ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

31.フェンリルの咆吼

 ワーノック艦隊は劣勢を強いられていた。旗艦シェフィールドの足をやられた影響は大きく、それを護るべく前に出た巡洋艦ルマイラは、文字通り盾となって沈んだ。シェフィールドがようやく動くようになるまでの、僅か五分足らずの間に。
 だが、そのことに構っているゆとりなどなかった。動かなければ、次に沈むのはシェフィールドかもしれないのである。アクシズ艦隊の砲撃はそれほどまでに正確であり、かつ恐るべき破壊力を秘めている。
「グワラルに攻撃を集中させろ! 突破する!」
 それが容易なことでないと知りつつも、シモンズ艦長にはそう命ずるより他はなかった。
 敵のモビルスーツ部隊が一定ラインよりこちら側へ攻め込まないのを見れば、グリプス2が依然としてこの宙域を狙っていると嫌でも判る。後方にエゥーゴの艦隊が構えている以上、ワーノック艦隊としては前方のアクシズ艦隊を撃ち破らねばならない。
 そんな彼等の唯一の救いは、敵の猛攻を受けて壊滅しかけた左翼——今は後方に位置する——の部隊が、その後、予想外の健闘を見せていることであった。と言うより、エゥーゴが攻めあぐねているのである。
「まずいな……」
 デードリットを駆るデュランは、艦隊の布陣を見やると、もう何度目ともしれない呟きを漏らした。
 コンペイトウへ向けて移動を始めたスミス艦隊、元鎮守府の部隊を警戒して布陣を変えたエゥーゴ艦隊であったが、結果として、ワーノック軍左翼部隊と真正面から対峙する形となった。望んでこうなったのではない。ゼダンへ向かうべく方向を転じたワーノック軍が、たまたま彼らの動いた先にいたのである。
 手負い相手に正面から当たることは、兵法上から言っても避けるべきであった。敵が必死になる分だけ、味方の損害が増えるからだ。が、図らずもその形となった。カージガン以下のエゥーゴ艦隊は、めぼしい戦果も上げられぬまま、いたずらに傷ついている。
 もちろん、デュランとてただ手をこまねいていたわけではない。艦艇を沈めるべく、ボティ中尉と共に二度、突撃を試みた。しかしその都度、サーベラス、ヘルハウンドのコンビに阻止されたのである。率いるパイロットはむろん、あの男だ。
「来たか!」
 コクピットに響く警戒音に、コントロールスティックを小刻みに動かすデュラン。デードリットの残像をビームがかすめ、黒い影が駆け抜ける。ティターンズのエース、ミハイル・ロッコ操るサーベラスだ。
 デードリットが撃つ。サーベラスが返す。ビームとビームが干渉し、次の瞬間、二機は光の中で斬り結んだ。スパークに目を細めるかの如く、デードリットがモノアイを、サーベラスはツインアイを、それぞれ淡く灯らせる。
 後方では、ボティ中尉のリック・ディアスが、ダンケル・クーパのヘルハウンドと激闘を繰り広げていた。こちらも、右へ左へ流れるような動きで互いの攻撃をかわし、両者一歩も譲らない。
 それは、再出撃から実に五度目の光景であった。攻めては退き、退いては攻めてを交互に繰り返す。得られるものは何もない。ただ消耗するだけだ。
「くっ……!」
 サーベラスの鋭い斬撃を受け流しつつ、デュランは呻いた。

「二次防衛ライン、突破されました!!」
「各艦、各個に迎撃。直援部隊を前面に押し出せ!」
 グリプスを護る戦艦アイリッシュの艦橋に、オペレーターの悲鳴とマニティ艦長の怒号が錯綜する。麾下の各艦艇の砲座、機銃座が、その声に合わせて狂ったように弾幕を張る。乱戦を繰り広げる攻撃隊以上に、彼らの戦場は修羅場だった。
 戦端を開くや否や、さい先良く敵巡洋艦を沈めたエゥーゴ艦隊であったが、フェンリルの接触と同時にその状況を一変させていた。足の長いガザCを中心とした一次防衛ラインに続き、ディテクター擁する二次防衛ラインまでもがあっさりと破られたのである。
 ディテクターは月のグラナダ防衛隊が主力であるジムⅡ改の非力を補うために建造した機体で、二門のビームキャノンとゼータクラスの高性能センサーを備え、高い迎撃能力を誇っていた。メタスタイプのフレームを流用したために、ずんぐりした外観とは裏腹に小回りも利く。
 だが、そのグラナダ防衛隊の誇る新鋭部隊が、重モビルスーツ、フェンリルの前に、一分と保たずに壊滅した。持って生まれた能力を生かす間もなく、彼等は文字通り粉砕された。眼前で生まれた幾多の光点に、エゥーゴの将兵は揃って戦慄した。
 それは、カージガンから遠路駆けつけ、イスマイリアの後方に仕掛けたパレット少尉も同じである。
「リサとフィルは艦隊の援護を。各機、二機の突破を支援っ!」
 間に合わないかもしれないと思いつつ、指示を出すパレット。「了解っ」と一言残して、跳ねるようにゼロが飛ぶ。一見すると不用心だが、それがフィルの援護を知っての動きと判り、パレットは舌を巻いた。
「あの娘、いつの間に……」
 行きがけに一機を軽く墜として援護に向かうゼロの姿は、まるで歴戦の勇士のそれである。
(あたしにも出来た!)
 そのゼロのコクピットで、リサは一人、快哉を叫んでいた。バーザムを撃ち抜くに際して、彼女は敬愛するデュランの動きをイメージした。そして、自分がその通りにゼロを動かせたと解って、にわかに自信を深める。
 乗機への不安はもはやなかった。思い通りに動いてくれることが、今は何よりも嬉しい。だがそれ以上に、フィルが後ろに付いているという安心感が、彼女に思い切りの良さを与えていた。
(フィルが、あたしを護ってくれるから……)
 ゼロに全てを見透かされているような感覚も、彼が見守ってくれているから耐えられる。後ろを任せられるから、迷わず前へ前へと飛び込んでいける。
 どうしてそう思うのかは分からない。でも、それでも良いとリサは思う。少なくとも、今の自分ならあいつと、フェンリルと対等に渡り合えると感じるからだ。
「今度は止めてみせる!」
 ゼロのテールノズルが、彼女の気合いそのまま鋭く伸びる。だが、事態はリサが思っているほど、易しくは無いのであった。

