星のまたたく宇宙に
作:澄川 櫂
第七章 隻眼は陰に紛れて
連邦軍の新鋭宇宙艦、イグニス・ファタスは、サッカー・スターリーグ二位攻防戦に沸き立つサイド2の喧噪から逃れるかの如く、領海内ぎりぎりの宙域に白い船体を浮かべていた。漆黒の宇宙に佇む様は、遠目には海を泳ぐ白鯨を連想させたが、整然と艦首を向く主砲の、優雅さとは無縁の無骨な姿を見れば、それが破壊のために造られた機械であることを嫌でも意識させられる。
しかし、そんな巨大な力の象徴も、鋼鉄の巨人の前には無力なのだ。RGZ-90Xのコクピットで、視界の端に母艦の姿を捉えたラディ・ジーベルトは、実弾を叩き込んでみたい衝動に駆られつつ、アームレイカーを押し込んでいた。
レーザーの光跡が後方をかすめ、敵機を示す赤い印が三つ、警告音と共に索敵ウィンドウに示される。が、それも僅かのことで、ふた呼吸ほどする間に回り込んだジーベルトは、正面に移った光点をターゲット・スコープに捉えていた。さすがに小回りがきく。散開するバーザム小隊を率いるムーア・イリアスの声が、ノイズ混じりに感嘆する。
「これでも推力はバーザム以上だぞ」
さして面白くもなさそうに応えたジーベルトがフットペダルを踏み込むと、大型ブースターパックを取り払ったゼータもどきは、軽やかに加速するのであった。
RGZ-90Xは、グリプス大戦中の名機MSZ-006の量産化検討用に試作された機体である。コストダウンを図るべく、その変形機構は大幅に簡略化された。特徴的な大型ブースターパックは、変形機構の大半を機体本体から取り去った結果である。が、それでもなお、想定される製造コストは、バーザムやRGM-89と言った一般機に比べれば、高いレベルにあった。
さらなるコストダウンを求める軍に対し、アナハイム・エレクトロニクス社はいくつかの方向性を示した。その一つがFXA-05D方式、すなわち、機体そのものはオーソドックスなものとし、オプション化したブースターパックを必要に応じて装着することで、航続距離の延長と火力増強を実現するというものだ。示された選択肢の中では、もっとも妥協した姿であるといえる。
RGZ-91として正式に採用されることが決まった機体は、このGディフェンサー方式をほぼ踏襲しているという。今、90Xが装備しているバックパックは、リ・ガズィ用に新たに開発されたもので、この模擬戦も実のところはその評価が目的だった。
左右一対のメーンノズルを備えた新型バックパックは、そのシンプルさとは裏腹に、なかなかの高性能ぶりを発揮している。ゼータ系であることを誇示するかのように残されたスタビライザーも、機動面で効果的に作用しているようだ。
回り込んだ一機を引き離すべく、上昇に転じたと見えた90Xが、跳ね上げたスタビライザーを一噴きして瞬時に向きを変える。完全に不意を突かれたバーザムの、一瞬の隙を逃さずサーベルを払うジーベルト。計測レーザーが標的の腹部切断を検知し、ディスプレイが融合炉の爆発を模した白い光に包まれる。
「……一つ」
小さくカウントするジーベルトの隻眼は、だが、その戦果を冷ややかに見つめるのであった。
吸引機の作動する微かな振動と共に、勢い良く吹き出した熱いシャワーが、意外に厚みのある胸板を叩く。首をもたげて豊かな金髪をひとしきりさらしたジーベルトは、無造作に顔を上げた。肌を突くほどよい刺激に身を任せる彼の手は、それでも、知らず知らずのうちに潰れた左眼の当たりを撫でている。
「ふん……」
その無意識の動作を鼻で笑うと、ジーベルトはシャワーを止め、頭を洗い始めるのだった。
ジーベルトの左眼が光を失ったのは、空軍のエースとして活躍を始めた頃だ。地球に降下したジオン軍を叩く四度目の出撃で、撃墜したザクの破片にキャノピーを吹き飛ばされたのである。なんとか自力で帰還したものの、傷ついた瞳は、ものを映す力を永遠に失ってた。
