告死天使
作:澄川 櫂
SCENE. 3
柱を叩く乾いた音に振り向くと、白衣を羽織ったヴァレリ・セルゲーエフが戸口に立っていた。無言のまま、手にしたカップを軽く上げて見せる。その意図を察した私は、傍らのベッドを見やってから席を立った。ヴァレリの後を追って病室を出る。
彼の仕事場、病室と薄壁一つで区切られた診察室に入った私は、インスタントコーヒーの瓶を探す軍医を尻目に、そこだけが丸くくり抜かれた小さな窓に寄った。額を押しつけるようにして覗き込む。水上艦の作り出す波飛沫が、傾き始めた冬の太陽に照らされて、橙色の輝きを放っていた。
“シロナガス”は地球連邦海軍太平洋艦隊に籍を置く空母である。エゥーゴとティターンズの抗争に関して中立を標榜していた海軍が、エゥーゴの地上組織とも言うべきカラバに密かに提供した、海の拠点だ。表向きにはこれまでと同様の戦時哨戒航行を続けながら、その設備をカラバに開放したのである。
限られた戦略拠点しか持たず、作戦展開に欠かせない機動力をもっぱらアウドムラ一機に頼っていたカラバにとって、それはまたとない申し出だった。無論、積極的に協力するというものではなかったが、各地に分散して配置された空母の予定航路さえ押さえておけば、部隊の補給や移動、回収の目処が立つ。カラバの作戦展開能力は飛躍的に向上したと言って、差し支えなかった。
“シロナガス”とは特定の艦に与えられた名称ではない。それは、海洋に浮かぶ全ての空母を意味する総称である。“赤い目のシロナガス”と呼称されるこの艦の正式名を、私は知らない。
いや、そもそも知る必要が無いのである。カラバのパイロットにとって重要なのは、そこで補給が受けられるか否かということだ。背景の事情などは二の次以下である。それに、運悪く敵に捕まったとしても、サービスの良い隠れ海上ラウンジの位置が、自らの口から漏れることはない。まさに知らぬが仏である。
ところが、このラウンジの持ち主の方は、そうは考えてないらしかった。別に看板を掲げるでも、店名を口にするでもないが、彼らはより積極的で危うい行動に出たのだ。
マッケイ機が残したドダイ改でエトロフ島に逃れた私は、呆れたことにミディア型輸送機の出迎えを受けた。決してこちらから呼んだわけではない。ケネベツ基地のティターンズより足止めを要請された近隣の海軍部隊が、偽りの撃墜劇を演じまでしてこの”赤い目のシロナガス”に運んだのである。
理由は想像が付く。捨てるに忍びず、結局は持ち帰ることにしたギャプランの機体に、彼らは興味を覚えたのだ。決して愉快ではないが、それで助かったのだから文句はない。海軍の連中はティターンズの実態によほどの危機感を覚えたのだろうと、好意的に解釈することにした。
もちろん、危機感から出た行為である可能性もあるわけだが。
「深く考えすぎない方がいいぞ」
そう見えたのか、背後でコーヒーを入れるヴァレリが口を開いた。変わらない無愛想な声に、思わず次の言葉を想像する。
「余計なストレスを溜めるだけだからな」
案の上の言葉に、私は苦笑するのだった。
ヴァレリ・セルゲーエフとは、自分がまだ連邦軍に籍を置いていた頃に知り合った。人となりを一言で表すならば、不器用。有能な医師には違いないのだが、愛想のなさと隠し立てできない性格が災いして大学病院を追い出された、曰く付きの人物だ。戦争がなければ片田舎の売れない開業医をしていたに違いない、というのは死んだマッケイ少尉の言である。
決して人付き合いを厭うてるわけではなく、他人への気遣いを全く持ち合わせていない、ということもない。ただ、起伏に乏しい口調で、病症を包み隠さず淡々と話す様子は、見る者にどうしても冷徹な印象を与えてしまうのである。本人を前にしてもその調子なのだから、市中の医者としては確かに嫌われるタイプだろう。
