若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

14.休息

 傷んだ船体の補修を受けるべく、ヨークトンは接収間もないソロモン――今はコンペイトウと改称――に入港した。設備がまだ完全には稼働できないこともあり、応急処置レベルの修繕メニューではあったが、チェンバロ作戦以前より戦場にあったヨークトンにしてみれば、船体を休ませられる分だけありがたいというものだ。
 それはクルーにとっても同様である。久々に迎えたつかの間の休暇を、彼らは思い思いの方法で過ごしていた。

「どうだ?」
 歓声に湧くモビルスーツデッキ。幹部ミーティングより戻ったパウエルは、両腕を軽く組んで輪の中心を見つめているヤンに尋ねた。
「こちらが優勢ですよ」
 ヤンはにっと笑って、手書きのスコアボードを顎で指す。
「三点リードか」
「もう一点、入りますぜ」
 ヤンの言葉にパウエルが視線を戻すと、アルバートからの絶妙なパスを受け取ったミハイルが、ボールを相手ゴールに押し込むところだった。パイロットチームのゴールを守るモニカが、両手を上げて喜びを露わにする。
 ヨークトンのモビルスーツデッキでは、左舷側ハッチ前のスペースを利用してスリーオンスリーが催されていた。ミハイル、アルバート、モニカのパイロット若手三人組と、整備員ロドニー・マコーミック率いるメカニックチームの対戦である。
 無重力に等しい空間で行われるそれは、手足を使って運んだサッカーボールを相手ゴールに押し込むだけの、ごくシンプルな競技だ。場外という概念はなく、天井すらも足場となることから、おのずと立体的なプレーが展開される。
 相手の体に直接触れることを禁じた他は、特別定まったルールもない。ボールとネットさえあれば楽しめることもあり、艦内レクリエーションとしてはポピュラーな存在だった。
「ミハイルのやつ、様になってるじゃないか」
「若いですからね」
 慣れるのが早い、ということだろう。ヤンの言葉に頷くパウエル。
 無重力空間で自在に体を動かすには、相応のスキルを要する。スポーツともなればなおさらだ。宇宙に上がって半月ほどで、生粋のスペースノイド相手に互角に張り合えるミハイルは、たいしたものだった。
 天井や床、モビルスーツの装甲を利用して巧みにボールを持ち替えるミハイル。ハイスクール時代にバスケットボールの経験があるとのことだったが、それをここまで活かせるのは、本人のセンスに因るところが大きいのだろう。
(宇宙に慣れているから上手い、というものでもないからな)
 ふわりと漂うようにして回されるボールの動きに、おもしろいように翻弄されるメカマンの姿を見ながらそんなことを思っていると、彼らの応援団が詰める一角から別種の歓声が上がった。
「いよー、待ってたぜ」
「我らが秘密兵器のお出ましだ」
「ほらほら、道を空けろ」
「おやおや」
 整備員達の間から現れた人物の姿に、パウエルは意外さを禁じ得ない。
「だらしないぞ、ロッド」
 脱いだ上着を傍らの整備員に渡しつつ、呆れたようにフィールドへ向かって声をかけたのは、オペレーターのコーネリア・ルースである。
「エースの見せ場作るにゃこうでもせんと」
「たく、しょうがないわね」
 喜色満面で応えるロッドに苦笑すると、ルースはシャツの袖をまくってバンドで束ねた。片手をあげて流れて来るロッドの相棒とパチリとやって、フィールドの人となる。
 彼女が戦線に加わるや否や、形勢が一変した。ミハイルとアルバートのディフェンスを難なくかわして得点を決めたルースは、次いで華麗なインターセプトからの速攻でゴールを揺らす。負けじとアルバートが一点を追加するが、ルースはすぐさま二点を返して一点差にまで詰め寄るのだった。
「やるもんだな」
