若き鷹の羽ばたき
作:澄川 櫂
13.ひとつの区切り
グレーのリックドムⅡを抱えたアルバート機は、ゆっくりとヨークトンの艦首上甲板へと降りていった。見事なアプローチで着底すると、ツヴァイの機体を静かに四つ這いにさせる。待機していた甲板要員やメカマン達が、すかさず寄ってワイヤーを掛け始めた。
固定作業完了の合図を待って、ふわりと甲板を離れるアルバートのジム。流れるように向きを変え、第三ハッチのフットマウンターに一発で収まる。一足先に帰投していたミハイルは、その挙動に改めて感嘆した。宇宙でのマニュアル操縦にもだいぶ慣れたとはいえ、自分にはまだ、ここまで無駄なく操る自信はない。
「まだ敵わない、か」
出撃を重ねるほどに、アルバートの技量の高さを痛感する。自分が今のアルバートに追いついた時、彼はどこまで腕を上げているのだろうか。
ばんやりそんなことを思っていると、デッキに引き込まれるジムのコクピットハッチが不意に跳ね上がった。まだ移動中の機体を蹴って、エアロックへと流れるアルバートの姿が見える。いつにない彼の行動に、ミハイルは反射的に後を追っていた。
「そんなに急いでどうしたんだ?」
アルバートに続いてエアロックに飛び込んだミハイルは、エアー充填完了のサインを待って訊ねた。メットを脱いで小脇に抱えるアルバートは、だが、無言だった。エアロックを出るや否や、手にしたワイヤーガンを放って艦の奥へと流れていく。頭を振って後に続くミハイル。
サイド1の灰色熊のことだろう。階段伝いに上へと急ぐ背中を追いながら察しをつける。相手がサイド2壊滅の当事者の一人、それも、自身が目撃した機体のパイロットともなれば、アルバートが気にするのも当然だ。
上層へと向かう階段を手すり伝いに流れるミハイルは、一方で別のことを思っていた。
サイド2壊滅の当事者はまた、コロニー落としの当事者でもある。大切な幼なじみを故郷もろとも消し去った相手だ。当然、ミハイルにとっても憎むべき種類の人間となる。
それが、こうしてアルバートを追う今の自分には、グリズリーに対する特別な感慨がまるでなかった。そのことが不審でならない。いまだ実感に乏しいが故なのか、あるいは……。
「サイド1の灰色熊!」
その異名で呼びかけるアルバートの声が、ミハイルの思考を遮った。壁を蹴り、連行されるバーンシュタインの眼前に飛び込む姿が目に映る。
「曹長、なんのつもりだ」
同行していたサリバン中尉が咎めるが、アルバートは副長の声に動じることなく、さらに一歩、距離を詰めた。長身のバーンシュタインを正面から見上げる。
両拳を握り締め、真すっぐに自分を見つめる若い敵パイロットの姿に、バーンシュタインは困惑した。
憤懣を無理矢理に抑えつけていることは、堅く結ばれた口元を見ずとも明らかだ。が、不思議と敵意は感じない。ただ、その目が何事かを問うていた。
サイド1の灰色熊の通り名を知っていたのも意外だが、自分をグリズリーと知ってこのような表情を向ける、敵兵の心理が解らない。
たまらず視線を泳がせたバーンシュタインの目が、黄色いパイロットスーツの胸元に貼られた徽章を捉えた。コロニーを模した意匠の右下に「2」という数字を刻んだ、連邦軍のものとは異なる徽章――。
「君は……」
瞬間、脳裏に浮かんだサイド2の戦場の光景に、バーンシュタインは間に割って入ろうとする中尉を無意識に押しのけていた。サイド2義勇軍のワッペンに向かい、僅かに手を伸ばす。
その時だった。
「……自分達にとって、あなたは英雄でした」
彼の口から絞り出された一言に、バーンシュタインは我に返って顔を上げた。やるせない思いを滲ませる曹長と、再び目が合う。その瞳の奥に、歓声に包まれるコロニーの光景が見えた。サイド1の灰色熊を称える人々の姿はだが、チェッカーフラッグの幻影と共に、瞬く間に消え去ってゆく。