パイロットにとって、視界・視力の低下は死刑宣告にも等しい。ジーベルトとて例外ではなく、後方に下げられた彼に与えられた任務と言えば、フライトプランの立案や、同僚の機体整備くらいなもの。次々と還らぬ人となる戦友達を、ただ見送ることしかできない己の立場に、言いようのないもどかしさばかりが募る日々——。
そんな彼の境遇を変えたのは、皮肉なことに、同僚が次々に死んで行くという、忌まわしい現実そのものだった。モビルスーツの実用・量産化にまでこぎ着けた連邦軍であったが、戦争の長期化に伴う慢性的なパイロット不足は深刻で、次期主力兵器の試験を行うからといって、一線で活躍する人間をおいそれと引き抜くわけには行かなかったのである。
空軍の若きエースとして鳴らしたジーベルトの実績は、軍上層部の目に留まり、ジャブローに転属となった彼は、モビルスーツ乗りとして再起を果たした。テストパイロット扱いではあったが、ジャブロー防衛戦での戦功がきっかけで、ソロモン、ア・バオア・クー両拠点の攻略戦にも従軍。結果的に、連邦軍エースパイロットの一翼にその名を連ねたのだった。
第十三独立艦隊のメンバーに比べれば見る影もないが、隻眼のエースとして広報誌に紹介されるほどには、ラディ・ジーベルトの名は知られていた。戦後はそのままモビルスーツ・パイロット業を営んでいたが、ティターンズ設立時に声がかかったのも、一つにはそうした実績が評価されたからだろう。
だが、パイロットの数が足りてくるにつれ、彼を取り巻く環境は次第に変わっていった。ジオン公国の残党や反政府主義者による反乱行為が後を絶たない中、ルナツー転属を命ぜられた彼を待っていたのは、押収された数々のジオン製試作機。数年は先行すると言われたモビルスーツ技術の、最先端に位置する機体の評価が、彼に与えられた任務だった。
これが純然たる新型機の評価であれば、まだ名誉に思えたかもしれない。だが、操るのは得体の知れない敵国の試作機と、その改装機ばかり。なにより、実戦とはほど遠い模擬戦が、耐え難い屈辱のように感じられた。
——隻眼で軍功を上げた私に、遊べと言うのか?
ティターンズ麾下の機動戦術研究部隊に移籍してからは、さすがに実戦参加の機会が増えた。それは、ティターンズがジオン残党狩りを目的とした軍隊であったからだが、実験部隊という性格上、予定外の戦闘を行うことはほとんどなく、ジーベルトにしてみれば物足りない。
そして、その物足りなさこそ、まさしく彼の立場を示していたのだった。
ルナツーは、月軌道の内側に浮かぶレモン型の小惑星である。元々、資源採掘用にアステロイド・ベルトから運ばれたものであるが、サイド3におけるジオン独立運動が高まりを見せる中、地球連邦軍の手によって宇宙要塞へと変貌を遂げた。一年戦争中は連邦唯一の宇宙基地として機能し、戦後もまた、重要拠点の一つとして位置づけられている。
そのルナツーの深部、連邦軍基地司令部に併設されたティターンズ司令部へと出頭したジーベルトは、耳を疑った。
ジャマイカン・ダニンガン少佐は、開口一番、「最終選考はジャブローのメンバーだけで行われることになった」と言ったのである。その言葉の意味するところが分からないジーベルトではなかったが、彼の沈黙を意図が伝わらなかったと取った少佐は、同じ内容を、よりストレートな表現で告げるのだった。
「次期主力モビルスーツのテストパイロットは、ジャブローにて訓練中の隊員の中から選抜することになった。貴官には引き続き、機動戦術研究部隊での所定の任務を継続してもらいたい」
なぜだ、と思った。今、ジャブローで訓練を受けている隊員と言えば、士官学校を出て間もない人間がほとんどだ。訓練成績が抜群に良い人間のいることは認めるが、実戦経験は無いに等しい。言ってみれば素人にも等しい彼らが、なぜ隻眼のエースで鳴らした自分を差し置いて選ばれるのか。
