星のまたたく宇宙に
作:澄川 櫂
第六章 想いと現実と
小さな紙包みを下げたクラフトがコーウェル整備工場を訪れたのは、ガザCの事件から二日経った日のことであった。久しぶりに訪れた工場の作業棟は、空気の入れ換えでもしているのか、全ての窓と扉が開け放たれていた。白髪交じりの整備士がメッドの黄色い機体を整備する様子が、門のところからでもよく判る。
敷地内に足を踏み入れたクラフトは、どこからか響いてくる子供達の歓声に、思わず足を止めた。そこはかとなく匂う油の香りが、古い記憶を呼び起こす——。
クラフトにとって、ここはどこか懐かしさを覚える場所である。彼が生まれ育った町もまた、中小の工場が建ち並び、機械油や金属の擦れた匂いが漂うところであった。町中に点在する、どこからが私有地か判然としない空き地を駆けめぐり、時には廃工場に潜り込んだりして遊んだものだ。
軍属になって以来、久しく訪れていない故郷の風景に、しばし思いを馳せるクラフト。再び目にすることはないであろうその景色がもたらすものは、幼き日の良き思い出と、幾ばくかの郷愁。そして、忘れ得ぬ辛い記憶……。
「中尉さん、そんなところでどうしたね?」
しゃがれた声の呼びかけに、クラフトは我に返った。白髪交じりの整備士、イワン・コロノフが、メッドの上から無精髭の顔を向けている。
「いや……」
クラフトは苦笑すると、
「キャノピー、もう届いたんですか」
取り付け中の、半球状のパーツを見やって聞いた。ビームの擦過傷で使いもにならなくなったキャノピーの代替え品を、連邦軍が手配する約束になっていたのである。だが、一日足らずでものが届くというのは珍しい。
「ああ。しかも、タッチパネル装備の上物だ」
返ってきたコロノフの言葉に、クラフトはなるほどと思った。大方、装備品のストックを回したのだろう。船外作業に用いるワーカー類は、特殊用途向けの一部の機種を除けば、民生用のそれと基本的に変わらない。カスタマイズパーツを使用していると言っても、規格内には収まっているため、当然ながら転用可能である。
もちろん、標準品よりは高くつくだろうが、失態の及ぼす影響を最小限に食い止めるためには、対応は早ければ早いほうがよい。幸いなことに、マスコミはまだ嗅ぎ付けていないらしかった。
「軍隊ってのも、随分といい加減な対応をするもんだ。ま、こっちとしては、高機能になるぶんには文句ないがな」
言って、無精髭に埋もれた口元に笑みを浮かべるコロノフ。作業に戻るその横顔は嬉々として、まるで子供のようだ。
「どうせなら、ティレルがいるときに届いてくれると楽だったんだがなぁ。デバイスドライバだのファームだのの調整は、どうも苦手で」
「そういや、彼は?」
「カチュア嬢ちゃんとサッカーを観に行ったよ」
「ああ、チケット持ってたんですね」
何気なく合わせたクラフトだったが、内心では頭をかいていた。興味がないとはいえ、サイド2全体で盛り上がっているイベントのことを、すっかり失念していたのである。
手にした紙袋を持ち上げると、クラフトは小さく嘆息した。サイド2守備隊の本部近くで売られているアップルポテトパイは、カチュアの好物である。それで、お土産に買ってきたのだが……。
(ま、元気になったようだから良しとするか。すぐにダメになるものでもないし)
クラフトは思い直したように一人頷いた。事情聴取の際、カチュアがかなりショックを受けていた様子だったので、気にしていたのだ。サッカーを観に行く元気があるのなら、大丈夫だろう。
「ところで、マイクはいるかい?」
「社長なら事務所じゃないかな。なに、中尉さんだったら勝手に入って探してもらっても構わんよ」
コロノフのその言葉に、クラフトは再び苦笑した。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
社長室にクラフトを迎えたマイク・コーウェルは、彼に席を勧めると、デスク脇の戸棚からカップを取り出しながら言った。カップに注がれるコーヒーの香りが、白い湯気と共に部屋中に広がって行く。
事務所の一角を区切って設けられた社長室は、応接用のレザーシートが置かれた一角を除けば、実用一点張りの地味な空間であった。木目調の、さほど高価でもないデスクの上には、ペン立てにメモ帳、電話、ノートパソコン、それに使い込まれた電気スタンドが整然と並べられ、堅実で飾らないマイクの人柄を物語っている。唯一目につくインテリアと言えば、コーヒー好きの彼が社長特権を駆使して都合したと思われる、年代物のコーヒーメーカーくらいなものだ。
