告死天使
作:澄川 櫂
SCENE. 2
〇〇八七年一二月二〇日。我々レッドベアー小隊は、地球連邦軍ケネベツ航空基地への威力偵察を敢行した。
早くからティターンズ寄りの立場を示していたその基地は、元々は旧世紀時代に極東の島国が建設した、北方の飛行場である。大戦の終結と共に廃棄され、永らく放置状態にあったが、ジオン公国軍の地球侵攻に伴い、急遽、再生されたのだった。
戦線の中心がアフリカ・ヨーロッパ方面にあったこともあって、表舞台に立つことなく終戦を迎えたケネベツ基地は、それでも、コロニーの残骸落下で壊滅した太平洋沿岸地域における貴重な後方基地として、有用に機能した。一年戦争終結後、復興の進展と共に縮小されたものの、替わりに特務部隊が配置され、次第にその専用基地へと変貌しながら今に至っている。
戦略的には大して価値のない基地である。それが、今回の威力偵察につながったのは、近隣基地との間を行き交う通信や輸送機の量が、不自然な増加を見せていたためだ。
秘めたる野望を露わにしたティターンズが、各地で攻勢を強めていた時期である。ケネベツ基地の実態が掴めないことも相まって、カラバ上層部はにわかに緊張した。その結果が、虎の子のモビルスーツ一個小隊の派遣であった。
ネモタイプ三機で構成される我が小隊は、小隊長エドモンド・マッケイ少尉を先頭に、二機のドダイ改に分乗して太平洋側よりケネベツを目指した。サハリンを発った小隊が、わざわざエトロフ島の東を迂回したのは、侵入経路を偽装するためである。作戦完了後は再び東進して、カムチャッカ方面へ抜ける手筈となっていた。
それが、運命の邂逅につながるとも知らずに……。
海面すれすれを飛び続けた小隊は、コロニーの残骸が屹立する廃墟を認めて、にわかに高度を上げた。モビルスーツの背丈より大きな破片の間を縫うようにして、飛行を続ける。
「……酷いもんですね」
僚機のジャック・ローウェル伍長がぽつりと言った。一年戦争終結から八年が経とうとしているが、復興対象から外れた街並みは、史上最悪の戦争の記憶を生々しく今に留めている。
崩壊したビルの残骸。爪で掻いたように抉られた大地。そして、それらを覆うようにして、無数に穿たれた大小様々の破片。その一つ一つが、戦禍に散った人々の墓標のように思えるのだった。
「流星に滅ばされた死の街、か……」
何気なく呟いた私は、出撃前に聞かされた不吉な名前を思い出して、顔をしかめた。
——告死天使
三日ほど前にケネベツ基地に搬入された、恐らくは兵器と思われるものの暗号名である。何とも物騒な名前だが、この街の光景を見てしまうと、それはそれで相応しいのだろうと思えてくる。
——今思えば、一種の予感のようなものだったのかも知れない。だが、それと判ったところで、結局は何も出来なかっただろう。
先を行くマッケイ機が弾かれ、一瞬にして火の玉に転じる。驚く間もなく、足下に衝撃を覚えた私は、傍らのローウェル機を突き飛ばしながらメーンスラスターを噴かせた。
『わぁぁぁぁっ!!』
「落ち着け、ジャック!」
爆散するドダイ改に慌てふためく同僚を宥めつつ、乗機に戦闘態勢を整えさせた私は、すり抜けざま上昇に転じる敵影を認めた。ネモと同色の濃いグリーンと濃紺に彩られた鋭角的な機体は、一見すると大型の戦闘機にしか見えない。が、大口径のビーム砲を装備したバインダーを見れば、それが可変型モビルスーツ・ギャプランであることは明らかだ。
(……こいつのことか)
上空で瞬時に人型へと転じるギャプランは、両手を組み合わせると、バインダーの先にある砲門をこちらに向けた。告死天使。砲口に灯るビームの輝きに、その不吉な名前が再び脳裏に蘇る。
「クッ!」
牽制のビームを放ちながら、私はネモを走らせた。一機ではとても敵う相手ではない。一刻も早く、ジャックと合流する必要があった。
ギャプランの放つ高出力ビームが、背後で地面を容赦なく抉る。私は廃墟の一つにネモを躍り込ませると同時に、機体をジャンプさせた。大地に降り立ってビームを放つギャプランの頭上を越えると、ローウェル機が落ちた方角のやや右手を目指して駆ける。
その頃になって、別のビームがギャプランを狙い始めた。コロニーの破片を盾にしつつ援護する、ジャックのネモがモニターに映る。
『曹長!』
「いったん散開して押し込むぞ!」
無線に向かって怒鳴る私だったが、ギャプランの動きはこちらの想像を遙かに超えていた。再びモビルアーマー形態に転じたギャプランは、ビーム放火をまったく無視して、ローウェル機に向かって一気に飛び込んだのだ。
『うわぁぁぁぁぁぁっ!!』
引っかけられたローウェル機が、ジャックの悲鳴と共に、コロニーの残骸の向こうへ消える。
「ジャック!」