バーンシュタインは目を伏せ、無言で深く、長く、頭を下げた。一段と拳を握りしめたものの、同様に無言で応えるアルバート。サリバン中尉とつかの間、顔を見合わせたミハイルは、呆然とその光景を見守るのだった。
「なあ」
パイロットスーツを脱ぎ、制服に着替え終えたところでようやく、ミハイルはアルバートに声をかけた。が、ぼんやりした視線で不思議そうに見つめられ、言葉に詰まってしまう。
「いや、その……」
にわかに慌てるミハイルは、思わず、当初のつもりとは別のことを口にしていた。
「今回は助かった。おかげで犯罪者にならずに済んだよ」
一瞬、小首を傾げるアルバートだったが、ほどなくひらひらと片方の手を振ってみせた。
「たまたま気付くのが早かっただけさ」
上着を羽織りながら「気にするな」と続ける。そうして静かにロッカーを閉める横顔は、先ほどの行動が嘘のように落ち着いて見えた。
「……さすがだな」
「何がだい?」
「切り替えの早さがさ。当事者を前にそう冷静でいられる自信、俺にはないよ」
何気なく、率直なところを口にするミハイル。それは感嘆から発した言葉だったが、アルバートの反応は、彼の予想だにしないものだった。
「……平気なわけないだろっ!」
高らかな音を立てて軋むロッカー。アルバートの怒声が響き渡る。
「できるもんなら殺してやりたいよ、この手で。けどな、これは戦争なんだ。人として、最低限のルールを守る義務がある。だいたいそんなこと、あいらの誰も望んじゃいない……」
唖然として見つめるミハイルに構わず、一気に言葉を吐き出すアルバート。だがそれも、次第に尻すぼみとなり、やがてうなだれるようにして口をつぐんだ。気まずい沈黙が流れる。
「――悪い。ついカッとなって」
「いや。俺の方こそ配慮に欠けた。済まない」
先に沈黙を破って頭を下げるアルバートに、ミハイルは素直に謝った。その言葉に小さく笑って応えるアルバートは、先ほど拳を叩きつけたロッカーに背を預け、静かに長く息を吐いた。
「宇宙艇同好会の守り神だったんだよ。グリズリー」
「え?」
「伝説のレーサー、サイド1の灰色熊。皆の憧れでさ。どんな悪路でも、常にトップで完走した勇姿にあやかろう、て」
そこで言葉を区切るアルバート。軽く握った拳に視線を落とす。
「……だから、何も知らずに死んでいったあいつらのためには、これで良かったんだと思う」
ミハイルにはかける言葉が見つからなかった。拳の遥か先を見つめる姿はどこか儚げで、一抹の不安を抱かずにはいられない。ただ黙って、続きを待つばかりである。
やがて、アルバートはゆっくりと顔を上げた。ミハイルと視線を合わせるその瞳は、だが、平素の落ち着いた光を湛えていた。
「ありがとう、ミハイル。おかげでだいぶすっきりしたよ」
「いや……」
「これで貸し借りなしだな」
「え?」
アルバートはにやりと笑って見せた。戸惑うミハイルだったが、ほどなく停戦信号の件を指していると気付いて苦笑する。
「ああ、イーブンだ」
言って、ミハイルは差し出された右手を握り返した。同様に力を込めるアルバートは、今度は声に出して笑うのだった。
「いやぁ、早速また、借り作っちまったな」
「機体の修理が終わらないんだから、仕方ないさ。それに、これはどちらかと言えばペナルティだろう?」
「昨日の件の?」
「隊長にさんざん小言を言われたよ」
ミハイルの揶揄に苦笑いで応えると、アルバートはバイザーを下ろした。ミハイルが同様にバイザーを下ろすのを待って、エアロックを作動させる。ほどなく二人は、ハッチ開放状態のモビルスーツデッキへと至った。
「頼んだぜ」
「ああ」
拳を軽く合わせて別れると、アルバートは乗機に向かって流れて行く。一方のミハイルも、整備中の自機に向かってワイヤーガンを放っていた。
「第三ハッチ、デュラン機が発艦する。注意せよ」
艦内無線を伝うコーネリアの声に、機体の右肩で作業するロッドが手を休めて顔を上げた。