マイクは陶製の白いカップをクラフトの前に置くと、自分はステンレス製のマグカップを持って、軽く香りを楽しんでから口にした。クラフトもまた、存分に香りを楽しんでから口に運ぶ。マイクの煎れるコーヒーは、こだわるだけのことはあって、そこいらの喫茶店で出されるものより格段に旨い。
「さて……」
そんなクラフトの様子を満足げに見ていたマイクだったが、やがて、おもむろに口を開いた。その眼差しは、それまでとはうって変わった、厳しいものであった。
「ガザCの件、だな?」
「ご苦労」
カルノー大尉の声に、ハンドルにもたれて欠伸をしていたニコラス・マックレーは、慌てて背筋を正した。癖のある金髪の下で、さほど苦労を重ねていないとおぼしき顔が、緊張色に染まる。
が、差し出されたコーヒーショップの紙袋を目にした途端、締まりのない表情に戻ってしまうのは、若さのなせる技だろうか。そそくさと運転席を空ける姿に、カルノーも苦笑を禁じ得ない。
「そんなに飢えてたのか? ニック」
「まだ育ち盛りですからね」
チーム最若手の彼は、マスコット的な自分の立場をよく心得ていた。カルノーの揶揄に返した言葉は、先日の夕食時に行われたミーティングで、メンバーの一人アラン・フェレーロが、山盛りのトレーを運ぶ彼をからかうのに使ったものである。
憎めない奴だ。彼に替わって運転席に着くカルノーは、つくづく思うのだった。緊張感に欠けるところがあるのは確かだが、不思議と腹が立たない。自分のような人間にさえ、ニックという愛称で呼びかけさせる彼の、天性の雰囲気がそう感じさせるのだろう。
諜報に携わる人間とって、それはなによりも得難い特技であった。マックレーが有能な人材であることは、これまでの戦歴が示している。情報収集と、それを分析する能力に長けていることは、チームの誰もが認めていた。特に、対人任務での戦績が抜群に良い。
相手を油断させ、より多くの情報を引き出すためのカモフラージュは、それが自然であればあるほど効果がある。経験値不足を補って余りある彼の能力を、カルノーは高く評価していた。
「どうだ?」
「ずっとあんな調子ですよ」
ホット・サンドを頬張りながら、どこを指すでもなく答えるマックレー。マヨネーズをこぼさないよう、万全の注意を払ってかぶりつく様子を笑うと、カルノーは何気なく、右前方に目をやった。十字路を右折してすぐの、ガレージのある家の前に、二人乗りのレンタル・エレカが止まっている。その車体に人待ち顔で寄りかかっている少年が、今回の彼らのターゲットであった。
FCバーセルの、オレンジのユニフォームに身を包んだティレル・ウェインは、そわそわとどこか落ち着きがなかった。一瞬、眉をひそめるカルノーだったが、着ている服を気にする素振りに、程なく納得する。
あれは、派手な色の服を着慣れていないだけだ。同行する彼女あたりに、無理矢理着せられたに違いない。右手で頬を撫でる仕草を繰り返すのも、そこに施されたペイントを気にしてのことだろう。
「彼女の方はどうしたんだ?」
「家の中です。もうかれこれ、十五分くらい」
待たされ役の少年に同情するような口調で言うと、マックレーはコーヒーを一口すすってから、運転席脇に設置されたナビゲーション端末を叩いた。
「彼女の幼なじみの家ですね。ネッド・ハーヴェイ、十七歳。もっとも、当人は父親のボブと五日前から不在ですが」
「不在? どこへ行ったんだ?」
「月です。提出された航路計画表によると、フォン・ブラウンで積み荷を変えた後、サイド5経由で帰ることになっていますね。荷主はいずれもツイマッド重工業。サイド5〜サイド2間だけ、アナハイムの下請けをやってるハルナ精機と相乗りです」
「その口ぶりからすると、怪しいところはないんだな?」
淀みない説明にカルノーが感心しながら問うと、幾分苦い顔で頷く。
「ええ。元々はサイド5のハルナ精機だけだったのが、5日前に急遽予定を変えて出航してるんですけど、どう見てもレッドアロー号の代理ですからね」
「……」
「念のため、取引先の記録もチェックしてみましたが、それらしいものは何も」
