ゼロの軌跡
作:澄川 櫂
30.明暗
グリプス2が二度目の輝きを放ったのは、シェフィールドが回頭を終える、まさにその瞬間であった。艦体をレーザーがかすめ、左舷エンジンが瞬時に爆煙を上げる。
「エンジン閉鎖、急げっ!」
シモンズ中佐の怒声が飛ぶ。幸い、直撃ではなかったこともあり、他のエンジンに誘爆する事はなかった。むろん、彼らを狙って放たれたものではないだろう。だが、
「……あと一分、回頭が遅れていればやられていましたな」
顔色を無くすシモンズの言葉に間違いはない。
「うむ」
ワーノックも、まさかこうも短時間のうちに二発目が来るとは思っておらず、驚きを隠せない様子で頷いた。が、エゥーゴが奪取した発電衛星を活用していること、隕石ミサイルの発射がもはや不可能になったことぐらいは判る。
そして、自艦がすぐには動けなくなったことも。
「イスマイリアのキボンズ少佐に繋いでくれ」
「どうぞ!」
『閣下、ご無事でしたか!』
回線が通じるや否や、エドガー・キボンズの無事を喜ぶ声が響いた。彼が居るのは艦のブリッジではなく、モビルスーツのコクピットである。ちょうどフェンリルで出撃するところだったのだろう。
「フフ、見ての通り息災だよ」
ワーノックはそんな彼に笑ってみせると、
「今の一撃で我が作戦は完全に潰えた。となれば、あとは全力でこの宙域より離れるしかないわけだが、グリプスに焼かれるというのは面白くない」
『はっ……』
「そこでだ、少佐にはイスマイリア以下の第一戦隊と共にグリプスへ向かい、彼らの注意を逸らして貰いたい」
と言った。シェフィールドが移動するまでの時間を稼げ、という意味だったが、キボンズにはそれを単なる時間稼ぎにしようとするつもりはないようだ。
『了解しました』
不敵に笑うキボンズ。彼にとって、エゥーゴとはアクシズ以上に討たねばならない敵である。
『グリプスに巣くう艦隊、悉く沈めてご覧にいれます』
こともなげに言い残して、キボンズの姿はディスプレイの向こうに消えた。バスターランチャーを失ったとはいえ、フェンリルはそれが出来る機体である。自信があるのだろう。
だが、彼の奥底に潜むパイロット魂を、ワーノックは熟知している。ガンダム、そして、本陣を狙った謎のモビルスーツ。彼らのような強敵を前にしたとき、キボンズは果たして戦闘指揮官としていられるのか。
(——無理だな)
ワーノックは結論づけた。もっとも、それで増援を出すようなことはしない。アクシズ艦隊と交える前に、グリプス2の如きものに消されるのは無念だが、それもまた運命というものだろう。
(が、上手くやって欲しいものだ……)
そう思うワーノックは、自分がキボンズと大して変わりないことに気付き、「フン」と鼻で笑うのであった。
ワーノック軍の左翼に仕掛けたエゥーゴ艦隊は、補給のために帰投する艦載機の対応に追われていた。特に、旗艦を務めるカージガンは運用する機種も多く、イ・フェチャン以下のメカニッククルーの苦労は並々ならぬものがある。
「ユニットの換装まではとても無理です!」
「バランスを整えてくれればいい。補給を急いでくれ」
「三分、いえ、二分待って下さい」
「……了解だ」
新たな愛機デードリットで補給を待つデュランは、チーフメカニックであるイの応えに、憮然としながらも頷かざるを得なかった。
カージガンのモビルスーツデッキが半ば修羅場と化しているのには理由がある。通常の補給作業と平行して、各機にプロペラントタンクの取り付けを行っているのだ。その直接の原因は、グリプス2の不調である。
隕石ミサイルからグラナダを守るべく、グリプス2を稼働状態に持ち込んだエゥーゴであったが、僅か二日足らずの間に完璧な補修など出来ようはずもない。連射による負荷に耐えきれないと判断したコンピュータが警告を発したため、第三射を遅らせる必要があった。
カージガンの不幸は、それが、急にコンペイトウへ向けて進路を転じた元鎮守府の部隊を警戒し、艦隊を移動させた直後に起こったことにある。そのために、グリプスへ向かうイスマイリア以下の艦艇を抑えることが出来なかったのだ。
故の騒ぎである。もっとも、この「二分」という数字には、新鋭のデードリットにメカマンがまだ不慣れであることも影響していた。多彩な機種を扱う彼らでも、一回の戦闘でモノにしたデュランのように即応できるわけではない。
「リサ、フィル、聞いてるな?」
システムパネルを開くメカマンに席を譲ったデュランは、若い二人の名を呼んだ。
「デードリットはまだ動けん。先に行け」
『はい!』
『追いつけそうですか?』
と、フィル。
「無理だろうな。指揮はパレット少尉に執って貰う」
『了解!』
歯切れの良い彼の声を残して、艦外に待機していた二機が色鮮やかな尾を曳いた。それをブリッジから眺めるステファンは、彼らの成長ぶりを喜ばずにはいられない。
だが、
「鎮守府艦隊の動きはどうだ?」
部下に問う言葉は、その種の感情とは無縁の、厳しいものであった。
「依然、コンペイトウへ向けて移動中」
「そうか……」