「あれで在学中はフットサル部の主将を務めてましたからね」
 感嘆するパウエルの傍らで、砲術長のステファン中尉が言った。戦闘中は後部砲撃指揮所に詰めていることの多い中尉だが、ブリッジにも席があるのでルースとはそれなりに交流があるのだろう。盛んに声援を送っている。
「感心している場合ですか、隊長」
「あ?」
「部下を応援せんでどうするんです」
「ああ。すまん」
 ヤンの文句に口ではそう応えたものの、パウエルは苦笑を隠せなかった。ヤンがここまでミハイル等を応援する、本当の理由に心当たりがあるからだ。
「しかしまあ、ずいぶんと集まったものだな。盛り上がって良かったじゃないか」
 フィールドを囲むギャラリーの面々を見やって、パウエルは言った。ひときわ大きな声援とヤジを送る者の中には、見慣れぬ顔ぶれも多い。ドック入りしている他の艦船のクルーが紛れているのだろう。
「そりゃまあ、そうなんですが。……ミハイル、簡単に抜かれてんじゃねぇっ!」
「やれやれ」
 必死の形相でヤジを飛ばすヤンの姿に肩を竦めると、パウエルはステファン中尉に譲る形でその場を離れた。レート設定は不明だが、部外者が増えれば増えるほど、胴元の想定を超えた投資を行う輩も出やすくなる。下手に近くにいて、いざという時に支援を求められでもしたらたまらない。
 だいたい、軍規に照らせば博打は御法度だ。直接の上官として、トラブルが生じた際に当事者の隣に居合わせるのは、さすがにまずかった。
 パウエルは普段であれば愛機が収まっているメンテナンスベッドの支柱に背を預けた。少し離れてはいるが、ここからだとパイロットチームのゴール側よりフィールドを一望できる。
 パウエルの機体を含む三機の前期型ジムは、部分改修を受けるために搬出されていた。ヨークトンのメカマンの大半がレクリエーションに興じているのも、一つには面倒をみる機体が一時的に半減しているからである。主のいないメンテナンスベッドは人影もまばらで、静かに観戦するには最適と思えた。
「お前んところの圧勝と思ったんだがな、リチャード」
 不意に頭上から声をかけられたのは、パウエルがちょうど試合に視線を戻したタイミングだった。驚いて顔を上げると、いつ現れたのか、コートを羽織った士官が支柱に手を突いて体を止めている。
「ダニエル……?」
「久しぶりだな」
 口元に微笑を湛えた痩身の士官は、言いながら目深に被った制帽を手に取った。見覚えのある細面の顔にグレーの髪。それは紛れもなく士官学校時代の同期生、ダニエル・オーウェンであった。
「やはりダニエルか。いや、懐かしいな」
 予期せぬ旧友の姿に声を弾ませるパウエルだったが、
「おっと。これはとんだ失礼を。オーウェン少佐殿」
 襟の階級章を認めて姿勢を改めた。真新しい彼の階級章は、自身のそれより星が一つ少ない代わりに、横線が一本多い。
「よしてくれ。先だって戦時特例で昇格したばかりだ。戦争が終われば同輩だよ」
「そうか? では、遠慮はいらないな」
 苦笑するオーウェンに笑い返すと、パウエルは差し出された彼の手を固く握り返した。
「今は情報部勤めだったか。ソロモンへはどうして?」
「参謀本部付きと言えば聞こえはよいが、実態は使い走りの便利屋でね。前線嫌いの上司に代わって連絡役を仰せつかった。こいつも」
 オーウェンは襟元を指先で弾いて続けた。
「任務の都合上、体面を整えるためだけに授かったものさ」
「現場はいずこも同じ、か。苦労するな」
「お互いにな」
 階級章を肴にしみじみと言葉を交わし終えたその時、ひときわ大きな歓声がモビルスーツデッキを覆った。ルースがまたもインターセプトしたのだ。

「くっ!」