沈黙するカルノーに構わず、マックレーは別のリストを端末に表示させる。ざっと目を通したカルノーは、「確かに」と言って頷くと、再び前方に視線を戻した。サポータールックの少年が、相変わらずオレンジ色の服を気にしている。
しばらくして、マックレーがぽつりと言った。
「あれじゃ、ただの子供ですね」
(ただの子供、か……)
その言葉を口には出さず反芻すると、カルノーはエンジンのスタータキーを捻った。ヴーンというモーターの暖まる音が低く伝わり、ステータスランプに異常のないことを示す緑色の光が灯る。
「チーフ?」
「お前の言うとおりだ、ニック」
ゆっくりと車を発進させるカルノー。
「港へ行くぞ。11バンチに先回りする」
「え? でも……」
遠ざかるティレル少年の姿を見やったマックレーは、言いかけて口をつぐんだ。彼の行動には、どう考えても裏があるとは思えない。工場を出るときに口にしていた「サッカーを観に行く」という言葉は、そのままの意味に取って問題ないと、自分でも判断するだろう。
マックレーはタッチパネルを操作すると、ターゲットのプロフィールを呼び出した。
ティレル・ウェイン。74年生まれ、サイド3出身。
一年戦争開戦の直前、祖母と共にサイド6へ亡命。科学者である両親の希望とされるが、別便でサイド3を発った彼らの消息は、この時を境に途切れたままである。
戦後、80年に政府主導のコロニー復興プロジェクトに参加する形でサイド2へと移住。86年、唯一の肉親であった祖母が他界。以後、コーウェル整備工場で働き始めるまでの、二年間の足取りは不明——。
「……実際のところ、チーフはどう思ってるんです?」
ディスプレーに打ち出される恵まれない生い立ちを黙読したマックレーは、少し間を置いてから、静かに尋ねた。その口調にどこか探るような響きが混じっているのは、未成年者を張るという今回の任務に、少なからず疑問を覚えているからだろう。
そんなマックレーの心の内を敏感に感じ取ったカルノーは、しかし、そのことに触れることなく答えた。
「あり得ない話ではないと思っているよ。ただ、あの子が積極的に関与しているとは、到底思えないがな」
「何者かに協力を強いられている、と?」
問いを重ねるマックレーに、「身寄りのない一人暮らしの子供ほど、都合の良い駒はないよ」と、にべもなく言う。
「それは、そうですが……」
言いよどんだマックレーだったが、それ以上続けなかったのは、調査部の一員として、現実の暗い一面を知っているからに他ならない。彼らが所属する地球連邦軍でさえ、可能性の発掘を名目に、人体実験に等しい研究を、身寄りのない子供を利用しながら続けてきたのである。敵が似たようなことをやっていたとして、何の不思議があるだろうか。
兵器秘匿の隠れ蓑に利用された程度であれば、まだマシな方だと思わなければならなかった。そして、願わくば、彼が詳細を知らないことを祈るばかりである。知りすぎた者は、露見する前に消されるか、捕まって廃人にされるかのどちらかだ。
「……なんだかやりきれませんね」
深い嘆息に続いて漏れたその呟きに、ハンドルを握るカルノーも表情を暗くするのであった。
幅広のサイドボードの上に、所狭しと飾られた写真達。ハーヴェイ一家の歴史を写したそれは、同時に、一人息子ネッドの成長の記録でもある。幼馴染みのカチュアにとって、こうして一同に眺めるひとときは、楽しく、時には懐かしく、しかし、なによりも悲しい時間なのであった。
年を追って流れるカチュアの視線が、いつものように、一枚の写真に辿り着いたところで止まる。カチュアとネッドを中心に、彼女の家族——両親と少し歳の離れた弟——が、お揃いのユニフォームを着て撮った記念写真。四年前の春、18バンチのクラブチームが開催したフットボール教室に、家族ぐるみで参加した際に写したものだ。
足下に転がっている球状のペットロボットも、この日はサッカーボール色にペイントされていた。カチュアの発案で、前の晩から泊まりに来ていたネッドが、弟のケビンと共に塗ったものである。フィンフィンと名付けられていたそれは、ケビンが飼い主であったが、どういうわけかカチュアに一番懐いていた。
(そのことで随分文句を言われたっけ……)
昨日のことのように思い出したカチュアの顔が、にわかにほころぶ。だが、それも一瞬だけのこと。すぐに表情が暗くなるのは、これが家族と共に写る最後の写真だからだ。
