若き鷹の羽ばたき

作:澄川 櫂

15.遠征序曲

 バックパック脇に据えられたバズーカがスライドし、肩口に砲撃姿勢を整える。リックドムを正面に捉えるや、躊躇なくトリガーを押し込むヤン。フルオートで放たれる砲弾が、敵機の背にする岩塊に炸裂して瓦礫を散らし、相手の機動を鈍らせた。
「こりゃあいい」
 整備したロッド曰く、無照準で連射するしか能の無い、キャノン砲の代用と呼ぶにはあまりにお粗末な代物とのことだったが、こうして牽制に用いるには充分過ぎた。何より、正面に敵影を捉えて叩き込むだけのシンプルさが心地よい。シールドで敵の銃弾を受けつつ、時折右手のマシンガンを絡めて銃砲火を浴びせるヤンのジムは、リックドムの足止めを完璧に果たした。
 ビームがドムの右手を吹き飛ばした直後、横合いより飛び込むミハイル機が敵機を岩塊へと押し付けた。サーベルで左腕を斬って落とし、次いで切っ先を頭部に突き立てる。
「まだ、やるのか?」
 ミハイルの問いに沈黙で応える敵機。だが、胸元のビーム砲をシールドの突端で叩き潰されると、遂に観念して投降を示すサインを放った。僅かに身を引いてビームガンをコクピットへ向けるミハイル機の肩越しに、ハッチを開けて両手を上げるパイロットスーツが見える。
「鎮圧完了」
「よくやった」
 ミハイルの報告とリーの労いの言葉が無線を伝った。ミノフスキー粒子濃度が低いこともあって、それらの声は実に明瞭だ。
「あと三分でコンペイトウのパトロール艦が合流する。彼らへ引き継ぐまで気を緩めるなよ」
「了解」
 そのやりとりを耳にしながら、ヤンはバイザーを上げた。ひとつ深呼吸をしてバイザーを戻しつつ、「了解」と応えて機を動かす。
 適当な距離をとって今し方の戦闘宙域を俯瞰する。先に投降したムサイ級とそのブリッジ上に陣取るリー機を視認。異常なし。軽く旋回。センサーにも不審な反応はなし。
 そうしてパトロール艦の進入予定方位に目をやると、ようやくそれらしい光を捉えた。
「来ました。ジムとサラミス級。識別信号確認。友軍です」
「こちらも確認した。ミノフスキー粒子が薄くて助かるな」
「全くで」
 敵母艦には最初から戦闘の意志がなかったのだろう。これだけクリアな戦場も思えば久しぶりだ。
 レーダーその他の在来電子機器を実質的に無効化させる物質、ミノフスキー粒子。それは宇宙時代における戦闘を有視界レベルにまで引き戻し、全高18メートルの人型兵器が格闘を演じるという、冗談さながらの事態をもたらした。
 今次大戦の緒戦におけるジオン快進撃を支えた特殊兵器群は、今や連邦軍も使用するありふれたものとなった。だが、つい半年ほど前まで戦車で地上を駆け巡っていた身には、こうして鋼の巨人の内に収まっていることに、どうにも違和感を覚えて仕方ない。
「俺も歳かね」
 一時の感傷を苦笑とともに払うと、ヤンは敵パイロットを掌に乗せてドムより離れるミハイル機に視線を戻した。合流する友軍機にパイロットを手渡ししつつ、擱座したドムの機体を引き起こすミハイル機。その挙動に遅滞はない。
「ああも手足のように扱うとは大したもんだ」
 初動を与えれば基本的にはプログラムが制御してくれるとは言え、タイミングの良し悪しはパイロットの練度とセンスに左右される。ようやくコツを掴み始めたばかりのヤンは、心底実感のこもった感嘆をこぼして帰途についた。