が、同時に、軍隊の現場に詰める医師としては適任だと思うのだった。現実主義の極致とも言える戦場に臨む者にとっては、無用な期待を抱かせられることのほうがよっぽど迷惑だ。少なくとも、マッケイ少尉や自分はそのように考えていた。
旧知の人物との予期せぬ再会は、“シロナガス”の正体を想像させるという意味では好ましくなかったが、今回ばかりはその偶然に感謝した。この優秀かつ正直で不器用な軍医ならば、良くも悪くも全ての事実を明らかにしてくれるだろう。
怪訝そうにこちらを見やるヴァレリに構わず、申し訳程度に設けられた応接ブースの椅子に腰を下ろすと、私は彼がそのために呼び出したであろう話題に水を向けた。
「で、ドクターの所見はどうなんだ?」
「あんな化け物とやり合って、よく生きて帰ったな」
コーヒーカップを差し出す軍医は、にこりともせず言った。それは、ミディアの老機長が言った言葉と寸分違わなかったが、少女の容態を診、ギャプランの機体を実地に検分した後の医師の言葉とあっては、自然と重みが異なる。最悪の想像が現実のものとなる恐怖に身構える私の内心をよそに、ヴァレリは続けるのだった。
「瞬間的な極度の外的ストレスによる、脳内神経細胞の破壊。それによって引き起こされるニューロンネットワークの崩壊が、彼女の直接の死因だ」
「死因?」
「脳死だよ。彼女はもう、目覚めることはあるまい」
あまりにもあっさりとした言いように、そういう性格だと判っていても思わず声を荒げそうになったが、彼がついぞ見たことのない沈鬱な面持ちであるのを知って、私は口を噤んだ。まだ息のある者を死者と捉えることに抵抗はあるものの、それを事実として受け入れねばならない何かがあるのだ。
「あれは、パイロットの知覚に直接作用して動かすタイプのマシンだな。サイコミュ、とか言ったか。驚異的な運動性能を引き出せるシステムだそうだ。現物を見るのは初めてだが、ニッポンのムラサメ研やティターンズ直轄のオーガスタ研で研究しているとの噂もあるし、まず間違いないだろう」
「彼女はニュータイプか」
「生体実験の産物を含めるなら、そうだろうな」
ヴァレリは、彼にしては珍しく、吐き出すように言った。
「まともなシステムじゃない。反応速度を高めると言えば聞こえはいいが、パイロットを生体コンピュータの如く機体のセンサー系に直結させればどうなるか。容易に想像がつくだろうに」
「……どういうことだ?」
「あの機体は外部情報を操る者の知覚としてダイレクトに投影し、それに対する脳の反射信号を動力系に伝えることで、アクションを起こすまでの反応誤差を限りなくゼロに近づけている。パイロットは、いわば機体と一体になるわけだ。当然、機体の痛みはパイロットの痛みであり、その破壊はパイロット自身の肉体的損傷として感知される」
「では、頭部を破壊すれば……」
「実際に頭蓋を吹き飛ばされるも同然だ」
彼の静かな憤りは、もちろん、あのギャプランをそのような機体に仕立てた者達に向けられていたのだろうが、私にとっては、実際に撃墜した私自身に対する有罪判決のように思えた。もちろん、戦争にはつきものの結果であり、やらなければやられる以上、必要以上に気に病む性質のものではない。が、相手が年端も行かぬ少女であったという現実は、否応なしに私の良心を抉るのだった。
「……あのシステムに耐えうるには、それ相応の資質が求められるはずだ。現物を見て判ったが、故意に人の攻撃性を高める工夫がなされている節がある。良心や情けといった感情は、機体の性能を落とす欠点でしかないからな。それでも、人の心はどこかでブレーキをかけようとする。そうすることで、人である自分を守ろうとする」
「無意識の防衛本能を押さえ込み、機体と完全に同化させるためには、それを操るパイロットをも人為的に作り出す必要があった。そういうことか」