「なんだ。結局アルのやつが出ることになったのか」
「変な癖付けるよりその方が良いだろう、てね」
「ランチが往復する間の警護で付く癖なんて、高が知れてるだろうに」
「意外と気になるんだよ」
「そんなもんかねぇ」
背後で発艦するアルバート機の様子を気にしつつ、ロッドが首を捻っていると、
「射撃のアルバートと格闘のミハイルとじゃ、個体差も大きかろう。実際、扱いにくいと思うぞ」
ジムの脇下から姿を見せたターナー整備班長が口を挟んだ。「なあ?」と振られてミハイルが言葉に詰まったのは、それがパウエル隊長の評価そのままだったからだ。どちらかといえば射撃寄りと思っていた身にすると、なかなかに厳しい言葉でもある。
「え、本当はそれが理由なん?」
「まさか」
内心の動揺を悟られぬよう短く応えると、ミハイルは機体の状況を尋ねた。実際、それを気にして様子を見に来たのである。
「いざバラしたら肘関節から上もかなりダメージを受けててな。結果的に総とっかえだ」
言って傍らの装甲を小突いたターナーは、肩を竦めてみせた。
「そんなわけで、今し方、結線を終えたばかりでな」
「これから調整だから、まだ少しかかるよ」
端末を操作しながらロッドが続ける。
「そうですか……」
入港前に試すのは無理か。貴重な休息時間が削られてしまう現実に、そっと嘆息するミハイル。ターナーがぼそりと口にしたのは、ちょうどそんなタイミングだった。
「これも熊少佐の成したる技、か」
ターナーの言葉につられて視線をやると、ランチに乗船する人々が姿を見せていた。ライフルを吊した警備兵に囲まれて進むのは、先の戦闘で捕虜となったジオン将兵達。サリバン中尉の隣でこちらを見上げる長身の男が、恐らくはサイド1の灰色熊こと、コーリー・バーンシュタイン少佐だろう。バイザー越しに見つめる視線を感じる。
「機体、頼みます」
二人に言い残して、ミハイルは愛機を離れた。昨日目にしたバーンシュタインの顔を思い出しながら、ゆっくりと流れて行く。
(もう一機の方だったか……)
ジムの肩口からこちらへ流れてくるパイロットスーツ。その胸元の徽章にコロニーの意匠が無いのを認めたバーンシュタインは、残念に思うと同時に、どこかほっとしている自分に気付いた。
サイド2生き残りの曹長との邂逅は、それだけ衝撃的だった。そして、その曹長に諭されて生命を拾ったという事実が、輪をかけて胸を揺さぶる。
バーンシュタインは改めてジムを見やった。あの曹長の機体でないとすれば、格闘で接戦したパイロットのものだろう。ひょっとすると、昨日、曹長と共にいた若者が操っていたのかもしれない。
ふと思い立って足を止めるバーンシュタイン。訝しげに振り向く先導の中尉に向かい、
「彼と話をさせてはもらえないだろうか」
と言ってみる。バーンシュタインの視線の先に降り立つパイロットスーツを見やった中尉は、ほどなく「近接公衆通話ですが構いませんね」と応えた。
「もちろん」
「会話の内容によっては不利になることも……」
「ありがとう。大丈夫だ」
ミハイルを向いたサリバン中尉が不意に片手を上げた。疑問に思う間もなく、彼を招く中尉の声がメットに響く。
「何か」
「少佐殿が話をしたいそうだ」
「はい?」
思わず間の抜けた反応をしてしまうミハイルだったが、バーンシュタインはそれを気にするでもなく彼に尋ねた。
「君があれを?」
「ええ、まあ」
「良い腕をしている」
予期せぬ言葉に愛機へ向けた目線を戻すミハイル。長身のバーンシュタインを仰ぎ見るような格好で顔を合わせる。サイド1の灰色熊の瞳は、バイザー越しにもそれと判る、穏やかな光を湛えていた。
「今後とも存分に仲間の役に立ててくれ。あの曹長にもそう伝えてもらえるかな。諸君の武運長久を祈る」
敬礼と共に締めくくった敵少佐に、ミハイルも反射的に敬礼で応えていた。口元に小さな笑みを浮かべるバーンシュタイン。それが、ミハイルがサイド1の灰色熊を見た最後となった。