 ヨークトンとサスカトゥーンの二艦は、先行した第38戦隊旗艦ウィニペグ以下の本隊を追う形で航行していた。船体補修の都合上、ヨークトンのコンペイトウ出港が半日ほど遅れたためである。もっとも、それは入港当初より予定されていたことではあったが。
 次なる作戦に向けて合流ポイントへと移動する第38戦隊には、敗走した敵残存部隊の発見および無力化の任が課せられている。その意味において、ヨークトンの出港遅れはむしろ望ましいとも言えた。現に、先行するブランドンより敵艦発見の報を受けたヨークトンは、難なくこれを捕捉している。
 そして、遠征軍全体のタイムスケジュールで言えば、ヨークトンの現状の遅れなど誤差に過ぎなかった。ヨークトンは特に急ぐでもなく、修正タイムテーブルに沿って淡々と航行を続けている。それだけ大きな作戦に彼らは組み込まれていた。
「何とも呆気なかったな」
 B小隊帰投後のブリーフィングで一通りの報告を受けたパウエルは、正直な感想を口にした。先発隊がいよいよジオンの制宙圏へと侵入するタイミングでの一報だっただけに、本格的な戦闘になることを覚悟していたのだが、拍子抜けも良いところである。それが顔にも出ていたからか、リーが微笑交じりに続けた。
「エンジンが補修不能と判った時点で降伏に決したと、敵の艦長殿は仰ってましたよ。このまま負け戦を続けてザビ家に殉ずるのは、若き兵達を思うと忍びないと」
「彼らも馬鹿ではなかったわけか」
「でも、一機、抵抗したじゃないですか」
 モニカが口を挟むと、リーは肩をすくめて見せた。
「たまたま回収した親衛隊の所属機で、連中も扱いあぐねていたそうだ」
「ザビ家に忠誠を誓う狂人、か」
「そうなのか?」
「さあ」
 ヤンの言葉を受けて尋ねたアルバートに、ミハイルは首を傾げた。大した会話をしたわけではないから、捕らえたパイロットの人となりなど知りようもない。が、自分に注目するパウエルの視線に気付いて、私感を述べる。
「ただ、バーンシュタイン少佐とは別種の、意志の強さは感じました」
「“グリズリー”か……」
 ミハイルの口を突いて出た敵士官の名に、パウエルはコンペイトウで酒を酌み交わした際の、オーウェンとの会話を思い出していた。