立ち上る土煙に向かって呼びかけるが、無線は沈黙したままだ。
「どうした? ジャック、応答しろ!」
嫌な予感を押さえながら回り込んだ私は、そこに、信じられない光景を目にした。
ネモを羽交い締めにしたギャプランが、赤い光を湛えた一つ眼をこちらに向ける。その右手はネモの胸元に深く突き刺さり、強化装甲の一番厚いところを貫いた手首が、怪しく蠢いているのが判る。
やがて、ずるずると臓物を引き出し始めた指先には、球状のコクピットブロックが握られていた。が、外壁に食い込んだ親指を見れば、その内にあるジャックがもはやこの世に無いであろうことは、嫌でも想像が付く。
握ったものに視線を移したギャプランは、その手におもむろに力を加えた。いとも簡単に潰れる鋼のボールから、血とも油とも知れない液体が滴り落ちる。声もなく、ただ呆然と見つめる私の眼前で、ギャプランは右手をゆっくりと開いた。
ひしゃげた棺が落下し、新たな墓標となってこの地に穿たれる。が、ギャプランはそれを一顧だにすることなく、開いた右手を顎に擦りつけるのだった。まるで、血塗れた指先を舐めるかのように。
すぅっと細くなるモノアイの光を見た瞬間、私は悟った。こいつは殺戮を楽しんでいるのだと。戦慄が背筋を駆け抜ける。無造作にローウェル機を投げ捨てたギャプランが、次なる獲物への第一歩を踏み出したとき、私は声の限りを尽くして叫んでいた。
……それから後のことは、正直なところ、詳しくを覚えていない。激しい衝撃に我に返ると、左腕を失った乗機が、頭部を打ち砕かれたギャプランの、変形途上の機体を組み伏せていた。微動だにしない様子を不審に思いつつ、手早く相手の戦闘能力を奪う。
両足首をサーベルで落とし、右側だけに残されたバインダーを腕ごと斬って捨てる。その段になってようやく、離脱しようとするギャプランに飛び付き、頭部バルカンを浴びせたことを朧気に思い出した。
モビルスーツの頭部には、メーンカメラを始めとした様々なセンサーが詰まっている。弱点であることには違いないが、行動不能に陥るほど致命的なものでもない。
(なんだ……?)
再度ネモにギャプランを組み伏せさせると、私は拳銃を手にコクピットを出た。機体の放射熱を肌に感じながら、コクピットハッチの開閉スイッチを探す。外見上は大きく異なっていても、モビルスーツの基本的な構造はどれも似たようなものである。案の定、腹部脇、ちょうど腰の付け根当たりに目的のスイッチを見つけた私は、迷うことなくそれを押し込んだ。
微かなガスの排出音と共に、胴体の中心に位置する装甲板がせり上がる。開けきるのを待って、正面に躍り込んだ私は、銃口を向けた先に最悪なものを目にすることとなる。
薄暗いコクピットのリニアシートに、小柄なパイロットスーツが腰掛けている。力なく項垂れたヘルメットは、通常のものと僅かに異なるようだったが、それ以上に、パイロットスーツのあまりの小ささに目を奪われた。
「まさか……」
何かに誘われるように、俯いたままの敵パイロットの顔を上げる。その頬に手を伸ばし、躊躇いながらバイザーを上げる。
濃い色ガラスの下から現れたのは、年端の行かぬ少女の顔。目の前でジャックを葬り去った機体の、残忍なパイロットの正体を知った私は、そのあまりの理不尽さに、ただ吠えることしか出来なかった——。
ジムのビームサーベルは、ザクのそれを寸での所で受け止めていた。ビームの干渉波が鮮やかすぎる光を放ち、コクピット内を禍々しく照らし出す。よくぞ止められたものだ。呆れる間もなく、激しい振動がリニアシートを左右に揺らす。
「グッ……!」
蹴られた。そうと知って、コントロールスティックを思い切り引き倒すノーマン。同時に、フットペダルを小刻みに踏み込む。身を捻るようにして、ジムが空中で器用に向きを変える。その両脇を、二条のビームが掠めるようにして抜けた。
さしもの敵パイロットも舌を巻いたに違いない。が、当の本人はそれ以上に驚いている。同じ事をもう一度やれと言われれば、十中八九無理と答え、実際、間違いなく失敗するだろう。まさに奇跡としか言いようがない。
と、再び振動。ジムが着水したのだ。
「ええいっ!」
スロットル全開。ノーマンの気合いと共に、激しく波を泡立てるジム。海面に刺さるビームを逃れ、ついには再び宙を舞う。
「俺は、まだ死ねないんだ!!」
生への執念が生んだ奇跡か。飽和する戦意の中、妙に冷静な自分が分析する。いや、違う。生かされてるんだ。別の自分が反論する。誰に? 極東の島国で出会った、死を告げる天使に。死は安息。それは、安易にして実のない贖罪。
——そう、私はまだ、許されてはいないのだ
※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。