ゼロの軌跡
作:澄川 櫂
23.30バンチ
一年戦争最後の激戦となったア・バオア・クー海戦。出撃機のおよそ八割が未帰還となったその激戦を奇跡的に生き延びたアルバート・デュランは、同僚のモニカ・コーレンと戦後間もなく結ばれた。第117モビルスーツ中隊でただ二人、生き残った者同士の結婚は、当然の成り行きであったかもしれない。
二人の挙式は、コンペイトウ鎮守府の一角でささやかに行われた。共に親類縁者を悉く失っていたこともあって、招かれたのはステファンら母艦ヨークトンの人間くらいなもの。そのヨークトンにしても、ア・バオア・クー海戦で撃沈されたのだから、参加できた者は僅かである。
「終戦、終戦と浮かれてはいたがな、常に最前線で戦い続けてきた者にしてみれば、仲間の死に浸る時間がようやくできたってことだ。皆、少なからず気が沈んでいたよ」
ア・バオア・クー要塞攻略に際してヨークトンが攻め入ったのは、ア・バオア・クーの北側。すなわち、囮役を買って出た部隊の中に彼らはいた。最も長く、激しい戦場を、彼らは駆け抜けたのである。
第13独立部隊以下の別働隊が南側からの上陸に成功したのは、彼らが敵部隊の大半を引きつけていたからに他ならない。故に、彼らの受けた損害は並ではなかった。
「訃報に次ぐ訃報の中で、唯一と言っていいほどの吉報が、あの二人の結婚だった。臨席した誰もが、心から二人の幸せを願ったよ。散っていった仲間に対する、鎮魂の意も込めてな」
遠い目で語るステファン。
一年戦争当時、彼は砲術士官であった。デュランらパイロットとは面識こそあったものの、特に親しかったというわけでもない。
だが、生き残った者の幸せは死んでいって者への何よりの供養、と信じて疑わないステファンである。共に死線を潜り抜けたデュランとモニカの結婚は喜ばしく、同時に救われる思いがした。ブリッジを潰され、艦橋の付け根から真っ二つに折れたヨークトンを命辛々脱出した彼にとって、二人の結婚に見いだした希望は並大抵のものではない。
ステファンがデュランと個人的な付き合いを持つようになったのは、それからだ。
「ほどなく、二人の間に子供ができてな」
「あの写真に写っていた……」
とフィル。
「ああ。フリッツ、だったかな? 可愛い子だったよ」
頷くと、ステファンは目を細めた。結婚後もしばらく、デュラン夫婦は彼と同じ官舎に暮らしていたため、何度か構ってやったことがあるのである。
出産に伴って休職したモニカは、デュランのサイド1守備隊への転属に際して正式に除隊した。挨拶に訪れた時の彼女の笑顔を、ステファンは今でも忘れられない。
「復興途上のコロニーであっても、石の中に比べれば別世界だからな。自然の中で息子を育てられると喜んでいたよ。それに、デュランは危険の少ない守備隊勤務。まさに理想的な環境だったわけだ。誰もが二人の幸せを信じて見送ったよ。しかし、まさかそれが最後の別れになろうとは……」
宇宙世紀0085年7月31日。この日、デュラン一家の住むサイド1、30バンチコロニーは死んだ。スペースノイドの自治権を求める市民集会に対し、連邦の治安維持部隊ティターンズが、G3——毒ガスを流し込んだのである。
「毒ガス……!」
「G3で壊滅したコロニーって、二一バンチだけじゃないんですか!?」
「……ああ、その前があったんだよ」
耳を疑うリサに、沈鬱な表情で頷くステファン。
グリプス紛争末期のティターンズによるサイド2、18バンチコロニーへのコロニーレーザー攻撃。及び、21バンチコロニーへのG3攻撃は広く知られている。それは、ティターンズ撲滅運動後期の大きな原動力となった。
だが、その二年前に起こった“30バンチ事件”に関しては、未だ公には伏せられていた。なぜか? 当時のティターンズはまだ、連邦の一部隊に過ぎなかったからだ。
「30バンチにて疫病発生の報が流れたとき、俺は慌ててサイド1へ連絡を取った。30バンチといえばあいつの、アルバートの住むコロニーだからな。だが軍回線経由でも、サイド1に繋がった時には既に一週間が過ぎていた。そして解ったことといえば、30バンチの封鎖と、アルバートの任務中の失踪くらいなものだ」
漠然とした情報に当惑し、事実を追い続けたステファンがG3攻撃という真実に辿り着くまでには、それからさらに半年以上を要した。そしてステファンは、自らが指揮する艦ごと連邦を抜けて、エゥーゴに参加したのである。多くのスペースノイド系軍人がそうであったように。
「あの頃のエゥーゴは、まだ組織として完成していなかった。行動を起こして初めて味方が判る、そんな具合だ。だから実際に会うまで、“月の死神”がアルバートだとは露も知らなかったよ」
「“月の死神”?」
「ティターンズの月面攻撃部隊を幾度となく葬り去った、グレーの機体。狙撃に秀で、相手が機を捨てない限り降伏信号すら認めぬ非情の男に、敵味方の双方が贈った異名だ」
