若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

1.ウルルの空

 先を行くメイの機体が、白い翼をきらめかせながら上昇を始める。続くミハイルもまた、操縦桿を引いてそれに従った。三百七十度変わる視界。少し右に傾け、横方向にさらに三百六十度、ターンをかける。
 つがいで飛ぶセスナは揃って、一糸乱れぬシュプールを空に描いた。
『なかなかやるじゃない』
 メイの声が無線を伝う。苦笑するミハイル。
「プロに向かってそれをいうのか?」
『へー。あたしよりキャリア短いくせに、一人前の口利くんだ』
 彼の言葉に、メイは皮肉るような口調で言った。きっと、幼い頃にさんざん目にした「お姉さんぶった顔」をしているのだろう。であれば、次に取る彼女の行動も、容易に想像がつくと言うものだ。
『なら、これはどうよ?』
 一声残すと、彼女の機体は、今度は地面めがけて降下した。乾燥しきった大地の手前で上昇に転じ、機をひねりながら円を描かせる。少し荒くなった息づかいが、水平飛行に戻したメイの機体から届く。
 ミハイルは小さく笑うと、やおら操縦桿を倒した。エンジンの回転数がぐんとあがる。メイ機より一段高い速度で突っ込む彼の機体は、ブッシュをかすめるようにして急上昇。円の起点を過ぎたところで向きを変え、円の中心を駆け抜ける。両翼が見事な雲を曳いた。
「——いかが?」
 息一つ切らさず問うミハイルに、無線機はしばし沈黙したが、
『よし、合格!』
 まるで教官のような台詞が返ってくるのだった。
「なんだよ、それ」
『だから、言ったじゃない。あんたが戦争に行ける腕の持ち主かどうか、試してやるって』
「ああ。で?」
『悔しいけど負けたわ。意気地なしのミーシャが、いつの間にこんな度胸持ちになってただなんてね』
「……おい」
『見えた、エアーズロック』
 その声につられて視線を転じると、お椀を逆さまにして伏せたような形をした岩山が見えた。朝夕の情景にはかなわないが、赤みを帯びた地肌が陽光に映える。
『ウルルはマウント・オーガスタスに次いで、世界で二番目に大きい一枚岩です。周囲9.4キロメートル。地表面からの高さは335メートルで、オーストラリア大陸のほぼ中央にあることから、大地のへそとも呼ばれます』
 普段の姿からはからは想像もつかない丁寧な口調で、メイは語りだした。さすがは観光飛行機の機長兼ガイドを生業とするだけのことはある。思いつきのフライトだったにも関わらず、その説明はドキュメンタリーのナレーションさながらに滑らかだ。
『ノッチと呼ばれる風によって浸食された岩の表面には、大小さまざまの穴や窪みがあり、それぞれに異なる精霊が宿るとされています。古くから人々に崇められたウルル。陽の当たり具合によって、刻々と表情を変えるその偉容は、まさに聖地と呼ぶにふさわしい姿であるといえるでしょう』
 宇宙世紀の今日でも厚い信仰を集めるその岩を、ミハイルは両目に焼き付けた。故郷の誇る世界文化・自然遺産。太古の昔から脈々と続く自然活動によって形作られたウルルは、荒野にどしっりと腰を据え、揺るぐことなく天を見上げている。決然たるその姿に、ミハイルは心が勇気づけられるのを感じた。
 メイの声が続く。
『近隣の巨岩群カタ・ジュタもまた、特別な場所です。かつて咎人は、「多くの頭」という意味のその地で精霊達によって裁かれ、犯した罪にふさわしい罰を受けました』
 と、淀みなく続いていた名所案内が、そこで不意に途切れた。スピーカーから流れる、深い沈黙——。
「——メイ?」
『……何があっても、帰ってきなさいよ』
 彼女の声は震えていた。ハッとなるミハイルに向かって、先ほどまでとはうって変わったか弱い口調で続ける。
『あたし、いつまでも待ってるからね』
 ミハイルは我知らず、胸元に手をやっていた。首から下げた木彫りのペンダントに。ブーメラン型をしたそれは、空軍に入ったミハイルがパイロット候補生に選ばれたのを祝って、お守りとしてメイがくれたものだ。
 手作りの小さなブーメランは、彼女の性格そのままに荒削りだったけれど、温もりに溢れていた。以来、肌身離さず身に着けている。
 宇宙世紀0078年の暮れも迫った12月に入って、スペース・コロニーの一つ、サイド3との武力衝突がにわかに現実味を帯びていた。地球連邦政府の課した経済制裁に、自らを“ジオン公国”と称するサイド3の世論、メディアは揃って沸騰し、一戦も辞さずとの論調が日増しに強まっている。軍用艦船の動きが活発化するに至り、地球連邦軍もまた、麾下の将兵に対して動員令を発令した。
 空軍ながら宇宙課程を経ていたミハイルは、予備兵力として召集を受けたのだった。明後日にはオーストラリアを離れ、南米へと向かう。クリスマス休暇はむろん、返上だ。今日のこのフライトは、その埋め合わせにメイが求めたものであった。
 兵力差から言って、自分の出番は恐らくないだろう。ミハイルは思う。だから、メイがそこまで心配する必要はないのだ。
 が、世間には漠然とした不安が漂っていた。かつて人類が経験したことのない、大規模な宇宙戦争を予感するかのように。
 何度もそうして少し黒ずんだペンダントを、ミハイルはこれまでになく堅く握りしめた。訓練中のひやりとする場面を悉く切り抜けてきた、手製のお守り。御利益は折紙付だ。一つ息を吸い込むと、一語一語を噛みしめるように、ゆっくりと吐き出す。
「このブーメランに誓って、必ず戻ってくるよ」
 が、スピーカーは沈黙したまま。ミハイルは僅かに苦笑すると、
「……あのさ、俺がどんだけ本気で言ってると思ってるんだ?」
 険のある口調を装って言い、そこで一転、冗談めかして言葉を続ける。
「小さい頃、ちょっとでも約束忘れようものなら、いつだってお前にボコられてたじゃん。カタ・ジュタでそれやられたら、真面目に天国へ行けなくなっちまう。俺、そんなの死んでもごめんだぜ?」
 無線の向こうで、メイはようやく笑ったようだった。ややあって、大きなかけ声がコクピット狭しと響き渡る。
『泣くな! へこむな! へこたれるな!』
「……!?」
『へたれなミーシャに贈る、あたしからのエール』
 目を丸くするミハイル。軽やかな笑い声は、その反応を楽しむかの如く、ワンテンポ遅れて届いた。呆然と耳にするミハイルだったが、気付けばそれにつられて、同じように笑い始めている。
「……ひっでぇ」
『あら。軟弱者にはもってこいのクスリじゃない』
 ウルルの空を、二人の若い声が覆っていく。
『——約束、忘れたら承知しないからね』
 メイの言葉はこのとき、遙かな宇宙にさえ、くまなく届いたのかもしれなかった。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。