だが、階級が上の人間に、面と向かってそれを言うのは愚かである。
「……納得のいく説明を頂けますか」
ジーベルトは、胸の内をかみ殺すようにして、言った。
「バスク・オム大佐の肝いりでな」
少佐も彼の無念が判るのか、小さく嘆息する。
「ティターンズの象徴たる新型ガンダムのパイロットには、地球の平安を願う純真な心が求められる。ティターンズ設立の理念を、将来を担う地球の若者達に託したい、というのが大佐の意向だ」
その言葉に、ジーベルトはただ呆れるばかりだった。
当時のティターンズは、入隊条件として「地球出身」の四字を掲げていた。地球出身者がエリート視される地球連邦軍にあって、文字通りエリート部隊であろうとしたのだ。くだらないことに拘るものだ、と思ったジーベルトだったが、士気高揚の手段としては悪くないと感じたし、また、そのように理解していた。
何事にも人が足らない時代である。実際には、両親が共に地球生まれであるか、または地球での居留経験があれば、地球出身者と見なされた。ジーベルトは片親がスペースノイドであり、生まれも厳密に言えば地球上ではないのだが、それでもティターンズの一員である。
が、一方で良からぬ噂も耳にしていた。曰く、総司令バスク・オムは純血主義である、と。それを曲げたのは組織を早期に立ち上げるためであって、ゆくゆくは純粋な地球生まれのみで固めるつもりなのだと言う。少佐の言う大佐の意向とやらが本当なら、それは黒い噂を肯定してはいないか?
——所詮は、体よく使われるだけの運命か。
そんなジーベルトの内心を察したわけではないのだろうが、ダニンガン少佐は口調を変えてさりげなく続ける。
「私個人としては、残念なことだと思っているよ。少佐のような実績ある優秀なパイロットに、新型を託せないというのは」
「……は?」
再び耳を疑うジーベルトに、ダニンガン少佐は、今度はしてやったりとでも言いたげに、にやりと笑った。
「ラディ・ジーベルト大尉は、本日ただいまをもって少佐に昇格し、機動戦術研究部隊の指揮権を掌握する。軍広報への掲載は十日後になるが、辞令は本日付で有効だ」
十日経てば月が変わる。当初の予定では、一週間後に最終選考会が行われ、その翌日には新型機のテストパイロット三名が決定することになっていた。慣例からいえば、転属辞令の交付は来月一日。形だけでも最終選考を行ったことにするのだろう。
それでいてジーベルトが今日この時点で昇格になったのは、少佐の俸給を一ヶ月多く受給させるために違いない。月の途中で昇格した場合、昇格後の俸給を受け取るためには、それが戦時昇進や二階級特進である場合を除いて、該当月の三分の一以上を昇格後の階級で務める必要がある。口止め料と言ったところか。
だが、ジーベルトの眉を曇らせたのは、それが理由ではなかった。
機動戦術研究部隊、通称232実験部隊は、単なるモビルスーツ部隊ではない。小なりとも艦艇を備え、ルナツー工廠と太いパイプを持った独自の整備班、研究班を擁する、いわば一個の独立部隊である。その最高指揮官ともなれば、規模こそ違え、戦隊司令並みの役割を求められた。つまりは……。
「——私に、パイロットを辞めろと?」
「そうは言わん。やり方はいろいろあるだろう?」
声を低くするジーベルトだったが、ダニンガン少佐は、どちらかと言えば険悪な彼の視線など、気にも留めていないようだった。
「なに、今日からは君の部隊だ。好きにするがいいさ」
意外なことをあっさり言ってのける。まるでけしかけるかのように。
当惑するジーベルトの肩を軽く叩くと、去り際にまんざらでもない口調で言い残すのだった。
「同輩として、隊の益々の発展を祈っているよ」
コックを捻る。熱い湯の雨が、髪にまとわりついた泡を洗い流して行く。
ダニンガン少佐が戦死した今となっては、彼がどういう意図であのようなことを口にしたのか、知るよしもない。
