ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

13.真紅の影

「司令、ブリストルからの電文であります」
「ん、読め」
 グワダン級戦艦グワラルの応接室で、アクシズ艦隊を束ねるユーリー・ハスラー少将は、伝令の若い兵士に鷹揚に頷いて見せた。静かに流れるヴァイオリンの調べが、豪奢な部屋の造りと相まって、軍艦とは思えぬ雰囲気を醸し出している。
「はっ。『我、グラナダより“トリプル・オー”の再度の発信を確認。デュラン大尉には速やかに本艦へ戻られたし』以上」
「ご苦労」
 一礼して下がる兵士にねぎらいの言葉をかけると、視線を移すハスラー。
「どういうことかね? 大尉」
「“トリプル・オー”の再発信は、准将の身に危険が及んだか、その恐れが高い場合に限られます。連邦軍に何らかの動きがあったのだと思いますが……。あるいは、混乱しているだけかもしれません」
「……だろうな」
 デュランの言に、ハスラーは表情を曇らせた。最高指揮官が拘束されて、動揺しない組織など存在しない。そして六年前、彼は実際にそういった事態を目撃している。
(果たして今のエゥーゴに、それを乗り切るだけの力があるのか?)
「ですが」
 ハスラーの胸中に浮かぶ懸念を汲み取ったわけではないだろうが、デュランはおもむろに腰を上げ、決然と言葉を継ぐ。
「我々は既に動いたのです。後戻りなど出来ようはずもありません」
「良いのだな?」
「閣下の艦隊には予定通りの行動をお願いいたします」
 そう応えるデュランからは、カーター拘束による影響など微塵も感じられない。束の間、彼の穏やかな瞳を見つめたハスラーは、口元を僅かに緩めて頷いた。
「承った。だが、デブレツェン一隻は残していくぞ」
 訝しげなデュランに、今度ははっきりそれと判る表情で、微笑と共に続ける。
「いかに勇猛果敢な第三艦隊とて、五隻ではさすがに苦しかろう?」
「……お心遣い、感謝いたします」
 あと三十分ほどで合流するエゥーゴ第三艦隊は、その後、コンペイトウ近くに集結中のティターンズ残党艦隊を攻撃する手筈となっていた。別動の第二艦隊を待たずに仕掛けるのは、准将を拘束した参謀本部への牽制という意味合いがあるからだ。
 作戦上、グワラル以下のアクシズ艦隊には別の役割が課せられている。決して余裕があるわけではない。僅か一艦とはいえ、その貴重な戦力を割こうというのだから、デュランとしては恐縮せざるを得ない。
 頭を下げようとするデュランを手で制すと、
「ときに大尉、コンペイトウからの支援は期待できるのか?」
 ハスラーは話題を変えた。
「ウォルター少将は信頼できる方ですが……」
 今度はデュランが表情を曇らせる番だった。
 コンペイトウ鎮守府司令のトーマス・ウォルター少将は、カーターの古くからの友人であり、エゥーゴの良き理解者でもある。デュランも対ネオ・ジオンの共同作戦に際して幾度か顔を合わせたことがあり、その人物が確かなことは、自身の目で確認している。
 ワーノックの艦隊を攻めるにあたって、エゥーゴ第三艦隊はコンペイトウ鎮守府の連邦部隊に協力を求めていた。挟撃により、ワーノック艦隊の早期掃討が期せると持ちかけたのである。
 レーザー通信による直接対話で少将の快諾を得ていたデュランだったが、一方で、実現は難しいとも感じていた。半賊軍状態にある今のエゥーゴと手を組むことは、連邦軍上層部から反乱を疑われることと同意だ。おいそれと決められるものではない。
 いかにカーターの友人とはいえ、なにぶんにも立場というものがある。進退に影響が及ぶとあれば、仮に少将がその気でも、取り巻きが反対する可能性はあろう。
 デュランは静かにため息をついた。
「我々だけのつもりでやります」
「それが賢明だろうな」
「ええ。では」
 一礼すると、デュランは退出した。リフトグリップを握り、ロッカールームへと走らせる。
