告死天使
作:澄川 櫂
SCENE. 4
灰色のザクの強烈なショルダータックルを受けた機体は、波打ち際の岩礁に叩き付けられていた。凄まじいばかりの震動がコクピットを襲う。ジムの腰椎が断末魔の悲鳴を上げ、弾みでシートベルトを引き裂くノーマンは、全身をスクリーンに打ち据えられる。
サーベルを放り出したジムの右手は、その巨体を何とかして支えようとしたらしかったが、失敗して腕もろともひしゃげ、あらぬ方向に向きを変えていた。コクピットを保護する装甲板が激震に耐えかね、ハッチごと脱落する。岩礁もまた、機体の重量を支えかねて崩れ去った。
潮の香りにノーマンが意識を取り戻したとき、ジムはその半身を海水に浸していた。彼もまた、腰の位置まで上がった海水に半ば身を任せるようにしている。力なくシートにもたれ掛かる彼の頭部は、虚ろな視線で、割れたバイザー越しに空を見上げていた。
三条の飛行機雲が天を目指す。それはやがて一つとなり、二つ眼を備えた鋼の巨人が姿を現すことだろう。
灰色の、こちらは一つ眼しか持たない別の巨人が、後を追って上昇に転ずる。が、間に合うまい、と彼は思うのだった。案の定、灰色の狩人が放った光跡は、横合いから飛び込んできた影によって遮られる。
悔やむような響きの舌打ちは、彼の耳にも確かに聞こえた。
(あなたらしい最後でしたよ、艦長)
呼びかける青い瞳は、飽きもせず繰り返されるそれらの動きを克明に捉えながら、なおも天の一点を見つめて離れない。視覚にはまだ上がらないものの存在を、彼は雲の向こうに感じていた。
——空が、落ちてくる
誰が言い始めた言葉だろうか。その語源は、ようとして知れない。だが、この感覚を表現する言葉として、これほど適切なものもないだろう。頭上を覆う圧迫感。吹き寄せる風は重く、蠢くように囁き合う。
それでも、彼の聴覚は聞き覚えのある声ばかりを確実に拾っていた。僅かに耳を傾ければ、不快な雑音はたちどころに消え失せ、際だつ口調は語る者の姿形を色鮮やかに思い起こさせる。
彼は納得し、そして、巨人達のことを忘れようと思った。それは、人の心を狂わす異形の戦士。彼が求める姿はそこにない。不意に軽くなる心の内の、前にも増して澄み渡っていく様を愉快に思いながら、彼は待つことにした。
その時が来れば、彼女は必ず現れるのだから……。
「告死天使?」
不吉な名前に、小隊最若手のジャック・ローウェルが身震いする。その様子に、エドモンド・マッケイ少尉は豊かな口髭を震わせて笑った。
「どうしたジャック。怯えてるのか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「だからお前は半人前なんだよ」
動揺するジャックに向かい、エドモンドはさらに髭を震わせる。
「怖けりゃ怖いって認めりゃいいんだ。そうすりゃあ、生き延びる手だても生まれる。現実を直視しろ」
言って振り向く少尉殿は、一年戦争以来変わらぬ豪快な笑みを浮かべた。
「なあ、フレディ。俺たちにはおあつらえ向きの天使だと思わないか?」
***
『ノーマン曹長』
新たに受領したネモのコクピットに、機体と共に隊に加わった新米伍長の声が響いた。インフォメーションパネルに機体間直通であることを示す光が灯っている。何しろ初期調整中の機体だ。テストのつもりかと思って応えるが、続く言葉は見事に予想を裏切った。
『曹長とマッケイ少尉は、一年戦争以来のコンビと伺いました。何でも、ソロモン戦で勲章を受けたとか』
……勲章。その言葉に、思わず向かいのハンガーで調整中のマッケイ機を見やる。口笛を吹きながらパネルに向かう少尉の姿に、これが正しく機体間直通回線を使った通信であることを確認して、ほっと息をつく。それが何か? 強い口調に、伍長のたじろぐ様が無線越しに伝わる。
『い、いえ、そんな方々が、何でカラバに参加したのかと思いまして……』
なぜ? そうさな……。
***
何があっても眼前の敵を消滅させる。それが、この艦に与えられた至上命令だった。相手はこちらと同じ巡洋艦クラスが一隻だが、分の悪い勝負である。追い払うのではなく、完全に叩き潰さねばならないのだから。それも、早々に通信手段を奪うという条件付きで。
この岩塊群の向こうには、新兵器を携えた本隊がいる。その存在を、ぎりぎりまで隠し通さねばならなかった。これが最初の相手であったならば、まだ互角にやり合えただろう。が、小なりとは言え、三十分足らず前に一隻を屠ったばかりの艦にとって、それはあまりに過酷な任務である。
ゴゥン……。船体を伝う鈍い振動が、マーカー・ブイの放出を告げた。特殊な信号を発するそれは、母艦からの定期信号が途切れると同時に、信号の発信を止める仕掛けが施されている。戦闘開始の通信すら禁止されたこの艦に、唯一許された自己存在の表現手段だった。
『敵艦は二時方向、距離一万七千。熱源四、接近中。各機は敵艦の交信能力破壊を優先してください』
艦内で人気のある女性オペレターが、強ばった声で伝える。まだ若い。彼女は確か、大学を休学した志願兵ではなかったか。艦内で耳にした噂を思い出す。どこにいても、ダメなときはダメですから。志願理由を問われてそう答えたらしい彼女は、だが、口にした言葉の意味を本当に理解していたのだろうか、と思う。
いや、自分も似たようなものか。思い直したところで、慌ててそれらの思考を振り払う。こちらは先の戦闘で一機を失っている。故に、倍の相手を突破して敵艦に取り付かねばならない。感傷にふけっている余裕など無いはずだ。
『出撃三十秒後に砲撃を開始します。ご武運を』
……任務は成功した。だが、彼女の声を聞いたのは、それが最後だった。
***
「痛みが取れるまで三日、傷が目立たなくなるのに十日。四日以内は傷口が開く可能性が高い。悔いを残したくなければ、五日は大人しくしていることだ」
名物軍医のヴァレリ・セルゲーエフは、痛み止めの注射を打ちながら淡々と告げた。それは事実口にしているだけのようであり、いわゆるドクター・ストップという感じではない。
そのことを問うと、彼は顔色一つ変えることなく言うのだった。
「自ら出て行こうとするやつを止める義理はないよ。大人しくしていることがストレスに感じるなら、それもいいだろうさ。が、個人的には、万全の体調を整えてから一気に憂さを晴らす方が、より効果的だと思うがね」
医師らしからぬ言葉に戸惑う様子に気付いたのか、ドクターはほとんど初めて、表情らしきものを浮かべて見せた。こちらをじっと見据え、口元を僅かに歪ませる。
「どうせ尋常ならざる世界に身を置いてるんだ。せいぜい納得できる行動を取らせるしかないじゃないか。だが、判断するのは私じゃない。どの道を選ぶか、決めるのは患者自身だ。私に出来ることと言えば、他ならぬ自分が後悔しないよう、ありのままの現実を患者に伝えることだけだよ」
そう。自分が後悔しないことをする。自分で納得の出来る行動を取る。ただ、それだけのこと——。
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