「いやに思索的じゃないか」
「隊長?」
船窓越しに遠ざかるランチを見つめていたミハイルは、肩に手を乗せられてようやく、我に返って振り向いた。書類を小脇に抱えたパウエルが、「どうした?」と首を傾げて見せる。
「どうにも敵という実感がわかなくて……」
言いながら視線を船外に戻すミハイルは、一呼吸置いてぽつりと続けた。
「故郷を壊した相手、なんですよね」
結局、バーンシュタインに対して怒りを覚えることはなかった。それは単に、実感のなさ故のことかもしれない。ただ、仮にも宇宙に上がって以来、何度も激闘を繰り広げた相手だ。少なからず敵愾心を抱くのが普通だろう。
「少佐殿と話をしたそうだな」
「激励されましたよ。ですが、それが理由じゃないんです」
昨日、バーンシュタインの姿を初めて目にした時にも、特段、感情に変化はなかった。アルバートのように本音を押さえ込んでいたわけではない。顔を合わせた彼らの予想外の反応に、ただ呆気にとられただけだ。
先だっての戦闘終了直後、偶然耳にしたグリズリーの声が気になったのは確かである。ジオントップエースのイメージとはかけ離れた、ひどく人間的な言葉。ミハイルはほとんど初めて、バーンシュタインという人物に関心を持った。
だが、それは詰まるところ、大切なものを奪われた恨みより、サイド1の灰色熊への興味が勝ったということではないか。自分は本当に、一年前の災禍を悲しんでいるのか。
「ミハイル。お前は戦闘に臨むに当たって、どういう人間でありたいと思っている?」
パウエルが唐突に尋ねた。一瞬、小首を傾げるミハイルだったが、そこは自身の信条に関わること。すぐに淀みない答えが口を衝いて出る。
「自分は、自分の良心に恥じない人間でありたいと思っています」
「では、仮にコロニーを潰せと命じられたらどうだ。拒否できるか」
「それは……」
だが、パウエルのさらなる問いかけには、返す言葉を失うのだった。
「軍人にとって上からの命令は絶対だ。意見を述べることはできても、決まったからには従わねばならん。それが嫌なら軍を辞めるしかないわけだが、戦時下にあっては敵前逃亡と見なされるだろうな」
その反応を予期していたのだろう。パウエルはミハイルが返答に窮した理由を端的に述べてみせた。そして、僅かな間を置いて言葉を続ける。
「俺達軍人の使命は、任務完遂の一点に尽きる。故に、その過程で生じたあらゆる事実を受け止め、背負わなければならない」
「覚悟の問題、ですか?」
「あの少佐殿は、軍人として筋が通っているよ。お前、話をしてみてどう思った?」
「そりゃまあ、人物としては信用できる方だと」
「だからこそ、怒りを覚えないのではないのかな」
本当にそうだろうか。ミハイルは改めて思った。
宇宙に上がるまで、スペースノイドと聞くだけで憎しみを覚えていた自分が、当事者を前に驚くほど平静でいられた。それがどうにも不審でならない。ひょっとすると自分は……。
「組織を憎んで人を憎まず。それで良いじゃないか」
傍らのパウエルが言った。顔を見るまでもなく、苦笑しているのが判る。
「お前がどう思おうが勝手だが、機体を任せるからには存分に戦ってもらわんと困るぞ」
「それは、十分承知しています」
「あまり悩みすぎるなよ」
無意識に口を尖らせたミハイルの肩口を軽く小突くと、パウエルは流れていった。
「組織を憎んで人を憎まず、か……」
微かな嘆息と共に呟くミハイルは、首にかけたお守りを手繰り寄せた。無重力に躍る小さな木彫りのブーメランを左手に取り、見つめる。
「それで良いんだよな。メイ」
あるはずのない返事をしばし待って、ブーメランを船窓にかざす。ランチの光を見送る彼女は、穏やかに佇んでいた。
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