ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

24.静なる闘志

「ほーう。よさそうじゃないか」
 デッキアップされた機体を見やって、デュランは感嘆の声を上げた。“リック・ディアス”以上に、旧ジオン公国の“ドム”を思わせるマシーンだ。曲線主体のデザインは重厚かつ洗練されており、無駄を極力排していながら、見る者に決して華奢な印象を与えない。むしろ筋骨たくましい重装騎兵を思わせる。その力強さは、一目でデュランを魅了した。
「ディアスの思想はそのままに、設計を根本から見直した次代の重モビルスーツ、デードリットです」
 傍らでデュランの反応を伺っていたアナハイムのウォーレン・マクガバニー技師が、喜色も露わに説明する。
 傷ついたカージガンを補修すべく、近海を航行中だった同社のドッグ艦、ミスロォウにコンタクトを取ったマクガバニーは、同艦でテスト中だったこのデードリットを、デュランのパーソナルカラーであるグレーに彩らせた。むろん、彼に乗ってもらうために。
 デードリットはゼロの開発が一段落した後に取り組んできたプロジェクトで、これもマクガバニーが主査を務めていた。彼の自信作でもある。その自慢の機体を、デュランのような腕利きのパイロットに託せるならば、技術屋としては本望だ。
 そんなマクガバニーの思いに気付かぬデュランではない。
「気に入った。ありがたく使わせてもらおう」
 早速、デードリットに取り付くデュランは、コクピット周りを中心に一通り見てそう言った。世辞ではない。本心から出た言葉だ。その上で、
「しかし、データは採れんぞ?」
と続ける。
「構いませんよ。我々からのささやかなお礼、とでも思って下されば」
 苦笑するマクガバニー。これがアナハイムからの最後の補給であることを指しての、デュランの皮肉である。マクガバニー自身、間もなくミスロォウに移乗してグラナダへの帰途につくため、デードリットの実戦データの収集は難しい。
 本音を言えばそれを残念に思うマクガバニーであったが、さほど気にしているわけでもなかった。ゼロから得られたデータの数々は、それを補って余りあるほどの価値があったからだ。実戦投入のきっかけを作ったデュランに、彼は心底感謝している。
「ところで大尉」
「ん?」
「言われたとおりリミッターを解除しましたが……大丈夫ですか?」
 マクガバニーは、不意に声を潜めて別のことを言った。ゼロのことだ。
「システムは作動したんだ。問題はないだろう?」
「それはそうですが……」
 ガンダムタイプの可変モビルスーツであるゼロは、通常の操作系とは別に、サイコミュと呼ばれる感応システムを搭載していた。それは人の感覚や脳波によって機体をコントロールするもので、誘導兵器への応用も可能な、画期的なシステムであった。
 だが、パイロットへの精神的負担が大きいなどの問題点が多々あり、ゼロのそれは、あくまでも操作性や反応速度を向上させるための補助機構として、位置付けられている。設計上はメインシステムを乗っ取ることが可能だが、そうならないよう、あえてリミッターを設けていたのである。
 だが、先の戦闘でサイコミュ兵器、ファンネルミサイルが起動したことを知ったデュランは、そのリミッターを解除することに決めた。若いパイロット、リサ・フェレルの可能性に賭けたのである。
 それは人体実験にも等しい行為である。とても公にはできない。そもそも、ゼロのサイコミュシステム自体がブラックボックスであった。その確かな正体を知る者は、マクガバニーを除けば、デュランとチーフメカニックのイ・フェチャンのみ。ステファン艦長にすら知らされていない話である。
「いずれ問題になりますよ?」
 マクガバニーはデュランの立場を心配した。リミッターを外せば、それだけ露見しやすくなる。
「その時はその時。なに、心配ないさ」
 デュランは一笑に付した。
「元々操縦技能に関しては優れていたからな。戦闘経験も積んだことだし、パイロットとして開花した、としか思わんよ。誰もかも」