 組織の異なる人間が軍艦の中を一人で移動するなど、通常なら許されないことである。だが、衛兵はそれを咎めなかった。彼ばかりではない。時折すれ違う上級士官などは、むしろ親しみを込めた表情でもって挙手をする。デュランも慣れたもので、まるで自軍の艦内であるかの如く、礼を返す。
 水面下での接触が始まって以来、デュランは度々この艦を訪れていた。そのために顔見知りも多い。だが、彼がハスラー軍の将校に好意を持たれているのは、それだけが理由ではなかった。
 パイロットスーツを着込むと、デュランはモビルスーツデッキへ降りた。そこにはハスラー軍の主力である“ガザC”に混じって、彼の愛機であるグレーのリック・ディアスが佇んでいた。どちらかと言えば目立たない彼のディアスも、薄桃色に塗装されたMS群の中にあっては非常に目に付く。
 愛機を目指してデッキを蹴ったデュランは、その後方に真新しい別の機体が佇んでいるのを認めた。ガザCとカラーリングこそ揃えてあるが、まるで異なるラインを持った機体だ。頭部デザインはゲルググを思わせたが、全体的な印象で言えば、地球で運用された“ディジェ”によく似ている。コクピットも同様に頭部にあるらしく、脇の丸いハッチに手をかけるパイロットの姿が見えた。
 と、こちらに気付いたのか、そのパイロットが彼に向かって大きく手を振った。一瞬、訝しげな表情を作るデュランだったが、ヘルメットの奥の見知った顔に、すぐさま表情を和らげる。
 ウェップ・ホーガン中尉。一年前、グリプスを巡る戦いでデュランが救った、あのパイロットだ。
 今はグワラルの第二モビルスーツ戦隊で副長を務めるホーガン中尉は、人懐こい笑みを浮かべながら、デュランに声を掛けた。
「ご苦労様です、大尉」
「やあ、中尉。お互いにな」
 デュランもまた、親しく彼に応える。グリプスでの一件がきっかけで、二人は共に、此度の連合の調整役などという、因果な任務を仰せつかった。成立に至るまでには色々と紆余曲折があったが、故に、今となっては充分に気心の知れた仲となっている。
 軽いやりとりの後で、すぐに話題を新鋭機に転じたのは、ホーガンが自分と同じ、根っからのパイロットであることを知っているからだ。
「チャイカはどうだい?」
「いいですね。癖は無いし、反応も早い。ゲルググが出たての頃を思い出します」
 思った通り、ホーガンの弾んだ声が返ってくる。
 チャイカはリック・ディアスの派生型として、アナハイムのグラナダ工場で開発された。元々はガルバルディβの後継として、ジオン共和国向けに製造されたのだが、諸事情により一次生産分が揃った段階でキャンセルされ、以来、倉庫の片隅に眠っていた。それを、今回の連合に際してハスラー軍に融通したのだった。
 主力機ガザCの非力と単調になりがちな運用形態を打開すべく、大改造によってあえて非可変とした汎用機をほそぼそと内製していた彼等のこと。それを新古品とは言え、ある程度まとまった数で一度に揃えられたことは、僥倖この上なかった。機体自体の素性も良いとあれば、まさに願ったり叶ったりだろう。
 デュランらにしても、期待の援軍の戦力が拡充されるのは喜ばしいことだ。
「これなら、ワーノックの連中も容易く叩けますよ」
 そうした彼の想いを読んだのか、ホーガン中尉は言った。小首を傾げるデュランに、口元に笑みを浮かべながら続ける。
「私も、デブレツェンに移ります」
「それは……心強いな。だが、グワラルの方は大丈夫なのか?」
「私一人が抜けたくらいで、どうということはありませんよ。それに」
 デュランの言葉に苦笑すると、ホーガンは視線を管制室へと動かした。
「あの方が居れば、何の心配もないでしょう」
「確かにな」
 頷くデュラン。
 彼らの向いた先には、サングラスをかけた金髪の士官の姿があった。連邦系の赤い軍服に身を包んだ、精悍な顔立ちの男である。
「結局、あの娘は大尉が預かる事になったのか?」
「ええ、まあ。なんでも大佐は、ご自身の妹殿に託されるおつもりだそうで」