もともと、たいした付き合いがあったわけではないのだ。ティターンズ入隊式に列席した参謀の一人が、たまたまジーベルトのことを知っていて声をかけた、くらいの関係に過ぎない。その程度の仲で選考会の話を持ってきてくれたのは有り難かったが、反面、派閥争いに巻き込まれるように思えて、気が引けたのも事実である。
パイロットとしては、確かに残念な結果に終わった。が、妙なしがらみに囚われないという意味では、良かったのかもしれない。ジーベルトはそう思うことで、自身の心にケリをつけた。口止めだろうが昇進は昇進。ダニンガン少佐のお愛想共々、有り難く頂いておこう、と……。
だが、その後の軍の扱いに、ジーベルトは困惑した。なぜなら、隊の独立性が奇妙なまでに守られたからだ。
バスク色が急速に強まりつつあったティターンズの中で、232実験部隊はまるで忘れ去られたかのように存在した。司令部としての機能がグリプスに移された後も、彼らは引き続きルナツーに残り、連邦工廠とのパイプを維持した。移転に絡む大幅な組織変更も、ジーベルト以下の隊員達には全くの無縁。エゥーゴとの抗争激化に伴う喧噪も、まるで他人事のように感じられた。
とはいえ、決して冷遇されていたわけではない。特殊兵装の研究・開発と、その実証検証に関して言えば、制約などというものは存在しなかった。電磁ワイヤーネットのような、いっそ滑稽とも思える兵器が正式採用にまで至ったのも、自由度の高い部隊の性格が影響したと言えるだろう。
設立の経緯上、ルナツー工廠との結びつきが強い232実験部隊だったが、ゼダンやグリプスといった他の工廠とも付き合いがあった。技術と引き替えにアイディアを提供し、その開発と試験を請け負う。もちろん、機動戦術研究部隊の正式名称が示すように、効果的な運用方法の確立までを含めてだ。他ならぬジーベルト自身が、隊をそのように持って行ったのである。
——パイロットとしての自分を、最大限生かせる形に。
「どうしたんだい? らしく無かったじゃないか」
一試合終えて戻ったジーベルトに、ライラ・ミラ・ライラはそう声をかけた。ルナツー守備隊の女傑として名高いモビルスーツ乗りである。模擬戦の模様をモニターで見ていたのだろう。不甲斐ない戦いの一部始終を。
あれはティターンズの組織替えが一段落付いた頃の話だ。人員や装備はそのままに、ティターンズの外郭組織として、より独立性を高めた232実験部隊。その経緯の不思議もあって、ジーベルトは今後の方針を思いあぐねていた。
全く唐突に、その決定はなされていたのだ。制服はティターンズ。ただし、表向きにはルナツー工廠の付属組織とされ、ティターンズのルナツー部隊とは全く異なる指揮系統に属する。当日になって明らかにされたそれは、新任のルナツー・ティターンズ基地司令にすら、知らされていなかったのである。
分隊であるティターンズが、本隊である連邦軍を取り込もうとする動きがあったことを考えると、あるいはその前段としての決定だったのかもしれない。実際、ルナツー工廠の開発計画立案に対する232実験部隊の発言力は、付属組織とは到底思えないほどに強まって行く。が、その秘めたる野望が明らかにされる前にあって、ティターンズであってティターンズでないという部隊の出現は、周囲はもちろん、当の隊員達をも惑わせたのだった。
ジーベルトもまた、戸惑いを隠せなかった。その迷いが操縦に表れたのだろう。勝つには勝ったが、ひどく苦戦を強いられた。何度か手合わせしたこともあるライラにすれば、歯痒くて仕方なかったことだろう。
ベンチに腰を下ろすと、ジーベルトは力無く虚空を見上げ、言った。
「集中できず、相手のペースに呑まれた。無様だな」
「まだ迷ってんのかい?」
「……ああ」
この先どう動くのが望ましいのか、まるで見当がつかない。ティターンズであってティターンズではなく、さりとて、連邦軍の一部署の付属組織と呼ぶには、過ぎた権限を有する部隊。直属の長はティターンズ総裁その人だが、地球連邦軍大将として記されている。