グリプス2の光に動揺して暗礁宙域へと逃げ込んだ艦隊が、そのグリプス2の狙うコンペイトウへ向かうというのは不自然である。何かあると考えるのが当然だ。が、その何かが判らない。
「鎮守府艦隊を警戒しつつ、ワーノック軍を殲滅する」
判らない以上、ステファンとしてはそう命じるよりほかなかった。幸い、グワラルより敵主力がアクシズ艦隊を向いたとの報告を受けている。カージガン以下のエゥーゴの艦艇は、ワーノック軍に限って言えば、目の前の相手にさえ集中していれば良いのである。
「一機たりとも抜かせるな!」
ステファンの檄が、鮮やかな火線と共に響き渡った。
「前方に敵艦艇を確認。アレキサンドリア級一、サラミス級三!」
エゥーゴを束ねる戦艦アイリッシュに、警戒警報が鳴り響く。
「各艦、各モビルスーツ迎撃用意。グリプス2はどうか?」
「エネルギー充填、開始しました。充填率一〇パーセント!」
部下の報告に、キャプテンを務めるマニティ・マンデナ中佐は顔をしかめた。本来であれば、既に第三射目で薙ぎ払っているところである。だが、撃てない以上、迎撃戦をしなければならない。
カージガン以下の攻撃隊に比べ、戦力で劣るのが彼ら第一艦隊である。グラナダ防衛隊の有志がモビルスーツ持参で加勢してくれているとはいえ、ティターンズ精鋭の生き残り相手にどこまでやれるのか。
元アクシズの部隊は当てにはなるが、連携という点では不安が残る。
「……いつでも撃てるように」
口調も重く命じるマニティ。
と、
「フェイルシャークのメガ粒子砲、発射準備完了。いつでも撃てます」
今一人のオペレーターが告げた。その声に、僅かだが彼女の表情が和む。
フェイルシャークに搭載された二門のメガ粒子砲は、アイリッシュ級の主砲を上回る威力と射程距離を持っていた。ティターンズ艦の主砲が主力のアレキサンドリア級でさえ、アイリッシュと同等かそれ以下であることを考えれば、これほど心強い物はない。
左手に上がってくるフェイルシャークを見やったマニティは、だが、振り向いてカーターの指示を待った。先制攻撃を仕掛けると言うことは、裏を返せば敵にこちらの配置を教えると言うことでもある。それで構わないのか、と。
「狙えるのか?」
さすがに全軍を統括する立場にあるだけのことはある。参謀シートに座るカーターには、わざわざ口を開かずとも正確に伝わった。
後退しながら直撃できるのであれば撃っても良い、と応えたのだ。モビルスーツ搭載数の多い艦を沈めるわけにはいかない。
「当てると言っています」
通信士がフェイルシャークからの返答をそのまま告げる。一呼吸おいて頷くカーター。いずれは知れる自軍の配置を隠すより、敵艦艇の足を止めることの利を彼は取った。なにより、ワーノック軍はフェイルシャークの存在をまだ知らない。
「アイリッシュよりフェイルシャークへ」
彼の意をマニティが継ぐ。
「メガ粒子砲……発射!」
「イルビール被弾、爆沈します!」
「回避運動急げ!」
白く染まるイスマイリアの艦橋に、艦長ダグラス・クラントの怒号が響く。
「こっちの主砲は?」
「ダメです、あと一分!」
「速度上げ。艦隊、最大戦速。モビルスーツ隊を先行させろ」
舌打ち混じりにクラント少佐が命じるのとほぼ同時に、展開中だったモビルスーツ隊が編隊を組みつつ、一斉に加速した。その間にもメガ粒子の帯が闇を破って走り抜け、噴煙を上げていたイルビールの艦体が、大音響を残して完膚無きまでに粉砕される。
もちろん、真空の宇宙空間に音は響かない。だが、砕け散るイルビールの破片を浴びる僚艦は、その断末魔の悲鳴を確かに感じ取っていた。閃光に押し出されるようにして進む、モビルスーツのパイロット達もまた然り。
「エゥーゴめ……」
フェンリルの巨体を器用に動かしながら、キボンズは唸った。エゥーゴがこれほどまでの用意をしていようとは、夢にも思わなかったのだ。
(——アナハイムの手先共が)
と、声には出さず続ける。
月の巨大複合企業アナハイムエレクトロニクス社がエゥーゴの有力なスポンサーであることは、動乱のかなり早い時期から公然の秘密となっていた。当時、連邦軍そのものであったティターンズの将兵は、ことあるごとにエゥーゴをアナハイムの“犬”と蔑み、罵ったものだ。
だが、連邦政府の後ろ盾を失った今となっては、その違いは歴然としていた。つい先日、コンペイトウを陥落せしめるまでの間、彼らの武器は質と量の両面でエゥーゴに劣っていたのである。口では蔑んでいたが、本音を言えばエゥーゴを羨んでさえいた。
己のそんな感情に気付いたキボンズは、苛立たしげに舌を鳴らすと首を振った。自尊心の強いキボンズにとって、これほど屈辱的なことはない。自然、語気も強くなる。
「敵本陣を一気に叩く。続け!」
命ずるキボンズの怒声そのままに、ノズルを煌めかせるフェンリル。“下駄”履きのバーザム、マラサイらがそれに続く。
彼らの合間を抜ける火線が、次第次第に多くなる。しかし、味方からのものは一つもない。ようやく援護の光が届きかけた頃、フェンリル以下のモビルスーツ隊は、エゥーゴの迎撃部隊と接触した。
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