
頭をかきながら続ける圭助を、菜穂は怪訝そうに見つめた。いや、往来の全てを不審に思っていた。丸眼鏡の男があれだけの悲鳴を上げたのに、誰一人として気に留めた様子がない。
信じられない思いで見るともなしに圭助を向いていると、彼は菜穂が拗ねているものと勘違いしたようだった。
「そんなに怒るなよ。遅くなったって言ったって、まだ九時前じゃないか」
と言って、肩をすくめる。
「え?」
その言葉に、菜穂は慌てて時計を見た。確かに九時前である。どころか、丸眼鏡の男が現れる直前に見たときと、針の位置はほとんど変わっていなかった。
「どうかした? お姉ちゃん」
頭の後ろで両手を組みながら、少年が笑った。意味深な笑みだが、呆然状態の菜穂がそれに気付いたかどうか。圭助もまた、目の前にいるのが昼間の子供と知って、驚いた表情を見せるばかり。
「菜穂、その子……」
「……うん、昼間の」
菜穂が言いかけたところで、
「えへへ。こんばんは」
意外にも少年が口を開いた。ぺこりと圭助に向かって頭を下げる。何か言うつもりかなと思う菜穂だったが、顔を上げた少年は、二人を交互に見比べ、にやりと笑っただけだった。
「なんか邪魔になりそうだから、ぼくもう帰るね」
そう言って踵を返す。
「待って!」
立ち去ろうとする彼を、菜穂は慌てて呼び止めた。その声に、少年が不思議そうに振り返る。
「……なに?」
「その……。さっきは助けてくれてありがとう」
「うん」
「でね、何かお礼をしようと思うんだけど……」
「お礼?」
少年は目をしばたたかせると、大きく首を振った。
「べ、別にいいよ! そんなこと!」
「でも……」
「だって、あれがぼくの」
仕事だもん、と言いかけたところで、少年のお腹がグーッと鳴った。目を丸くする菜穂。真っ赤になって俯く少年。ややあって、圭助が笑い出した。
「あはははっ! 何だ、君も夕飯まだなんだ。だったら話は早いや。一緒に食べに行こう。なっ? 菜穂?」
様子からして詳しい事情は知らないだろうに、軽い調子で提案する。この辺が圭助の良いところであり、菜穂の好きなところであった。物事に対してあまり深く詮索しないのである。それでいて、いつも的確な言葉を投げかけてくれる。
「そ、そうね、そうしましょうよ! うんうん、それが一番」
内心で感謝しながら菜穂は言った。彼には訊きたいことがそれこそ山のようにある。
「ねっ? いいでしょ? もちろん、あたし達がおごってあげるから」
「うーん……」
少年は首をひねってしばし悩んでいたが、
グゥ—……
言葉よりも先にお腹が返事をしたのであった。今度はたまらず菜穂も笑い、少年も顔を赤らめつつ照れ笑い。
「お言葉に甘えさせていただきます」
ひどく大人びたセリフを言って、ぺこっと深く頭を下げた。
「わっは—っ! いっただっきまーす!」
ハンバーグセットが運ばれてくるや否や、少年は歓声を上げて食べ始めた。一口頬張って満面の笑みを浮かべる。美食番組のレポーターも顔負け。見ていて気持ちいいくらいだ。
「じゃあ、マンジロー君はどこから来たの?」
チェーン店でここまでできるなんて、よっぽど飢えてたのかしらん。そんな風に思いながら、菜穂は質問を変えた。
それまで「何してたの?」「仕事って何?」「いったい何者なの?」などと訊いてみたのだが、返ってきたのはいずれも「ナイショ」の一言。唯一の収穫と言えば、彼の名前が「大竹まんじろう」と判ったくらいなものである。
しかし、なんと古風な名前だろう。
「ねえ、マンジロー君」
今度も望み薄かなー、と思いながらもせっついてみる。すると、
「とーきょーからだよ」
「東京!?」
「そ。江戸川のすぐ近くだけど」
さっきまでの口の堅さはどこへやら、すらすらと話し始めるではないか。
「江戸川の近くって言うと、小岩あたり?」
