ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

12.エゥーゴ再び

 異様な緊張が司令部を支配した。腰を浮かすオペレーター。マシンガンを向ける兵士。そして、上半身を起こして両手をあげる警備兵。皆、見えない糸に縛られたかのように、ぴくりとも動かない。
 唯一、嘲笑を浮かべるアボットだけが、ゆっくりとカーターの元に歩み寄るのだった。
「先走りが過ぎたようだな、ラレフ」
 黙然とたたずむ彼を見下しながら、アボットが言う。
「ここまで分を越えた行動を取るとは。思ったより愚かな男だな、君は」
 その言葉に真っ先に異論の声を上げたのは、カーター本人ではなく、彼の傍らに控える副官のマンデナ中佐だった。准将を庇うように前に出ると、口角鋭くアボットに切り込む。
「あなた方は……。今がどういう時かお分かりか? 作戦は既に開始されているのですよ!」
「むろん、解っているとも。だが幸いにも、戦端はまだ開かれたばかりだ。貴官等が部隊を遅参させてくれたおかげでな」
 口元に皮肉を浮かべて応えるアボット。
「傷口が広がる前に悪害を取り除き、もって指揮系統を立て直す」
「……それは、確たる証拠をお持ちの上でのご発言か。いたずらに将兵を動揺させてなんとする」
「アナハイムからの予定にない積み荷の数々。少し中身を調べれば、罪状は湯水のように流れ落ちるだろう?」
 詰問口調の中佐に向かい、アボットは冷ややかに言った。疑問形を取ってはいるが、積み荷の内容に関して何らかの情報を得ているであろうことは、表情を見るまでもなく明らかだ。
 ——侮っていた。そう悔やむが、時既に遅い。マンデナは沈黙するより他なかった。
「もっとも、前線にいる者たちに、司令部(ここ)の事情を逐一知らせる必要もないがな」
 彼女の沈黙をどう取ったのか、アボットは勝ち誇ったように言葉を続ける。
「中佐」
 カーターが口を開いたのは、ちょうどそのタイミングであった。
「艦に戻りたまえ」
「准将……!? ですが」
「いいから、艦に戻りたまえ」
 驚いて振り向くマンデナに、有無を言わせぬ口調で重ねるカーター。と、その指が彼女にだけ見えるように、机の上で小さく文字を描く。それを読み取ったマンデナの顔色が変わった。
「——准将」
「行け」
「はっ!」
 踵を整え、見事な敬礼で敬意を表すと、マンデナは踵を返した。もはや司令部を一顧だにすることなく、制帽を小脇に抱えて毅然とした足取りでその場を辞する。それまで呆然と立ち尽くしていた彼女の部下達も、弾かれたように慌ててその後を追った。
「カーター、君のその潔さには感服するよ」
 傍らの二名の兵士にマンデナ達を見張るよう命じると、アボットは席にかけたままのカーターに向かって言った。だが、鈍い光を湛える若き准将の瞳は、高見から落とされるアボットの嘲笑など歯牙にもかけず、虚空をひたと見据えて離さない。
 さすがに気付いて訝しく思うアボット。だが、その時には既に、何もかもが手遅れとなっていた。

 携帯電話を取り出して耳に当てるマンデナの動きに、サブマシンガンを抱えて付きまとうアボットの部下が、足取りを速めてその背後に迫る。が、何ら会話をすることなくそれを懐に戻したマンデナの姿に、ほっと胸をなで下ろす彼らは、引き金に掛けた指を離した。
 ほんの僅かな、それこそ十数秒程度の気の緩みである。だが、マンデナの部下達にとっては、それで充分だった。首筋に銃底の一撃を喰らい、立て続けに昏倒する二名の兵士。
 サブマシンガンから外したベルトで手早く彼らを縛り上げ、通路際の一室に放り込むと、
「中佐」
 リーダー格の少尉が声を掛ける。淡然と部下の動きを見守っていたマンデナは、懐から再び携帯電話を取り出すと、黙って彼にリダイアル確認画面を見せた。
 番号を知って息を呑む少尉に向かい、短く告げる。
「コールは三回」
 その言葉は少尉のみならず、居合わせた部下全員の耳朶を震わせた。
「急げよ」
「はっ……!」