 パスコースに向かって流れていたミハイルは、咄嗟に手近のフックを掴むと両足で勢いよく壁を蹴った。ゴールを飛び出すモニカのカバーに入るが、ルースはその軌道すら読み切ったかのごとく、絶妙なコースへとシュートを放つ。
「こなくそ!」
 ミハイルは諦めなかった。両手を交互に床に突いて向きを変え、流れるボールに向かって片足を目いっぱい伸ばす。
 その気迫が伝わったか、わずかに彼のつま先に触れたボールは、ぎりぎりのところで枠外を通過していった。同時に、ゲーム終了を告げるホイッスルが高らかに鳴り響く。
「勝った……のか?」
 流れ着いた配管の一つに足を掛けるミハイルは、逆さのスコアボードを茫然と見やった。先と同じ値のままの数字が妙に遠く感じられる。
 一方、その傍らを漂うルースの方はといえば、敗北の事実をすぐさま受け入れたらしい。大きく息を吐くと、
「ナイスプレー」
 存外に爽やかな表情で、ミハイルに向かって右手を差し出す。
「……ありがとう」
 素直にそれを受けたミハイルは、握った手の温もりにようやく勝利を実感するのだった。
「あんたの評価を見直さないとね」
「それは光栄だな」
 冗談とも本気ともつかないルースの言葉に軽く応えると、ミハイルは素朴な疑問を口にした。
「でも、どうしてメカニックチームの切り札なんだ?」
「そりゃあ……」
「そりゃあ?」
「パイロットじゃないから、私」
 一呼吸おいて返された、当然といえば当然の答えに、呆気にとられるミハイル。もっとも、沈黙は長くは続かなかった。
「ミハイルーっ!」
「わっ?!」
 勢いよく飛び込んできたモニカが、ミハイルの手を取ってくるくると回りだす。
「やったねミハイル。勝った勝った。遂に勝った」
「ちょ、ちょっと!? モニカ?」
「念願の初勝利なんだから、もっと喜んでよ。コーネリア、ハンデ戦でも勝ちは勝ちだからね」
「……解ってるわよ」
「へへ。さあ、早いとこ礼して締めちゃいましょう!」
「ずいぶんと元気なお嬢さんだな」
 二人の手を引いてセンターサークルへと流れるモニカの姿に、オーウェンは失笑した。
「うちのムードメーカーさ。元気過ぎて困るくらいでね」
「良いことじゃないか。一緒にいる若いのも義勇軍か?」
「いや、ミハイルは俺と共にジャブローから上がった口だ」
「それであの動きか。やるもんだな」
「適応力に秀でている。見所があるよ、あいつは」
 正直なミハイル評を口にすると、パウエルは話題を変えた。
「それより、わざわざ顔を出してくれたのはどういう風の吹き回しなんだ?」
「これは非公開の情報なんだが……」
 途端に声を潜めるオーウェン。何事かと顔を寄せるパウエル。慎重に辺りを窺うと、一呼吸置いてオーウェンは続けた。
「基地内の士官用パブがプレオープンを迎える。今宵は接収したての上物がよりどりみどり」
「……?!」
「さる部隊が偶然、ジオンの将官向けと思しき保管庫を見つけてな。上の取り分ばかり増えるのはつまらんと、プレオープンの名目で早々に処分しちまうことになった。偉いさん方の目に触れる前に」
「そりゃまた……大丈夫なのか?」
「抜かりはないさ」
 ニヤリと笑みを浮かべたオーウェンは、
「久しぶりに二人で飲るのも一興かと思ってな。今夜は暇なんだろう?」
 声のトーンを戻して言った。こちらに流れ来るヤンの姿に気づいたからだ。
「少佐殿、こんな所におられましたか」
 そうとは知らぬヤンは、オーウェンに向かっていささか大仰な敬礼をしてみせた。答礼するオーウェンに恭しく紙幣の束を差し出す。
「本日の配当であります」
「ありがとう」
「また機会がありましたらご贔屓に。では、失礼いたします」
 呆気にとられるパウエルにウインクをして寄越すと、ヤンは今度は模範的な敬礼を残して、次なる勝者の元へと流れて行った。
「……お前、いつの間に」
「アンテナは常に張り巡らせておく性分でね」