 そう言われては、マクガバニーも笑みを浮かべるしかない。彼は逆の事態、つまり、パイロットであるリサの神経が参ってしまう可能性を言いたかったのだが、それを承知の上での話だと分かったからだ。
 デュランの顔は笑っていても、その目は決して笑っていない。
 マクガバニーは一つ頷くと、意図的に話題を変えた。同時に声のトーンも上げる。こんなところで長く密談していては怪しまれる。
「デードリット、申し訳ありませんね」
「え?」
「色ですよ。完全にグレーとはいかなかったようで……」
「ああ……!」
 デュランのパーソナルカラーであるグレーに塗装変更されたデードリットであったが、部分的に元の機体カラーである淡いグリーンが残っていた。もっとも、それは塗り忘れなどではなく、意図的に残したようにも見える。
「いや、作業員スタッフのセンスでしょう。こっちの方が似合っている」
 デュランは、今度は真に笑った。「光栄です」と、こちらも笑顔で応えるマクガバニー。
「では、私はこれで」
「いろいろ世話になったな」
「いえ……」
 マクガバニーは差し出された右手を握り返すと、「ご武運を」と言い残して物資搬口へと流れていった。ミスロォウからの搬入はいまだ続いているが、アナハイム本社への報告など、彼も何かと忙しいのである。
「ご武運、か」
 コンテナの奥へと消えて行くマクガバニーの背中を見ながら、デュランは呟いた。
「……悪運だけは人一倍だな」
 先の戦闘では愛機ディアスの腕と足を一本ずつ失い、バックパックまで飛ばされながらも生き残ったデュランである。彼はたった一発の銃弾に沈んだフレディを想った。運命とは所詮、こんなものなのだろうか。
「大尉!」
「ん……?」
 デードリットのコクピットハッチに佇むデュランは、不意に大声で呼びかけられ、何事かと振り仰いだ。エアロック近くのデッキで、肩で息をしながらフィルが真っ直ぐこちらを見つめている。だが、どこか迷うような表情を見せる彼は、呼びかけたにも関わらず、なかなか降りてこようとしない。
 デュランはそんなフィルの様子に苦笑すると、ハッチを蹴った。デッキの手すりに手を掛け、流れる体を止めると、
「なんだ? フィル」
 そのままの姿勢で尋ねる。
「あの……その……先程は申し訳ありませんでした!」
 口ごもるフィルは、大げさとも言えるくらいの勢いで頭を下げた。不意の大声に、整備員の何人かが訝しげに振り向く。
「僕、大尉のこと何も知らないくせに、あんな事を言って……」
 その視線を気にした訳ではないのだろうが、フィルは消え入るような声で続けた。慚愧の色をありありと浮かべて。
「いいさ、気にするな」
 そんなフィルの傍らに降り立つと、デュランはこともなげに言った。
「お前の怒りは正しい。私は殴られて当然だ」
「そんな、大尉は……」
「昔のことは理由にならんよ」
 ステファンあたりに聞いたのだろうと思いながら、彼は答えた。余計なことを、とは思わない。
「だがな、フィル。私を殴ったことで気を済まして欲しかったな。でなければ、今度はお前が死ぬことになる。それでトニーが喜ぶのかな?」
「あ……」
「仲間の死を悲しむのはいい。だがその前に、軍人としてなすべき事をしろ」
「……はい」
 俯きながら頷くフィル。そんな彼を見下ろすデュランは、声には出さず小さく笑った。若い。そして、素直だ。少年の純真さが垣間見えた気がして、微笑ましく思う。
「おいおい、そんな顔をされては困るな」
「え?」
「次の作戦に響くだろう?」
「でも、僕のネモは……」
 フィルは再び俯いた。
 ゼロに曳航されて帰還したフィルの機体は、メカマンが揃って目を丸くするほどボロボロだった。チーフメカニックのイに至っては、開口一番、「これでよく生還できたものだ」と言ったものだ。
 結局、彼のネモは手を入れられることなく、暗礁宙域に放棄された。同じボロでも、ほぼパーツ交換だけで復帰できるデュランのディアスとは対照的である。腰のダメージが致命的であった。