その年の冬、忘れもしない十二月七日のあの日、彼女の住んでいた18バンチコロニーは、コロニーレーザー砲に直撃されて死んだ。側壁にあいた直径二百メートルにも及ぶ大穴が、彼女の家族を、友人達を、一瞬にして宇宙の藻くずと変えたのである。
母に頼まれた届け物をしに、たまたま19バンチのマイクを訪ねていたカチュアだけが、難を逃れたのだった。運が良かったと言う人もいるが、一人残されたことを思えば、これほど不幸なことはない。その上、ティターンズによる攻撃の続いたことが、犠牲者の捜索を遅らせ、結果としてカチュアの家族は、誰一人として回収されることはなかった。
遺体と対面出来なかった、という現実感のなさが、かえって彼女を苦しめることになった。ひょっとしたら、どこかで生きているのかもしれない。そんな思いを抱くたび、寒い宇宙で凍えるケビンの姿が脳裏に浮かんだ。喉を掻きむしりながら朽ちていく父と母が、幾度となく夢に出た。悪夢に怯え、眠れない日々がどれほどあったか、当の本人すら覚えていない。
それでも、今日まで一度も18バンチに帰っていないのは、どこかに認めたくない気持ちがあるからかもしれなかった。家族がもう、この世にいないということを。
「ごめんなさい、待たせちゃって」
ネッドの母、ノーラ・ハーヴェイが居間の戸を開けたとき、家族と写る最後の写真を手にするカチュアは、俯いたまま振り向かなかった。心なし小さく思える背中が、微かに震えているようでもある。
「その写真、持って行って良いのよ?」
「いえ……」
彼女の気配に気付いていたカチュアは、特に驚くでもなく、静かに答えた。
「毎日目にするには、まだ辛いから……」
「そう……」
半分予期していた反応とはいえ、それでも表情を曇らせるノーラは、背中を向けたままのカチュアの肩にそっと手を乗せた。にわかに身を強ばらせる様子が、掌越しに伝わってくる。
(そんなに無理をしなくても良いのに——)
事件直後の落ち込みようこそ激しかったカチュアだが、伯父のマイクに引き取られることが正式に決まってからは、平静を保っているように見えた。少なくとも、ノーラが記憶する限り、人前で涙を見せたことは一度もない。だが、合同慰霊祭を毎回欠席していることを思えば、精神的に堪えていないわけがないだろう。
そう気を張りつめていては、いつか倒れるのではないかと心配に思うノーラである。せめて緊張だけでも解きほぐそうと、カチュアの肩を軽く揉む彼女は、しかし、そのことには触れずに別のことを言った。
「全く、あの子ったら、空の封筒を送るだなんて」
と、カチュアに向かって差し出したのは、本日の試合のチケットである。俯いていたカチュアも、これにはさすがに笑いを返すのであった。
「ネッドらしいですけどね」
言いながら受け取るカチュアの全身から、みるみる緊張が抜けていくのが判る。不甲斐ない我が子の失態だったが、この時ばかりは褒めてやりたかった。沈みかけたカチュアの心を、一瞬にして和ませたのだから。
もっとも、ネッドの場合、何かやらかしても結果として良い方向に転ぶことが多かった。そう言う意味では、カチュアの言う「らしい」という表現は言い得て妙である。むしろ、きっちりと物事を進める姿を想像することの方が、難しいかもしれない。
「じゃあ、気をつけて行ってきてね。ティレル君にもよろしく」
と、笑顔の戻ったカチュアを送り出すノーラ。が、「行ってきます」と手を振る背中を見送る表情は、複雑そのものである。
(彼が良い方向に持って行ってくれると良いのだけれど)
二言、三言、苦情を言っているらしいティレル少年を見ながら、ノーラは思うのだった。
彼がマイクのところで働くようになった頃から、カチュアは少しずつ自分らしさを取り戻しつつあった。もちろん、完全に元に戻ることはないだろうが、前を向いて歩き始めたように見える。息子のネッドには悪いが、それはティレルでなければ出来なかったろう。
だが、そう思えるだけに、一抹の不安を感じずにはいられないノーラである。
(……ティレル君はティレル君よ、カチュアちゃん)
フットボール教室の写真を手にしながら、彼女はそっと呟いていた。
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