「妹? ああ……」
 咄嗟に戸惑うデュランだったが、すぐに納得して二回、顎を引く。
 彼の言う娘とは、月の裏側に位置するサイド3においてジオン公国を興した、ザビ家の血筋を継ぐ少女のことだ。グリプス紛争時にハマーン・カーンによってアクシズの頭領に祭り上げられていたが、サングラスの士官から密命を受けたホーガンによって、コロニーレーザーを巡る乱戦の隙を突いて救出されたのである。以後、サングラスの士官共々、このグワラルに匿われていた。
 少女の名をミネバ、士官の名をクワトロと言う。
 だが、後者の名はあくまでも連邦軍における仮のものだ。彼の本名はキャスバル・レム・ダイクン。宇宙民の自主独立を宣言したジオン・ズム・ダイクンの息子であり、一年戦争において“赤い彗星”の異名で畏怖されたシャア・アズナブルその人だ。
 一年戦争終結後、地球連邦軍に潜入したシャア・アズナブルは、ブレックス・フォーラと共にエゥーゴを興し、ブレックスの死後、その実質的な指導者となった。しかしながら、グリプス2での乱戦に紛れて姿をくらまし、今は新たな組織と共に、再度決起する機会を伺っている。その真意はいまもって解らない。
 だが……。
(少なくとも、あの娘を利用するつもりの無いことは判った。それで充分じゃないか)
 グリプスで救ったガザCにミネバが乗っていたことを、デュランは半年ほど前に知った。ハスラー艦隊がエゥーゴに参加する形で連合する、との基本合意に達した日の晩餐会で、ホーガンに一人別室へと誘われたデュランは、そこでミネバ本人から直々に礼を賜ったのだった。
 それは、同席したクワトロ・バジーナの生存確認にも勝る、超一級の事実であった。ザビ家の遺児、未だ健在と知れれば、ジオン残党が大いに活気づくのは目に見えている。故に、連邦は血眼になって彼等を追い回す。アボットのように、連邦軍の上層部に食い込みたいエゥーゴ参謀本部の連中にしても、同様だろう。
 デュランは瞬時に、ミネバの件を己一人の胸に秘すと決めた。実のところ、バジーナ大尉やハスラーもそれを望んでいたのだが、彼らの意向など聞くまでもない。なぜなら他ならぬデュラン自身が、利発そうな少女の幸せをとにかく願ったからだ。
 デュランは遠く息子のことを想った。
(たとえザビ家の血を引いていようが、一人の人間である限り、自らの人生を自身で決める権利がある。そうだろう? フリッツ)
 彼の一人息子フリッツは、生きていれば今年で九歳である。その息子と一つしか違わないというのに、彼女は多くのものを背負っている。年齢の割に落ち着きがあるのは、その出自故だろう。それでもデュランの瞳には、ミネバは一人の子供としか映らなかった。だからこそ彼は、この件について固く口を閉ざすことを誓ったのである。
(せめてお前の分まで幸せになって欲しい)
「デュラン大尉、そろそろ」
「ああ」
 腕時計を指しながら自機に向かって流れるホーガンに頷いて、デュランはディアスのコクピットハッチを開いた。潜り込みかけて、ふと振り向く。彼に気付いたらしいクワトロ・バジーナ、いや、シャア・アズナブルが、サングラス越しに自分を見つめているのが分かる。
 彼が何を思っているのか、その顔から読み取るのは難しい。しかし、彼が哀れむような視線を送っているであろうことを、デュランは敏感に感じ取っていた。
(あなたの言いたいことは判ります。が、これだけは決して譲れないのです。あの日の無念を晴らすまでは)
 それはミネバの件とは別のことだ。シャアが興した新組織への参加を、彼は今日の席で正式に断ったのである。それは、戦う理由が異なるからだ。
(——我々は意地を通します)
 じっと見つめるサングラスに敬礼してみせると、デュランはコクピットに滑り込み、愛機を始動させる。ほどなく、ディアスのモノアイに鮮やかな光が灯った。

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