「——次の作戦から、私はデードリットを使う。あいつに乗ってみるか?」
 デュランはメンテナンスベッド上で補修中の、グレーのディアスを顎で指した。
「えっ……!?」
「ゼロに支援を付けたいんだが、ディアスくらいの出力がないとさすがに厳しいだろうからな。なに、性能の劣るネモであのモビルアーマーと渡り合ったんだ。お前ならできるさ」
 驚いて見上げるフィルに、デュランは言った。彼を見つめる瞳に浮かんだ迷いはほんの一瞬。小さく息を吸うと、目線はそのままにゆっくりと頷くフィル。それは確かな意志を持った、力強い決意の証。
「頼んだぞ」
 彼の肩に手を置くと、デュランも大きく頷いた。

「世話をかけたな」
「ん? ああ、あの二人のことか。自分の若い頃を思い出して、思わずな。迷惑だったかい?」
「いや……」
 カージガンの艦長室。ステファンの晩酌に誘われたデュランは、グラスを片手に短く応えた。琥珀色の液体に浮かぶ氷塊が、時折カラン、と涼しげな音を立てる。作戦開始まであと二十時間。ささやかな最後の宴であった。
 もう十時間もすれば、カージガンは旧第二艦隊を主力とする攻撃隊と合流し、その旗艦を努めることになる。コンペイトウを制圧したティターンズ残党艦隊に、再度仕掛けるのだ。その次があるかどうかは分からない。
 そして、たとえ生き残ったとしても、彼らエゥーゴを支えてきたアナハイムエレクトロニクスとの関係は終わった。消耗しても補充は望めない。闇の中を手探りで進んでいるようなものだ。
 しばらくして、
「……これが最後になるな」
 ステファンがぽつりと漏らしたのも、無理らしからぬ話であった。
「作戦が終わったら……」
「……ん?」
「どうするんだ?」
「……。さあな。30バンチへ行って、そのままルナツーあたりに殴り込むか」
 冗談めかして言うデュランに、思わず苦笑するステファン。だが、その笑みはどこか寂しい。
「やはり、納得できないな。30バンチの真相を公表せず、というのは」
「財政的にも治安的にも苦しいのが、今の連邦政府だ。これ以上、火種は増やしたくないんだろうよ。見舞金と賠償金とじゃ、桁違いだからな」
 淡々と述べるデュランの姿に、ステファンは彼の怒りの程を知った。一見穏やかに見えるが、瞳に浮かぶ鈍い光は、二年前の死神を彷彿とさせる。ステファンはそう感じた。
 冗談めかしてはいるが、案外本気かもしれぬ。友人として、その場合にどう行動するのか。考えずにはいられない。
「艦長はどうするんだ?」
 彼の胸中を知ってか知らずか、デュランが逆に尋ねた。
「軍を辞め、お前と殴り込む」
「ほう」
「……と言いたいところだが、軍人をやる以外に能のない男だからな、俺は。正直言って、迷っている」
「らしいな」
「優柔不断だって言いたいんだろう?」
「まさか。艦長として、その悩みは当然だよ」
「……そうか?」
「ああ」
「そうだな」
 彼が頷くのを見て、ステファンは一気にグラスをあおった。デュランもそれに倣う。まるで己の迷いを断ち切るような、そんな飲み方だった。
 バーボンが熱く体を駆け抜ける。
「気楽なパイロットのお前がつくづく羨ましいよ」
「だろう?」
「へっ、言ってくれる」
 二人が笑うのと同時に、インターカムが鳴った。まるでその笑いを待っていたかのように。ステファンが通話ボタンを押すや、オペレーターが幾分興奮気味に報告する。
『艦長、デブレツェンより入電。ハスラー閣下の艦隊が、発電衛星の捕縛に成功したとのことです』
「そうか、やったか!」
『はっ。第二艦隊の作業も滞りなく。スケジュール上の遅延はありません』
 ブリッジとの通信を終えたステファンは、こちらもやや興奮した面もちで振り向いた。デュランもまた、大きく、そして力強く頷き返す。
 ——決戦の準備は、確実に整いつつあった。

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