ティターンズと同列にある独立部隊、と表現して差し支えない。だが、それに見合うだけのことをした覚えはなかった。何かの陰謀か、あるいは、たちの悪い冗談か。
少なくとも後者でないことだけははっきりしている。ならば、ここは慎重に行動すべきだろう。部隊の不可解な位置付け。その意図なりが掴めるまでは……。
「らしくないじゃないか」
ジーベルトの思考を遮ったのは、睨め付けるようなライラの言葉だった。え? と顔を向けたジーベルトに、彼女は続ける。
「私の知ってるジーベルトって奴は、もっと割り切りの良い男だと思ってたけどね」
ジーベルトは黙した。視線を落とすと僅かに首を振る。ルナツーの技研にいた頃とは違い、今はパイロット業以外で考えねばならぬ事が多かった。それも、自分一人のことではないから、割り切りどころが難しい。よほど向いてないのか。
そんなジーベルトの様子に小さく嘆息すると、ライラはおもむろに口を開いた。
「あんたの改良したガルバルディは、私好みのいい機体さ」
一瞬、何のことかと思うジーベルトだったが、ほどなく、彼女が言わんとしていることに気付いた。
ルナツー守備隊に配備されているガルバルディβは、一年戦争末期にジオン公国軍が開発した機体を、戦後、接収した連邦軍が改良を加え、量産したものである。装甲は若干薄めだが、動作はきわめて軽快であり、ルナツーのように岩塊が浮遊する宇宙要塞の防衛には、うってつけの機体だった。
ルナツー技研時代、ジーベルトはこの機体の改良に携わっていた。テストパイロットとして、オリジナルのガルバルディの評価試験を担当したのが、そのきっかけだ。
当時、軍はジオンの進んだモビルスーツ技術を会得しようと躍起になっていた。捕獲した機体は試作・量産を問わず評価され、その成果は様々な形で連邦の機体に取り入れられた。
だが、機体そのものを採用した例はほとんど無い。機体不足を補うべく、個々の部隊で装備品に編入されることはあっても、正式採用機として広域に配備されることはなかった。まして、改良を加え新型として製造するなど、あり得ない話だったのである。
それは、戦勝国としてのプライドであったのかもしれない。あるいは、一つ眼に対する拒絶反応か。いずれにせよ、ジオンの機体は連邦の新型になり得ないというのが、戦後三年の間に築かれた暗黙のルールだった。
これに結果として異を唱えたのがジーベルトだ。機体の素性の良さに気付いた彼は、設計上の欠陥に手を加えた上で、即戦力として製造するよう、各方面に働きかけたのである。データを揃え、技術陣を抱き込み、最終的には正式採用が決まったばかりのジムⅡを基地司令の目前で完膚無きまでに叩くことにより、その優位性をアピールしたのである。
「人の知らぬ間に組んだ模擬戦で完璧に負かして、量産化にまでこぎ着けた手並みは見事だったよ」
「俺の自信作だったからな」
これには苦笑するしかないジーベルト。エースとして名の売れたライラを負かせば正式採用に至る、という自信があったからこそ成し得たことだ。実際、模擬戦後に搭乗したライラはガルバルディをいたく気に入り、実戦テストを自ら買って出たほどである。
この機体を眠らせる手はない。そう感じたジーベルトの執念が、周囲の反対を押しのけた瞬間だった。
「ティターンズ司令の腰巾着殿が、好きにして構わないと言ってるんだ。気の向くままにやればいいじゃないか」
「……そうだな」
あれで吹っ切ったようなものだ。体を拭いながら、ジーベルトはライラの言葉を思い起こしていた。特別親しかったわけでもないが、歴戦の勇士として互いに認めていた相手から寄せられた言葉。その後、惜しくも戦死してしまったライラだが、彼女の言葉は、今もジーベルトの内で息づいている。
裏に何があろうが構うものか。俺はただ、自分のやりたいようにやる。