「ううん、しのざき町。やわたから京成で来たんだ」
「京成? 乗り換え、面倒くさくないか?」
と、圭助。京成電鉄はJRと違って八千代台へ向かうルートがメインなので、東京方面から千葉へ出るには津田沼で乗り換えねばならなかった。接続はあまりよくない。
「……だって、その方が安いんだもん」
フォークを口にくわえたまま、マンジローは答えた。
「え……?」
「安いったって……十円かそこらだろ?」
半ば呆れたように圭助が言うと、
「十円を馬鹿にしちゃダメだよ!」
マンジローは急に口を尖らせるのだった。
「うちのボス、ひっどいんだよ。ここの物価高いの知りながら、交通費くらいしかくれないんだ。おかげでぼくのご飯、いつもヤマザキのクリームパン一個だけ。お姉ちゃんたちもひどいと思うでしょ?」
言いながら、どかっ、とハンバーグにフォークを突き立てる。
「え、ええ」
同意を求められたところで反応に困る。とりあえず曖昧に頷く菜穂と圭助。
もっとも、マンジローは周りの反応などまるで気にしていないようだった。大きくため息をつくと、一人ブツブツと愚痴をこぼす。
「ボスはいつもオフィスでくつろいでるし、じゅうべえはご飯食べないし、みんなぼくの苦労なんか知らないんだ」
「じゅうべえ?」
「あ、ぼくのパートナーのことね。そういえば、まだ紹介してなかったや」
ぽりぽりと頬を掻くと、マンジローは腰に手をやった。そうして二人の前に出したのは、なんのことはない、例の十手だ。
「これが……じゅうべえさん?」
「そ。ちょっと口うるさいけど、とっても役に立つんだよ」
「ちょっといい?」
彼に断ると、菜穂は十手を手にした。どこからどう見ても、時代劇で岡っ引きがよく持ってるような、ただの十手である。違いと言えば、柄の先に青いガラス玉が埋め込まれていることくらい。
「特に仕掛けもなさそうだけど……ねえ、やっぱり何か隠してるでしょ?」
「へへへ。ナイショ」
にっ、と笑ってハンバーグを頬ばるマンジロー。こうなってはもう、お手上げである。
(誤魔化すならともかく、確信犯だもんなぁ)
菜穂はそっとため息をついた。圭助にはまだ話していないが、目の前であれだけのことをして見せた少年のこと。なんとしても正体を知りたいところだけれど、全くもって打つ手なし。
諦めて圭助の様子を窺うと、相変わらず美味そうにハンバーグをぱくつくマンジローを見つめる彼は、何事か考え込んでいるようであった。
「……あのさ、まんじろう君」
しばらくして、圭助は静かに話しかけた。
「ん?」
「君、歳いくつ?」
「もうすぐ十だけど?」
「てことは……小学校の三年生か」
今さらのように確認すると、何を思ったか、
「学校サボっただろう」
意地悪そうに言うのであった。途端、ハンバーグを喉に詰まらせるマンジロー。慌てて胸を叩き、水を飲んで息を整えると、大きく首を振る。
「そ、そんなことしてないよ! だってぼく」
「この国の法律じゃ、児童労働は禁止されてるんだぞ」
「え? えーっと、それは、そのぉ……」
「義務教育ほったらかしてまで、何やってたのかなー?」
「………」
まさかこういう攻められ方をされるとは思ってなかったらしく、マンジローは圭助から目をそらすと、心底困った顔をした。そして何を思ったか、助けを請うような視線を菜穂に送るではないか。
けれども菜穂は圭助と一緒で、マンジローの正体が気になって仕方ない口だ。そんな懇願はあっさり無視して、興味津々、顔を寄せる。
「んーと……ナイショ!」
遂にマンジローは伝家の宝刀を抜いた。後はひたすら、食べることに専念する。まるで二人のことなど頭の中から綺麗さっぱり消え去ってしまったかのような、実に見事な食べっぷりである。
互いに顔を見合わせる菜穂と圭助は、やがてどちらともなくため息をついた。
© Kai Sumikawa 2004