ステファンは努めて淡々と言った。
彼がデュランと再会したのは、ジャブロー攻略作戦を間近に控えたアンマン基地であった。地球降下要員として乗り込んできたパイロットの中に、デュランがいたのである。
だが、それはステファンの知るデュランではなかった。瞳の奥に刃の光を湛えたその男は、死に神の名に恥じない非道の殺し屋。少なくとも、結婚当時を知るステファンにはそう思えた。
「大尉が……」
思わずそう漏らすフィル。
日常のデュランから冷たさが消えたのは、ステファンが知る限り、ダカール作戦の後あたりからである。その変わり様には、ステファンでさえ戸惑いを隠せなかったのだ。今のデュランしか知らない彼らには、到底、信じられない話だろう。
「嘘でこんな話はせんよ」
ステファンはそこで少し間を置くと、
「だが、考えてもみろ。目の前で妻子を殺されたんだ。平気でいられると思うか。簡単に忘れられると思うか」
「……いえ」
「恐らく、悲しみを紛らわす意味もあったんだろうな。ただ復讐のために死神になったとは、俺には思えん。でなければ、進んでしんがりなど引き受けまい?」
言われて二人は黙した。指揮官の努めと言えばそれまでかもしれないが、味方を生かすためにあえて危険に飛び込める人間が、冷酷であるなどと言えようか。そもそもティターンズへの復讐の為だけに戦う男ならば、部隊の指揮など行えるはずもない。
「あいつだって辛いはずだ。しんがりを努めた自分ではなく、艦隊支援に戻ったフレディが死んだのだからな」
ステファンが言い終える前に、フィルは席を立っていた。仮にも艦長の話の最中である。止めようとするリサだったが、
「いや、いいさ」
ステファンは咎めなかった。元々勝手に話し始めたことでもあるし、フィルが何をしに行ったかの見当は付いている。
「それより、かなりショックだったようだな、リサ」
「え? あ……」
「無理もないことだが、そう顔に出されては困る。周りに余計な心配をかけさせんでくれよ」
言いながらステファンも立った。そろそろブリッジへ戻る刻限だ。ぽん、とリサの肩を叩いて食堂を出る。
一人残されたリサは、しばらくぼんやりとテーブルを眺めていたが、
「はぁ……」
やがて大きくため息を吐いた。テーブルに突っ伏し、腕に押し付けた頭を左右に振る。ショックはショックでも、リサにとってはデュランの悲劇以上に、彼に妻子のいたことの方が遙かに衝撃的だった。
腕の上で顔を横に向け、もやもやを噛みしめながら、しばしテーブルに置かれた紙ナプキンを見ていたが、
「……嫌になっちゃうな、あたし」
その先端のぎざぎざに向かって、無意識のうちにぽつりと呟く。が、すぐに気付いて上体を起こすと、リサは慌てて首を横に振った。今はそんなことで悩んでいる時ではない。ステファンにも言われたではないか。顔に出されては困る、と。
リサは別のことを考えた。コンペイトウでの戦いのことを。
フェンリルに追われて無我夢中で逃げ回るうちに艦隊へと戻ってしまい、結果、フレディの死を招いた。帰還後、リサはそう自分を責めた。
だがデュランは、「よく敵を引きつけてくれた」と言って、リサを労ったのだった。おかげで負傷兵の収容ができた、と。そして、フェンリルを撃退したことにもっと自信を持て、とも言った。
尊敬し、憧れるデュランの言葉である。褒められて嬉しく思わないわけがない。だがリサは、心の奥に引っかかるものを感じていた。
「あの武器……」
フェンリルとの戦闘で最後に発射されたミサイルのことだ。彼女の知らなかった武器である。
「まるであたしの心を読んだみたいに飛んだ……」
リサ自身にそのミサイルを撃った記憶はない。だが、確かにミサイルは発射され、フェンリルの後を追いかけるようにその装甲を貫いた。そして、ミサイルがフェンリルを捉える直前、コクピットで「当たれっ!」と叫んだことは覚えている。
「……ゼロってどういう機体なんだろう?」
リサは初めて、乗機に漠然とした疑問を抱いた。もうかれこれ半年近く乗っているが、こんな事は今まで一度もない。ゼロの反応の良さは感嘆ものだが、動作は全て自分の操った結果。勝手に動くなんてあり得ない。
だが、こうして改めて思い返してみても、あの時のゼロは、リサが指示を出すより先に動いたとしか思えなかった。リサの帰投後に機体を見たイの様子からすると、彼とデュランは何か知っているようでもあったが……。
「いけないいけない」
リサは再び頭を振った。理由がなんであれ、今は悩んでいるときではない。考え込むのは止めにしよう。
両頬をぱんと叩いて立ち上がると、気分転換にシャワーを浴びに行こうと思い立つ、リサであった。
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