生体実験、と言った彼の先の言葉を思い出した私は、ようやく全てを理解した気がした。彼女は私が相手にしたギャプランの核なのだ。ジャックの機体を破壊したときの異様な行動。それは、少女の純真な心の裏返しである、歯止めのない凶暴性の発露に他ならない。
「被験者に彼女のような子供を選んだのも……」
「恐らくはそのためだろうな」
それきり沈黙したヴァレリは、しばらく経ってからぽつりと漏らした。それは、私の心情をも正確に表す言葉だった。
「……いつ頃から実験に使われていたかは知らないが、彼女が人であった時間の方が長いことを、祈らずにはいられないよ」
その晩を、私は病室に眠る彼女の傍らで過ごした。人工呼吸器は既に外されている。未だ微かな鼓動を立てるその肉体も、いずれ完全なる死を迎えることになるだろう。「今更不毛な延命を続ける必要もあるまい」と言ったヴァレリの、本心では安らかな旅立ちを望んでの決定に、私としても異存はなかった。
形式上の同意書に署名した私は、この艦の艦長に彼女の水葬を申し出た。艦長はそれを快諾した。後にヴァレリから聞かされたことだが、その時既に、海軍上層部とカラバの間では、捕獲したギャプランのシステム一式を引き渡すことで合意していたという。ヴァレリの報告を受けていたにも関わらず、艦長もまた、彼女を人として扱ったのである。
そのことを知った私は、いくらか救われる思いだった。死してなお、身体を調べられるというのではあまりに浮かばれない。システムパーツ的な扱いからの解放は、彼女に対するせめてもの供養だった。
海は穏やかに凪いでいる。推進機関の生み出す微かな振動の他は、これと言って音もなく、冬特有のひんやりとした空気が病室を包み込む。船窓より射し込む月明かりは鈍く柔らかで、横たわる少女の寝顔を淡く照らし出していた。
「……君にはやはり、謝るべきなんだろうな」
思い悩んだ末に口をついた言葉は、結局そこに落ち着くのだった。湿度の具合からか、淡い銀の光にほんのりと包まれる少女は神秘的ですらあり、沈黙を保つ横顔に語りかけていると、懺悔しているような錯覚を覚える。いや、真実そうなのだろう。
戦友を奪われた恨みは、既に無かった。事実を知った今、こうして胸に上がってくるのは、人に戻れる可能性を完全に断ち切ってしまったことに対する、悔恨の情ばかりである。
「知らなかったこととは言え、君には済まないことをしたと思う。生きていれば、やりたいこともあったろうに……」
椅子に腰掛けたまま、少女に向かって深く頭を下げる。
「願わくば、母なる海に抱かれて、安らかに眠って欲しい」
……それからどのくらいの時間が経っただろうか。ふと、人の気配を感じた私は、顔を上げて声を失った。ベッドに上体を起こした少女が、緋色の瞳をこちらに向けていたのである。呆然と見つめる私に向かい、彼女は静かに口を開くのだった。
「私は、鳥になりたかった。鳥になって、この空をどこまでも昇りたかった」
月光の射し込む船窓を見上げる少女の表情が、銀の光の中でそれと判るくらいに暗く陰る。
「……でも、それは叶わぬ夢。あの子に乗って飛ぶたびに、私は、私でない何かに変わっていった。始めは少しずつ。次第には大きく。今ではもう、空を飛ぶ楽しさも感じられない。私は一人カゴの中。あの子は、私を置いていってしまったわ」
再び訪れる静寂。無言で月を見つめる少女の顔は寂しげで、声をかけるのも憚られるほどだ。瞬き一つしない少女の横顔は、まるで彫像のようである。
その愁いを帯びた表情に魅入られていた私は、ふと、少女の緋色の瞳に覗き込まれている自分に気付いて慌てた。いつの間にこちらを向いたのだろう。が、そんな疑問が脳裏を流れるよりも早く、口を開いた彼女の表情は、それまでとはうって変わって、柔らかなものだった。
「私はようやく自由になれる。鳥になって空を飛ぶことも出来る。だから……」
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