「ああっ!?」
 真っ先に異変に気付いたのは、ゼダンaのワーノック艦隊に火線を敷く連邦軍討伐艦隊旗艦、セイフートのオペレーターだった。
「艦長、エゥーゴが退いて行きます! カージガン反転!」
「なに!?」
 その報に血相を変えて戦術モニターを見上げる、艦長以下のブリッジクルー達。エゥーゴ艦隊を示す緑の光が四つ、オペレーターの報告と違わず、徐々に戦場から離れつつある。
「どういうつもりだ! カージガンに回線を繋げ!」
 制帽を飛ばしかねない勢いで命じる艦隊司令であったが、
「駄目です! 応答ありません!」
 通信士の言に絶句する——。
「……全部隊が、音信を途絶だと?」
 アボット・ブリードもまた、グラナダの司令部で言葉を失っていた。元のオペレーター達に替わって通信回線を開き、待機中の全部隊に出撃を命じようとした彼の部下達が、揃って反応のない旨を報告したのである。いや、そればかりではない。
「参謀!」
 慌ただしく駆け込んできた別の部下が、呆然と振り向くアボットの様子に構わず、声を落として耳元に告げた。
「今し方、連邦軍幕僚本部より、第三艦隊反転に関しての詰問が……」
「なに……?」
 アボットは耳を疑った。目を見開き、僅かに視線を転ずる。部下の報告はなおも続いていたが、それはもはや、遠くでぼんやりと響くばかりである。
「第一宇宙港で反乱!? どういうことか!」
 オペレーター席に詰め寄るメッチャー・ムチャの怒声すら、アボットには聞こえていない。視界の端に映る男の視線に気付いた瞬間、背筋を伝う冷たい感覚に全身を呑まれていたからだ。
 司令席に腰掛けたカーターが、無言で彼を向いている。表情を消し去ったその顔で、だが、奥底に鋭い光を湛えた双眸は、アボットをひたと捉えて放さない。

 斜向かいに停泊する連邦軍の巡洋艦、アルハウラ。その前部甲板で、左手に握ったサーベルを納めるリック・ディアスが、振り向きざまに光通信を放つ。右手に携えたバズーカは艦橋を向いており、その足下では、肩口と頭部からスパークを散らすハイザックが、アルハウラのモビルスーツ用ハッチを塞ぐようにして転がっている。
「連邦艦艇の制圧、完了しました」
「ご苦労。搭載機への手当も抜かりないな?」
 戦艦アイリッシュのブリッジに入ったマンデナは、制帽を被りながら、振り向いた若いオペレーターに尋ねた。
「それは間違いなく」
「よろしい」
「艦長、港湾管制室より入電」
 キャプテンシートに着く間もなく、通信士が告げた。マンデナは彼に小さく頷いて、続けるよう促す。
「『Dハッチを除く各ゲートの閉鎖完了。以後の指示を待つ』以上です」
「現状を維持するように、と。それから、私の名で感謝の意を伝えてくれ」
「了解しました」
 コンソールに向かう通信士の背に「各部隊へも同様にな」と続けて、マンデナは正面に視線を戻した。黒いサラミス改級の船体を複雑な思いで見やる。
 二年前にも、彼女はここで連邦艦艇を制圧した。ちょうどエゥーゴのジャブロー降下作戦が目前に迫っていた頃だ。
 当時、表向きには連邦正規軍となっていたマンデナらグラナダ駐留部隊は、アンマンから来たエゥーゴ部隊に呼応し、入港中のティターンズ艦サチワヌを強奪したのである。それは、彼女達がエゥーゴ、反地球連邦政府組織の一員であることを明確に示した、初めての軍事行動でもあった。
 だが、当時のことを知る人間は、今となっては限られている。アイリッシュは元々、殉死したブレックス・フォーラ中将の座乗艦として建造された経緯もあって、出撃の機会に恵まれなかった。そのため、当時の部下の多くは第一線で働く他の艦に移動となり、結果、その大半が戦場の華と散った。現在のアイリッシュのクルーは、グリプス紛争を肌で体験していない者がほとんどである。
「歴史は繰り返す、か……」
『こちらコンテ。アルハウラの乗員を叩き出す。車を回してくれ』
 マンデナが口中で呟いたその時、前方のリック・ディアスのパイロットから通信が入った。再びアイリッシュに帰ってきた、数少ない部下の一人だ。
「残念ながら満席です、中尉。次便到着まで十五分」
 これも復帰組の年輩オペレーターが答える。
『了解。だが、それ以上は待たせるなよ。連中、これでも結構うるさいんだぜ?』
「そこは中尉殿のお人柄で」
『接客は大の苦手だぞ、俺は』
 冗談とも本気ともつかないコンテ中尉の声に、他のブリッジ要員の間からも、ようやく笑いがこぼれた。余裕が生まれた証拠だろう。
 だが、彼らの間に漂う緊張感はそのままだった。当然だ。なぜなら、彼らの行く末は不透明なのだから。未だエゥーゴであることの自覚が強いとはいえ、半ば連邦軍に編入されつつある中での再決起は、相応の勇気を強いるものである。
 彼らは再び、官軍から賊軍へ転じようとしている。もう後に退くことは許されない。
「連邦兵の退去、間もなく完了します」
「各員は順次、第二戦闘配置に移行。交互に休息を取れ。モビルスーツは港湾警備隊を除いて帰投。補給を急がせろ」
 彼らの不安を払拭するかのように、凛としたマンデナの声は、ゆっくりと静かにブリッジを伝わっていった。

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