「正面のモビルアーマーに砲撃を集中させろっ!」
 マニティ艦長の号令は、直前の艦艇を沈められた艦の長として当然のものである。しかし結果として、それは旗艦の位置をフェンリルに知らせることとなった。キボンズの視界に淡いグリーンの戦艦の姿が鮮烈に飛び込んでくる。
「アイリッシュ! 奴を沈めれば!」
 彼の脳裏に、エゥーゴの指揮系統が浮かぶ。
 グリプスの発射を阻止するためには、当然の事ながら砲の根本にあるコントロールルームを潰さなければならない。だが、その前に発射命令が届いてしまえば、元も子も無かった。
 発射命令を出すのは、十中八、九、艦隊旗艦だ。ならば、それさえ沈めてしまえば、少なくとも潰す前に撃たれることはないだろう。
 キボンズは即決した。猛火の中に、あえて愛機を躍り込ませる。紙一重でかわしつつ、ネモ二機を墜としてアイリッシュに迫る!
「行かせるか!!」
 恐れをなす第一艦隊のモビルスーツ中で唯一、コンテ中尉のリック・ディアスが、突撃を阻止せんと彼の前に立ちはだかる。ワイヤーアームによる変則的な攻撃も、ベテランの前には全くの無力。
「墜ちろっ!」
 ランチャーを撃ち鳴らし、愛機にサーベルを抜かせるコンテ。だが、
「フンッ」
「な——!?」
 交錯した直後、彼のディアスは胴で二分され、砕け散った。駆け抜けるフェンリル。フロントスカートから伸びた細腕に、鮮やかに光り輝くビームの刃。
「コンテ……!?」
 三年来の部下の死に、思わず絶句するマニティ。
「グリプス2、発射」
 カーターの声が低く響いたのは、まさにその瞬間であった。通信士が艦長の復唱を待たず伝達に移る。だが、果たしてそれが伝わったかどうか、彼には確かめることが出来なかった。
 なぜなら、
「モビルアーマー、来ました!!」
 オペレーターが悲鳴を上げたとき、黄色い悪魔は眼前にある。ほくそ笑むキボンズ。モノアイが怪しく光る。
「ダメェっ!」
 ゼロのビームキャノンが火を噴くが、二条のビームはフェンリルの航跡を虚しく横切るばかりであった。それを追う形となったゼロの足下で、アイリッシュの艦橋が眩い炎に包まれる。
「ああ……!」
「アイリッシュが……」
 悲痛の声を上げるリサとフィル。
「勝ったぞ!」
 一方のキボンズは、半ば勝利を確信した。あとは敵の混乱に乗じてグリプス2の発令室を叩き潰すだけでよい。
 ところが、
『しっ、少佐!!』
 部下の絶望の叫びが、躍動するフェンリルのコクピットに響いた。振り向くキボンズ。彼は我が目を疑った。
 グリプス2の巨大な砲口から、厚い光の束が放たれる。エゥーゴ総大将カーターが死の直前に発した言葉は、間一髪でグリプス2に届いていたのだ。
「バカなっ!」
 キボンズが呻くが既に遅い。カーターの死の間際の一撃は、ワーノック軍主力艦隊を見事捉えた。艦首をもぎ取られるシェフィールドの他は、光に飲まれ全て瞬時に爆散する。
「ぐっ……」
 そのような中にあっても、自らの悪運の強さに半ば呆れるワーノック。
(——直撃を受けてなお生き延びるか)
 むろん、シェフィールドとて、もはや鉄の塊に過ぎない。しかし、眼前で消え行く僚艦とは違い、原形を留めるその艦の中には、今だ人の息づかいがある。
 シェフィールドのクルーにとって、艦の戦闘力が失われたことは、この際、幸いであるかもしれなかった。敵もやみくもに無慈悲というわけではあるまい。その後はともかく、とりあえず救助はされよう。
(連中に捕らえられるのは癪だが、少なからず部下は助かる。フッ……望み通りと言うことか……)
 が、ワーノックのそんな思考も長くは続かない。
「後方よりスミス艦隊」
「なに……?」
 オペレーターの報告に応えたその声が、今生でワーノックの発した最後の言葉となった。
 スミス艦隊旗艦、コロラドの放った一発の砲弾。それが、コンペイトウ宙域における戦闘を終末へといざなう合図となる。
 フェンリルの咆吼は、ただ虚しく響くばかりであった。

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