魂の還るところ 〜Return to the Earth〜 ゆりかごの記憶
作:澄川 櫂
8.砂丘の地
「どうだ?」
アントニーの問いに頭を振ると、クレメンスは続けた。
「もっと設備の整ったところへ移すことを提案するわ」
「せめてエアコンが安定していれば、まだ違ったんだろうが……」
メリルが恨めしげに天井を見やる。ゲリラが使うには上等すぎる建物だが、電力供給が安定しないのでは、自慢の空調設備も宝の持ち腐れ。自家発電設備はあるものの、医療および通信機器の維持、食糧保存に回す分を差し引けば、あとはもう微々たるものだ。
「地球の環境は時として地球育ちにも過酷だな」
「黒海とサハラとでは気候が違う。大人でも慣れるのに時間がかかるんだ。子供の身には辛いだろう」
「やはり、アフリカへ渡る前に置いてくるべきだったか」
「本人たっての希望なのだから、今更言ったところで詮無いだろう?」
「……そうだな」
メリルの言葉に頷くと、窓の外へと視線をやる。それなりに緑地化の進んだ地域と言っても、彼女の故郷に比べれば高が知れていた。
——絶対に嫌! ハリエットとどこまでも一緒に行くんだから‼︎
いやでも視界に入る砂丘を見るともなしに眺めながら、あの時のホリーを思い出す。幼い子供達の良きお姉さんとして、日頃にこやかな彼女が、あの日に限って強情だった。聞き分けの良い子とばかり思っていただけに、アントニーはもちろん、ハリエットらゲリラの大人達ですら、なす術がなかったほどだ。
最終的に少佐の一存で同行を認められたホリーだが、本当のところは少佐の側にようとしたのかもしれない。タバコを咥えるメリルを見やりながらそう思う。
オデッサからの逃避行の最中、奇跡的に味方の補給部隊と合流した際に受け取った手紙を一読した少佐は、動揺を隠せなかった。天を仰いで手紙を握りつぶし、一同に背を向け愛機に歩み寄る。その落ち込みようたるや、実に数日間に渡って精彩を欠いたほどだ。
後に知ったことだが、あの手紙は少佐の一人娘が病気で他界したことを知らせる、本国からの便りであった。満月の夜、人知れず拳を握り締めて咽び泣く少佐の姿を目にしたというホリー。思えばあの頃から、彼女はハリエットと共に、少佐の近くにいることが多くなった。
「少佐の娘さんが生きていれば、ちょうど同い年だったか」
「ああ」
「……どうにも良くないな」
メリルが表情を曇らせる。ホリーの同道で持ち直した少佐の反動が気になるのだろう。
「コロニーの環境はそんなに良いのか?」
「少なくとも、ここで冷房を効かせるよりは快適だな。空気代と電気代のどちらが高く付くか、微妙ではあるが」
彼の問いにそう答えて天井を見上げる。スペースコロニーを離れてはや四年。酸素の心配だけはない地球と、高い税金と引き換えに気候変動とは無縁の生活を得られるコロニー。どちらが良いかと問われると、正直なところ答えに悩む。
戦時下であれば逃げ場の多い地球の方がまだマシだが、この頃のように幾らか情勢が落ち着いていれば、宇宙——例えば月というのはありかもしれない。
「教授の言にも一理あり、か……」
彼らと行動を共にしている医師のカルヴァンは、近頃しきりに宇宙へ上がることを主張していた。管理された環境で過ごすことがホリーの病に一番効く、との理由で。そして、自分にはその伝手があると。
ディック・カルヴァンは元々、連邦の政府系医療研究機関で医師者達を束ねていた男だ。大戦中にジャガー隊へ投降して協力を申し出、戦後もそのまま、今日に至るまで行動を共にしている。医療技術に長けており、衛生部隊の能力向上に随分と貢献してくれた。
自らを護るはずの駐屯部隊が真っ先に逃げ出した。その事実が、彼に連邦軍と距離を取る選択をさせたらしい。
「ホリーのこともある。医者は必要だろう?」
戦争がジオンの敗北に決し、ジャガーより放免の意思を伝えた際の返答がそれだった。事実、この頃からホリーは体調を崩しがちで、助教のクレメンスらと残ってくれたのはありがたかった。入手の難しい医薬品をどこからか調達しては、惜しげもなく処方してくれる。これほど心強いものはない。
もちろん、その行為が元で連邦軍に所在を知られる懸念はある。だが、ジャガー隊に追っ手がかかることは、終ぞなかった。
今にして思えば、それが油断につながったのだろう。カルヴァンの企みに気付いたのは、宇宙に上がる直前の0085年。アフリカでの会話から、実に二年の時が過ぎていた……。
「少佐……⁉︎」
「隊長、何を!」
銃口を向けるジェラルド・ジャガーの姿に、メリルとアントニーは驚愕し、動揺した。咄嗟にホルスターへ手を添えたものの、その先の動作が続かない。少佐は二人の行手を阻むようにして、立ち位置を変えると言った。
「こうでもしなければ彼女は助からん。お前らだって、なんとしてもホリーを助けたいはずだ。違うか?」
「軍の研究機関へ連れて行くことの意味が解って仰ってるんですか」
「もちろん承知している」
メリルの問いに平然と答えるジャガーは、だが、アントニーの目には正気を失っているように見えた。
「例えモルモットにされようとも、それで命を繋げるのなら、喜んで受け入れよう」