「“グリズリー”を捕らえたそうじゃないか」
 オーウェンがそう切り出したのは、上物のスコッチを片手に最奥の丸テーブルへと収まり、グラスを合わせて差し障りのない話題で一通り旧交を温めた後のことだ。
「さすがに耳が早いな」
 情報士官の問い掛けに一瞬身構えるパウエルだったが、
「我々世代には感慨深い名前だからな。気にもなるさ」
 と続けた彼の言葉に、納得して緊張を解いた。ダニエル・オーウェンは開戦の前年まで宇宙軍にいた経歴を持つ。訓練中の事故で目を痛めてパイロットを引退して以来、ルナツーで作戦立案に従事していたが、その分析能力の高さを買われて情報部へ引き抜かれたと聞いた。
「ミハイルとアルバートの殊勲だよ」
 グラスを回しながらパウエルは口を開いた。
「俺自身は直接刃を交えることはなかったが、強豪ぶりをまざまざと見せつけられた。味方の損害に関しては、お前の方が詳しいんじゃないのか?」
「往年の要注意人物に相応しい被害規模だな。ただ、実のところ、上層部は彼の使い所に頭を悩ませていてね」
「うん……?」
「開戦前からの情報統制の甲斐あって、一般的な知名度はさほどでもないからな。肝心のジオンの側でも、ルウム以降は動静がほとんど報じられていない。小物とまでは言わないが、プロパガンダ面での価値は低い」
「……ドズル・ザビを討ち取ったことに比べれば、些細な戦果に過ぎんか」
「そういうことだ」
 言ってスコッチを口に含んだオーウェンは、パウエルのぼやきに近い声のトーンを宥めるように続けた。
「まあ、サイド2ハッテ義勇軍の活躍を讃えるショートフィルムには間違いなく名前が出るんだろうが、仮にそれが作られるとしても、今少し先の話だな」
 ハッテの若きエース、故郷の仇を討つ。そんなフレーズがパウエルの脳裏を横切った。ジオンを牛耳るザビ家三男の戦死がなければ、“グリズリー”の件は一般受けの良い美談に仕立てられ、大々的に報じられたかもしれない。アルバート本人の意向とは無関係に。嘆息してグラスを傾けるパウエル。喉を伝うスコッチがどことなく苦い。
 パウエルの心情を察したのか、オーウェンは黙した。口止めの振る舞いに酔いしれる兵達の声が、壁伝いに微かに聞こえてくる。士官用パブには他にも客が居たが、プレオープンには限られた人間しか招かれていないこともあって、静かだった。
「ところで、ソロモンを戦ってどう思った?」
 パウエルの手にするグラス内で、溶け落ちた氷が乾いた音色を奏でたのをきっかけに、オーウェンは話題を変えた。
「どう、とは?」
「手応え、とでもいうのかな。戦場の印象が知りたい」
 世間話と言うには真剣すぎる眼差しで重ねて尋ねたオーウェンの様子に、パウエルは少し考えてから応えた。
「さて。俺たちは後方に詰めていたからな。例の巨大モビルアーマーも見ていないし。訊きたいことはなんとなく解るが、とても参考になるとは……」
「——すまん、質問を変えよう」
 オーウェンが苦笑を浮かべたのは、たとえ非公式の場であってもパウエルとしてはそう答えるしかないと気付いたからだろう。ぐっと顔を近づけると小声で続ける。
「先頃、ジオンの側でもビームライフルの量産化に成功し、新型機と共に配備が始まったとの情報がある。それらしい機体を目にしたか?」
「……いや、知らないな」
 パウエルは辛うじて平静を保った。
「“グリズリー”が使用したビーム兵器も、エネルギー源を別に必要とするタイプと聞いた。……本当なのか?」
 連邦軍の主力モビルスーツであるジムは決して優れた機体ではない。だが、ビームスプレーガンという短射程ながらも威力の高いビーム兵器を装備することで、基本性能で勝るジオン軍のモビルスーツに対し比較的優位に立っている。その前提が崩れたとき、果たして戦線はどう変化するのか。勝敗は武器の良し悪しによってのみ決まるものではないが、一撃でモビルスーツを破壊できる代物を敵方が量産することのインパクトは計り知れないだろう。
 戦慄を帯びたパウエルの問いに、オーウェンは無言で頷いてみせた。
「なんともな」
「ただ、現時点において、そうした機体の目撃報告はソロモン戦のいずれの戦区からも上がっていない。生産に手間取っているのか、あるいは——」
「温存した、か」
「ああ。あえてソロモンを見殺しにした可能性だって考えられる」
「おいおい、まさか」
「例えばの話さ。ザビ家不仲の噂は、お前も耳にしたことがあるだろう?」
「だが、拠点を失ってまでするようなことか?」
「お偉方の考えることだからな」
 無表情に応じてグラスを口元に運ぶオーウェン。
「戦後を見据えた駆け引き、てのは、時に前線の状況とは無関係に行われる。連邦とジオン。組織は違っても、その辺は似たようなものだろうよ」
 諦観じみた口調で静かに続けると、一気にあおってグラスを空にする。再びの沈黙。
 オーウェンが手にした瓶を軽く傾けて見せた。頷いてグラスに受けるパウエル。自分のグラスにもダブルで注いだオーウェンは、残りわずかとなった瓶をテーブルに戻したところで、長く息を吐いた。
「勝ちに浮かれて謀略を巡らせば、いずれ足元をすくわれる。切り札とは、常に隠し持つものだ。あらゆる可能性を検討し尽くしてもなお、防げるとは限らないというのに」
「……何か情報があるのか?」
 パウエルのその問いには、オーウェンは答えなかった。無言で回すグラスをしばし見つめる。そうして一口つけると、別のことを言った。
「お前も、次は前方へ出るのだろう?」
「恐らくそうなるだろうな」
「そうか……」
 小さくこぼしてグラスを置くオーウェンの横顔には、明らかに迷いの色があった。だが、結局のところ彼は何を明かすでもなく、ただ一言、「幸運を祈る」とだけ口にして、その話題を切り上げたのだった。