機動戦術研究部隊を努めて連邦軍本隊と近いところに置いていたジーベルトは、反ティターンズ部隊のダカール演説を知るや否や、部隊ぐるみでティターンズと縁を切った。名目上、ルナツー工廠の付属組織とされていた点を逆手に取り、原隊復帰を宣言して中立の立場を取ったのである。ルナツー工廠はもちろん、他の工廠とも太いパイプを持つに至った部隊を、容易く罰することはあるまい。そう見越してのことだ。
案の定、ティターンズ本部は彼に留意を求めてきた。が、それ以前からバスク・オムのやり方を快く思っていなかったジーベルトが応じるはずもなく、不毛な会談を重ねるうちに当のティターンズが瓦解。部隊の性格上、目立った軍事行動を展開してこなかったこともあり、232実験部隊の連邦軍への復帰は、さしたる障害もなく行われたのだった。
あれから三年——。
制服の上着を羽織るジーベルトは、ふと違和感を覚えて、ボタンに掛ける手を止めた。この軍服を身につける自分は、どこの誰に仕えているのだろうか、と。
復帰と共に失われるとばかり思っていた隊の特異性は、なぜか引き継がれた。ルナツー工廠兵器開発局付属機動戦術研究部隊の正式名称はそのままながら、グレゴリー・シアーズ少将麾下の独立部隊として、今なお機能している。
当のジーベルト自身が疑問に思っているのだ。他の部隊の人間、とりわけ元エゥーゴの関係者が、疑念の目を向けないはずがない。
これにはさすがの上層部もまずいと思ったのか、232実験部隊の周りはにわかに慌ただしくなった。部隊再編の噂もある。が、シアーズ少将によれば、隊員の構成はほとんど変わらず、独立部隊として正式に発足するだけのことだという。
なぜ、そうまでして残したがるのか? 不審そうな面持ちのジーベルトに向かい、少将は言った。
「大方、ロンド・ベルへの対抗、といったところだろうな」
政争の道具にするつもりか。まるで他人が進めていることのように告げる少将に、ジーベルトは不審の色を深めた。その上で、経験を積むためと称して諜報部との共同任務を命ぜられれば、陰謀の臭いを嗅ぎ取らない方がどうかしている。
にも関わらず、ジーベルトが諾々とその命に従ったのは、実戦機会が増えるのも悪くないと思ったからだ。いや、むしろ望むところである。雲行きが怪しくなれば、与えられた力で己の身を守るだけのこと。そのための布石は既に打った。
結局はやりたいようにやるのだ。
「少佐」
シャワー室を出るや否や、イリアス少尉が待ちかねたように声を掛けた。どうした、と問うジーベルトに、電文の写しを手渡す。
「カルノー大尉からです」
「ん……」
さっと目を通すジーベルトは、ややあって、口元に小さな笑みを浮かべた。
「三日後だ。行けるな?」
それだけを言う。
イリアス少尉も心得ていて、大きく一つ頷いてみせると、
「ガニメデ、カリスト共に、明日夜半には合流できます」
別の報告を続けた。いずれも、232実験部隊が保有する艦艇の名だ。
まずは順調——。気をよくしたのか、そのまま続けて二、三の確認を済ませたジーベルトは、ふと思いついて、去ろうとするイリアスを呼び止めた。
「ときにムーア、どっちが勝った?」
怪訝な顔で少尉が振り向く。
「……ああ、サッカーですか」
察しの良いイリアスだったが、質問の意図するところまではさすがに判るはずもなく、いくらか戸惑ったような口調で答える。
「バーセルですよ。サイド2の」
「そうか……」
提督のお気に入りが負けたか、と声に出さず続ける。提督はさぞかしご機嫌斜めだろう。そうと思うと、無性に可笑しい。これも巡り合わせと言うべきだろうか。
「では、我々が仇を取らねばなるまいな」
言って、くつくつと笑うジーベルト。その笑いの意味を、イリアス少尉が理解することは無かった。
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