「ではなぜ、あなたと彼らだけが同行するんです?」
拳銃を握る手に力を込めながら、アントニーは尋ねた。ホリーを大事に思う心は、ハリエットら岩窟ゲリラ達の方が何倍も強い。にも関わらず、なぜジャガーだけなのか。
「先方の出した条件だ。そうでもなければ、我らが揃って連邦の設備で宇宙へ上がれるものか」
「……あなたは」
やはり隊長はまともな精神状態ではない。アントニーはその思いを強めた。平素であれば、人質を取られて黙って従う方ではない。情緒不安定なところをつけ込まれたのだ。カルヴァンに。
「そこまでして無理に上がる必要はないでしょう?」
「オデッサへ戻る手だってある。むしろ故郷近くの方が、ホリーの体質に合っているかもしれない」
アントニーの言葉にメリルが続ける。地上の監視は厳しいようでいて実は緩い。都市部でなければどうとでもなる。
「戦で汚染された土地へ戻せだと? 」
敗走以来の経験でそのことをよく知るはずの少佐は、だが、険悪な視線を返すばかりだった。平素であれば浮かべることのない嘲笑を口元に湛えて。
「地球生まれは言うことが……」
その時、段差に乗り上げたストレッチャーが盛大な物音を立てた。同時に鳴り響く発砲音。反射的に撃ち返してしまったメリルの跳弾が、ジャガーの首筋を貫く。
血飛沫を散らしながら崩れ落ちるジャガー。呆然と見つめるばかりのメリル。そんな彼の肩に手を置くカルヴァンは、冷笑を浮かべて言うのだった。
「おやおや。君に手柄を横取りする気概があるとは思わなかったよ。やるじゃないか」
ぐいと腕を引いて促すと、愕然たる表情で立ち尽くすばかりのクレメンスを急かしてハッチの向こうへ姿を消す。
「定刻十五分前です。乗客の皆様、お急ぎください」
そのアナウンスが、茫然自失だったアントニーを我に返した。反対側のハッチを出て戸を閉めると、ロックを掛けて電子パネルを撃ち抜く。これでしばらく時間を稼げるはずだ。
「あんた一人かい? メリルはどうしたんだ。ジャガーはなんて?」
搭乗口で待っていたハリエットが怪訝な顔をする。
「……隊長は死んだ。やつは来ない。止められる前に発つぞ」
努めて冷静さを保ちつつ、彼女を急かす。やがて二機のシャトルは、各々の方角へ向けてガルダから放たれた——。
「全ては偶然の産物だ。事の発端から今に至るまで、メリルと示し合わせて行動したことはない。ただ、あいつの流す情報と資材の意味を咀嚼し、行動に移してきただけのこと」
そこで言葉を区切って大きく息を吐くと、アントニーは自嘲気味に回想を締め括るのだった。
「もっと早くにケリをつけるつもりでいたが、気付けば二十年近い歳月が流れていたよ」
「……これ以上、ここで手伝えることはないなぁ。申し訳ないけど、僕はそろそろお暇させてもらうよ」
沈黙を破ったのはコロノフだった。
「ケビンさん?」
「今の話が本当なら、既にここの座標が知られてても不思議じゃないからね」
「十五年前の機体とはいえ、コアファイターはそう簡単に流せるものじゃない。動画を隠した手法にしたって、その道に詳しいエンジニアの協力がなければ無理だ」
続けたイアンの言葉に頷くと、
「周囲を欺くための表向きの理由が、よほどしっかりしてるんだよ。たとえこちらが失敗しても、先方にはなんら影響がないほどに。ね?」
最後はアントニーを向いて言った。
「だろうな」
「おやじ……?」
あっさり同意する養父の姿に、思わず不安げな視線を送るコレット。だが、彼女と目の合ったコロノフは、申し訳なさそうに頭を掻くばかり。
「悪いね。こう見えて他に守らないとならないもんがいろいろあるんだ」
「いや、メッセージを取り出してくれただけでも助かった。礼を言う。データーは……」
「指定の媒体に複製して消すよ。イアンさんと副長さんに立ち会ってもらえば良いかな?」
「そうしてくれ。イアン、頼めるか?」
「ああ」
肩をすくめて応えるイアン。艦長室を辞する二人を追うコレットは、一瞬だけアントニーを振り向いてから、扉の向こうに姿を消した。
「驚かないんだな」
ハリエットと二人だけになったところで、アントニーは彼女を向いて言った。
「そんなことだろうと思っていたからね」
「いつから?」
「宇宙へ上がるシャトルの中。あんたやメリルがあの人を裏切るはずがない。しばらく様子のおかしかったことを思えば、原因はあの人にあったんだろう、と……」
「そうか……。黙っていて済まなかった」
「よしとくれよ」
頭を下げるアントニーに苦笑するハリエット。
「あの子が、ホリーがそんなにも愛されていただなんて、嬉しいじゃないか。それが原因で起きたことを、誰が責められる」
「……そう言ってくれるか」
「もう十八年も前のこと。たとえ忘れられなくとも、許すことはできるだろう?」
「それができれば良かったんだろうがな」
後にハリエットは、そう言って続けたアントニーの言葉を思い出すことになる。
「あいつは自分を許すことができなかった。だから危ない橋を渡り続ける。……俺はもう長くない。せめて思いだけでも受け止めてやらねばな」
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