 あのとき、オーウェンは何を迷っていたのか。参謀本部付きの情報士官は何を知っていたのか。
 あのまま夜通し飲み明かしていれば、その片鱗なりを窺い知ることはできたかもしれない。だが、程なくして生じた揺れをきっかけにオーウェンは呼び戻され、パウエルもまた、帰隊を余儀なくされた。コンペイトウが敵の奇襲を受けたためだ。
 結果として、機体半減中の第117MS中隊にまで出撃要請がかかるほどの大事に至らなかったことは幸いだが、事後に幾ばくかの情報を寄越したメールの文面は簡潔極まりなく、オーウェンの迷いの元を測る術はもはやない。
「どうかしましたか?」
 ミハイルの声に、パウエルはつかの間の思索を中断した。オーウェンの寄越した情報から、差し障りのないものを選んで応える。
「バーンシュタインは地球へ移送されるそうだ」
「地球へ?」
 とはアルバート。
「捕虜を長期に渡って収容するとなると、コンペイトウでも手狭だからな。それに、宇宙では酸素の問題がある。バーンシュタインに限らず、捕虜はいずれ地球へ降りることになるよ」
 彼の言外の問いが分かればこそ、パウエルはそう続けた。もっとも、拠点としてのスペースコロニーが事実上壊滅している現状では、移送先は概ね地球に限られることから、パウエルの言葉に嘘はない。
 だが、移送の順番に関して言えば、多分に恣意的だった。バーンシュタインが第一陣に含まれたのは、かつてスペースノイドの英雄と称えられた経歴故のことだ。オーウェンからのメールには、"グリズリー"が手駒としての価値を認められたとあった。きっかけさえあれば、サイド1の灰色熊グリズリー・オブ・ザーンを見世物にするつもりが軍にはあるのだろう。
「はあ」
 真偽を測るようにパウエルの瞳を見つめるアルバートだったが、それ以上続けることはなかった。いくら問いを重ねたところで詮無いことと悟ったのだろう。目線を離して何事か思案する横顔には、納得の色は薄かった。
「それより、我らが次の目標はどこなんです?」
 そんな微妙な空気を察してか、ヤンが話題を変えた。
「残念ながら俺にも判らん」
 いささかほっとしながら応えるパウエル。脳裏に浮かんだ近い将来にあるかもしれない広報映像を意識の外へと追いやる。
「順当に行けば月かア・バオア・クーなんだろうが、艦長も集結ポイントしか知らされていないらしくてな」
「今度もまた厳重ですなぁ」
「いずれ敵本国を攻めようと言うんだ。厳重にもなるさ」
 パウエルは腕の時計を見やった。集結ポイント到達予定時刻まであと二時間。そろそろ何かしら情報が回ってくる頃だろう。
「ブリッジに探りを入れてくる。しばらく任せるぞ」
「はっ」
「了解しました」
 待機任務をアルバートとモニカに託してブリッジに上がると、ちょうど戦隊旗艦のウィニペグとレーザー通信が繋がっていた。ガーランド艦長の肩越しに、モニターに映るドゥアー大佐の姿が見える。時折ノイズが混じるものの、映像音声共に良好だ。
 二人のやりとりに耳をそばだてつつ、パウエルはオペレーター席のルースに寄って声をかけた。
「ご苦労さん。何か判ったか」
 傍目には不明瞭な問いだが、コンペイトウを発ってから幾度となく尋ねていただけに、ルースにはきちんと通じた。
「残念ながら、中尉の知りたいことはまだ」
「そうか……」
 正面モニターを気にするパウエルに、ルースが小声で続ける。
「司令もまだ知らされていないそうですよ。なんでもジオンの特使受け入れの関係で、通達が遅れてるとか」
「特使?」
 パウエルは首を傾げた。敵主力艦隊が集結しつつある宙域に、しかもこのタイミングで派遣されてくる特使とは、いったいいかなる目的によるものなのか。今さら和平でもあるまいし。
「なんにせよ、今回の作戦では、我々は最前線の一角を務めることになる」
 パウエルの思考をドゥアー大佐の声が遮った。最前線、という単語に耳聡く反応したのだが、
「教授の手腕に期待しますよ」
 微笑を浮かべて続けた大佐の言葉は、用件が済んだことを示していた。ガーランドが苦笑混じりに応える。
「教授、というのはやめてもらえますかな。退任してもう、随分になる」
「いやいや、中佐はモビルスーツ運用の先駆者です。学ぶべきことは多い。いかに数を揃えようとも、それだけでは――」
 そのドゥアー大佐の声が唐突に途切れるのと、ヨークトンの左手を冷たい光芒が駆け抜けたのは、ほとんど同時だった。
「何事だ⁈」
 反射的に目を庇うガーランド。パウエルもまた、片腕で顔を覆いながら、声もなく左舷を見やる。
「本隊の信号、消失……?」
 ルースの困惑とウィニペグを懸命に呼び出す通信士の声が、静まり返ったブリッジを伝う。程なく光は去り、視界の戻った艦の前方には、明らかに爆発のそれと判る小さな火球が幾重に、しかし侘しく瞬いていた。
 時に宇宙暦0079年12月30日21時05分――。

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