 戦利品をこともなげに懐へと収めるオーウェン。口元に浮かぶ会心の笑みは、前線の武官とは別種の強かさに満ちていた。
「勝たせてもらった礼だ。今宵はおごるよ」

「やるなぁ」
 思わず鳴らしたミハイルの口笛がリラクゼーションルームを伝う。コーネリアのことだ。
「見てる方はひやひやもんだったけどな」
「でも、勝ったんだろう?」
「そりゃもう、終始圧倒してあっさりと」
「元フットサル部主将の経歴は伊達じゃない、てことか」
 再びの感嘆の音色が口を突く。新兵訓練時の彼女の武勇伝は、ミハイルの想像を超えていた。
「パイロット適性がなかったのはつくづく残念だな」
「負かされた側も同じことを言っていたよ。でもまあ、そのおかげで今日みたいな試合が成り立つんだから、結果的には良かったのかもしれないな。休みの度に勝負を挑まれたコーネリアにしてみれば、たまったもんじゃなかったろうけど」
 苦笑まじりに肩をすくめるアルバート。
「ちなみに、相手方にコーネリアが入った試合で勝ったの、これが初めてだからな」
「モニカもそんなこと言ってたっけ。てことは、もし入るのがあと五分早かったら……」
 二人はどちらともなく顔を見合わせると、手にしたビールを揃って飲み干した。シャワー後の火照った身体に染み渡るアルコールが、今更ながらに安堵感を連れてくる。
「あっぶねー」
「ヤンさんのプレッシャー、ただ事じゃなかったからな」
「欲張って集め過ぎなんだよ。レート設定ミスってたんじゃないか」
 試合開始直前の、二人に発破をかけたヤンの表情が思い出される。ヤンがパイロットチームにそれなりに投じたであろうことは、あえて訊くまでもなく明らかだったが、勝利を重ねて迫る姿はどうにも不自然であった。
「負けたら足が出たとか?」
「損失補填を求められてたらと思うとぞっとしないなぁ」
 少なくとも、延々と恨み言を連ねられたのは間違いないだろう。こうして勝ってしまえば笑い話でしかないが……。
「ま、勝負はともかく、久しぶりにできて良かったよ。モニカも良い気分転換になったようだし。こればかりはミハイルに感謝だな」
 しみじみと続けたアルバートの言葉に、ミハイルは首を傾げた。
「……そうなのか?」
「元々、義勇軍の仲間内でやってたことだからね。三人揃わないとできないだろ?」
「あ、いや、そういうことではなく」
 瞬間、きょとんと見返すアルバートだったが、ミハイルの言わんとしたいことにすぐ気付いたらしく、「ああ」と小さくこぼすと、頭を軽く振って言った。
「見かけほど強くないよ、モニカは。俺はほら、先に全部吐き出しちまったからあれだけど、体動かすと気分も晴れるだろう?」
 そう言われては肯くしかないミハイルだったが、正直なところ、いまいちぴんと来なかった。ストレスの極致ともいうべき実戦の日々を過ごしているわけだが、日頃笑顔を絶やさないモニカに限って言えば、上手く対処できているものと信じて疑わなかったからだ。
「お、噂をすれば」
 アルバートの声に釣られて視線を向けると、ドリンクを手にしたモニカがほくほく顔で流れてくる。ミハイルの屈託すら吹き飛ばすような、はち切れんばかりの笑みを浮かべて。
「二人とも、改めてお疲れー!」
「コーネリアは?」
「悔しいから部屋に戻って仮眠ふてねするって。はい、本日の戦利品」
 言って、モニカはポケットからグラノーラバーを出した。負けた方が一人一本ずつ勝者へ進呈する。それが、今回の当事者同士のルールである。
「早いな。コーネリアのやつ、早々に集めたのか」
「借金は嫌いだから、尻叩いて持って来させたんだって」
 髪を揺らして笑うモニカ。柑橘系の甘い香りが、ミハイルの鼻先をほのかにくすぐった。

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